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2005年05月31日
自分のサイトながら
自分のサイトながら、あっちこっちレイアウトがぐちゃぐちゃだな。このブログもメインページを直して、カテゴリの方を気にしてなかったけど、ちょっとまずいな。メイン以外はデフォルトのままなので、カスタマイズしたメインページとバッティングして、逆にまずいのかも。さすがに、なんとかしょうっと。
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2005年05月29日
t.A.T.u. "200KM/H IN THE WRONG LINE"
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もうだいぶ前のことになったが、2003年度のMTV Music Award を見ていた時のこと。そのあまりのつまらなさにあきれていた。アメリカもここまで落ちたか、とむしろ笑ってしまうほどに。ラップがダメとは言わないが、当時は(たぶん今も)ラップが音楽をダメにしていた。ただ、延々とリズムだけが垂れ流される。ハーモニーもメロディーもくそったれもない。イントロだの、間奏だのといった音楽の形式もぶっ壊された。肉体的なパワーにあふれた男と女が、あたかも性行為の前の戯れとでも言うように、そのリズムに身体をゆだねる。音楽と思って見ていた自分がアホらしくなったもんだ。そんな中で、ひときわ生彩を放っていたのが、t.A.T.u.だ。
「All The Things She Said」、CDにも収録されているが、このプロモーションビデオは絶品だった。なんでも、愛し合うことを禁じられた女の子どうしが、自分達を縛る大人の社会から手に手を取り合って脱出するというのが歌詞の内容らしいが、洋楽の歌詞に100%興味のない私には、そんな内容などどうでもいいことだった。虚心にこのビデオを見ていると、そこにあったのは、ある種普遍的と言ってもいい、束縛から逃れようと苦しむ若者の姿。彼女らのキスシーンも、そうした彼女らの苦悩を表現した、美しくすらあるものに見えた。正直、私はいたく感動した。
ドタキャン騒動で楽しませてくれたが、それも一興だろう。アルバムの曲自体はとてもよかった。問題はこれから、か。
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2005年05月28日
驚いた ~紀伊国屋~
大丸の横に、紀伊国屋がオープンしたんだ。(札幌の話)全然知らんかった。いや、それにしてもすごい。こんな広い本屋見たことない。ほんの1、2年前に近所のJRタワーに旭屋がでっかくオープンしたばっかなのに。やるなー。つい、覗いて見たくなって見物してきた。いやー、壮観だ。本好きなら、1日いてもあきないんじゃないかな。ちゃんとイスもあるし。30mはあるだろう1階の壁一面に雑誌がささっている光景は圧巻だった。専門書はどんなもんなんだろうと、コンピュータ関係を覗いたのが運のつき。オープン記念(?)に、大枚4,400円も出して一冊買ってしまった。いや、それにしても、ほんとにすごい。
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2005年05月27日
ま、いいでしょう〜対UAE戦〜
それにしても、小野はすごいな。非常にインテリジェンスを感じる。 テクニックももちろんだが、中田と違って、自分がどうしたいということではなく、このチームのこのメンバーでどうすべきか、何ができるか、という柔軟な思考を感じる。中田が悪いという訳ではないし、そうした中田のリーダーシップが日本には必要だった。問題は、今現在の日本代表とのマッチングということだ。
中村はピッチを広く使い、かき回し、局面を活性化する力がある。小野は、そうした周囲の選手をサポートし、個々の力を引き出してやる力がある。この二人がいれば、中盤は盤石だ。
失点の場面。ディフェンスを置き去りにして、あのスピードであそこに走りこまれたら、ケアすべきはニア・サイドだ。ニア・サイドはキーパーも当然ケアするし、スペース自体が狭いから、得点可能なターゲットは極端に狭い。だから、Jリーグやアジアの選手は、あまり積極的にそこを狙っては来ない。だが、一流の選手になればなるほど、あえてそこをついてくる。ワールドカップもそうだし、スペインリーグなどは特にそうだ。狭くても、そこに蹴り込むことができるという自信と、そこをつくのが最もゴールへの近道だという確信があるのだろう。実際、最短距離ではあるのだから、キーパーが反応できないスピードで蹴り込めば、シュートは確実に決まる。彼らは、それを狙っている。
UAEの選手が攻め込んで来た時、私はまるでキーバーのようにニアをケアしていた。ところが、思いがけないことにシュートはファーサイドへと転がった。アジアの選手によくあるパターンだ。あの場面で、確実にニアをついてくるのは韓国の選手くらいだろう。アンダーなんだかのMVPもいるというから買いかぶってしまった。たぶん、川口もそうなんだろう。当然、川口もファーに簡単に入れられるような選手ではない。ファーは殺していたが、入るとしたらあそこだけというコースをつかれた。だが、私はあのシーンを見てむしろ川口に感心した。Jリーグの普通のキーバ−なら止めていたかもしれない。だが、それでも、あそこはニアを抑えるべきなのだ。それをした川口は、やはり世界レベルのキーパーだと痛感させられた。
今度のバーレーンは40度を上回る見込みだとか。こうなると、技術よりも気力の問題だな。アジア・カップの時は時期的に日本も夏だったからまだよかったが、今回はそうとう苦しいだろう。言うまでもないが、私なら動けない。日本代表には、エールを送ることしかできない。多くは望まない。引き分け、が多分最高の結果だ。
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2005年05月26日
プロジェクトXの虚飾〜地に堕ちたか〜
スポーツ新聞で見たNHKプロジェクトXの虚飾報道。ある高校の美談をあおるかのように、同校の当時の荒廃ぶりを虚飾したというもの。問題の番組は「ファイト!町工場に捧げる日本一の歌」。どうなんだろうな、と半信半疑で見ていたが、どうやら事実だったようだ。
今はもう見る事もないが、かつてこの番組が始まった頃は欠かさずに見ていた。励みにもなったし、感動もした。涙を流したことも数多い。日本が落ち込む一方という時期だったこともあり、いち日本人としてこの番組のおかけで日本人の誇りを取り戻させてもらったと言っても過言ではない。その看板番組を、視聴者の涙をしぼるために虚飾するとは。
http://www.mainichi-msn.co.jp/it/network/news/20050525org00m300091000c.html
ついに、NHKは地に落ちたか。使い込みの問題など、実は大したことではない。たまたま日本全体が経済的に苦しくなって来ていた時期だったから、格好のうっぷんばらしになっただけだ。もちろん、それが良い事だと言いたい訳ではない。ただ、程度の差こそあれ、「あんたも同じ穴のムジナだろう?」と言われれば、少なくとも良識のある社会人なら、それがこの国の、あるいは大人の世界のよくある話の一つに過ぎないと納得するのにやぶさかではないだろう。だが、今回の問題は違う。もっと、ずっと罪深い行為だということを、NHKは認識しているのだろうか?
報道がなされた後の今日はもう状況が一変しているが、昨日、私がgoogleで「プロジェクトX 淀川工業高校」で検索したときは、その番組に感動したというページばかりがヒットした。感動は金では計れない。そのページを書いた人々は、恐らく自身の感動に正直に動いただけのことだろう。そして、それはプロジェクトXを見て感動し、励まされて来た多くの視聴者達の姿を反映しているはずだ。
この汚れた社会にあって、人々の感動は無償の愛に似た気高さを持っている、と思うのは私だけだろうか?もしそうならば、NHKは自身が踏みにじったものの価値を、その罪深さを、永遠に気づく事はないだろう。願わくば、「良識」を持ち合わせた人々が、まだNHKにあらんことを。
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2005年05月25日
のだめカンタービレ〜「SオケTシャツ」っすか〜
めったにないTBがやけにあって、何かと思えばのだめの記事。なんか、みんな熱いっすねー。見ると、作者のページでSオケTシャツが売られてるとか。
http://www.din.or.jp/~nino/main.html
確かに「SHOP」で売られている。
どうでもいいことだが、この作者のトップページ、どうも突っ込みたくなってしまった。では、のだめ風に。
「Sorry!! Japanese Onlyって、このページ、思いっきり英語ばっかりじゃないですかー。」
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2005年05月24日
何が風太くんだ
何が風太くんだ。レッサーパンダが立ったからなんだってんだ、バカバカしい。「おたくの動物園のレッサーパンダは立ちますか?」と問い合わせて来る大人がマジでいるそうだ。やだやだ。俺は、こういうアホが大嫌いだ。そのうち、立つ猫ちゃんだの、立つワンちゃんだのと二番煎じを探し求めるのだ。いっそのこと、このバカ者どもへのみせしめに、全国のレッサーパンダよ、立ち上がれ!今こそお前達は立ち上がる時が来たのだ!皆で手に手を取って立ち上がり、怒りの声を上げろ!お前達自身の平穏のために。
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2005年05月22日
ムスカリ〜百合が原公園〜
百合が原のムスカリ。今年はとにかく寒いので、例年のようにいっせいに開花とはいかなかったらしく、去年に比べると”まばら”という感じ。チューリップも咲いてたり、咲いてなかったり。でも、久々の、というより今年初めての暖かな好天で気持ちがよかった。
温室のユリ展を見た後、花を買って来た。一つ200円、300円程度で買える花が沢山ある。ポケットマネーで、ずいぶん満足する買い物ができる。今までその習慣、というか発想がなかったのが残念。ついつい沢山買ってしまったが、こんなに手軽に家の中を華やかにできるなんて。イネ科のふわふわしたやつ、葉っぱ系のハニサックル、ポインセチアなどなど、とにかく沢山買って来た。眺めているだけでもとても楽しいが、イネ科のやつはラグラスっていうのかな、名前に興味がないので違うかもしれないが、これからふわふわしたのが麦穂のように育って行くはずで、その成長が楽しみだ。朝、光と風のなかで、気持ち良さそうに揺れている。その姿がとても良い。
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2005年05月20日
ZARD Live "What a beautiful moment"
ああ、とうとうその日が来た。 ZARD Live。あのクルージング・ライブの発売から、どんなにこの時を待ったことか…。(涙)
6月8日。こんなにその日が待ち遠しいことは、ほんとうに久々だ。
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2005年05月19日
エルダー・エイジの逆襲
週刊文春、5月5日・12日号の記事。
落ち込む一方のCDの売上に、30〜50代のエルダー・エイジ層が一役買っているらしい。現在のポップスに満足できず、かつて聞いた洋楽などを聞き直す人達が増えている、というのがその理由。確かに、Queen人気を初めとして、今や新たなナツメロブームと言ってもおかしくない状況だ。ダウンロードして聞ければそれで良いという若者達と異なり、レコードで育ったこの世代はジャケットなどへの愛着も強いらしく、同じアーティストのアルバムをレコード、CD、ベスト盤と継続的に買う傾向があるらしい。まさに音楽業界のお得意様という感じだが、かくいう自分にしっかり当てはまっているのには苦笑してしまった。
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2005年05月18日
リアル・ロボット登場『LAND WALKER』
夢の二足歩行ロボット登場。3600万円。見た感じ、なかなか良い。ボールを発射するエアー砲も積んでいる。ただ、おしいことに手がない。今度は是非手をつけほしい。そしたら、ザクに少し近づくんじゃないだろうか。
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2005年05月17日
のだめカンタービレ 12巻
金曜日に発売のはずが、どの本屋にもおいてない。北海道は昔からマンガ、雑誌は一日遅れだったので、今でもそうなんだろうと思ったが、土曜になっても日曜になってもやっぱりない。もしかして、金曜の次の日が土日にかかったから、月曜入荷?と、思ったらその通りだった。週末が飛ぶと感覚的に一週間遅れだ。平日はのんびり読む気になれんし。あーあ、札幌もまだまだど田舎だ。
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2005年05月15日
軽川の桜
昨日、軽川の桜を見て来た。エゾヤマザクラ、チシマザクラが多いようだが、エゾヤマザクラのピンク色がとてもいい。桜を見たって感じがする。手稲山はまだ、雪で真っ白。天気はいいのに、まだまだ肌寒いが、悪くない風情だった。散歩している人の半分くらいは近所の人。近くにこんな場所があるのは良いもんだろう。
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2005年05月14日
からっぽな日本人
類としては理念的な蓄積があっても、今を生きるのは常に赤児から育った未熟で不完全な存在でしかないから、人は理念的な蓄積を一人一人の生き方に反映することができない。理念だけが一人歩きし、現実としての人は相変わらず地を這っている。人が愚行を繰り返すのは、不完全な人間にとっては避けられないことなのだ。だから、せめてもの知恵として人は教訓として歴史を刻み、それを忘れまいとする。
AC2005。After Christ、キリスト生誕後2005年。これが今年だが、ヨーロッパではこうしてある年を記憶にとどめようとする習慣があるようだ。つまり、これこれの年から何年という数え方をすることで、その年を記憶に留める。人がなんでもすぐに忘却してしまうことを踏まえた、賢い知恵だ。私の知る限り、その例は不幸な出来事、事故などの起こった年がおおいようだが、それは悪しき歴史を繰り返すまいとする知恵の反映でもあるのだろう。
現代日本のティーン・エイジャーを見て、「バカばっかりだな」と思う大人は多いだろう。私は今44歳だが、私の中学、高校の頃に比べて、今の中高生はものを知らなさすぎるように思う。だが、それは彼らのせいではない。彼らに何も教えなかった大人達、社会、国家のせいなのだ。ゆとり教育などとアホなことを言って、せっせとバカな国民を育てて来た、それがたいした頭もないのにいい大学に行かされた無能な官僚達の実績だ。明治以来、教育で成り上がって来た日本から、教育を取ったら何も残らない。今の日本のからっぽさは、至極当然の成り行きとしか言いようがない。
世界中見回しても、これほど子供達が勉強しない国はめずらしい。アジア諸国では、貧困から脱却する将来の夢と希望が勉強にかかっているから、いやでも子供達は勉強する。そしてそれは、少なくとも私の子供の頃の日本の姿でもあった。今の若者達は、ぶらぶらしていても、永遠にこの世界が続くとタカをくくっている「キリギリス」に見える。「アリとキリギリス」のこの喩えすら、「おお、知ってる。お笑いコンビだろ?」と言い兼ねないありさまだが、そのからっぽさが何を意味するか、大人達はちゃんと認識しているのだろうか?
かなり眉唾もんになったとは言え、まだ日本は繁栄している部類に入る国だ。だが、それは、先進国に劣る、貧困に喘いでいた明治以来の先人達の努力の賜物だ。家族に飯を食わせるために売られた女子供は、つい、昭和のこの間までめずらしくもなく実在していた。そうした現実から脱却するために日本人は頑張って来たのだ。今の若者は、そうしたことを知らない。教えてもらっていないからだ。
世間はあっても、社会というものが存在しなかったから、日本という国家自体が成熟していない。国として、社会として、どのような人を育てて行くのか、そのために何を伝えて行くべきなのか、という思想がない。中国、韓国の横やりに屈しないくだらぬ教科書は作れても、真に次代を担う国民を育てるための教科書は作れない。それが、土台となるべき知性もなく、知識だけ詰め込まされてエリートになった無能な官僚達の実態だ。からっぽな日本人、その弊害は既に歴然と出始めている。国家100年の計、野蛮でがさつな時代だったが、明治の日本にはそういう大局的な思考のできる大物がちゃんといた。そして、善かれ悪しかれ、そういう大局的な観点に立った教育があったからこそ、国家としての発展もあったのだ。
何も知らない、からっぽな日本人。さて、これからの日本人はいったい何をしでかすのだろう。歴史を繰り返すことなどたやすいことだろう。あるいは、100年後に日本は事実上存在しないかもしれないという気がする。
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2005年05月13日
人は…
人は、果たして前に進んでいるのだろうか?
日本でも、「飢え」はつい50年前までは深刻な現実だった。文字通り、食えないために死んで行く子供達が存在していたし、人減らしのために殺される幼児、売られる少女達が存在した。その悲しみを伝える伝承、物語も、少なくとも私にとっては遠い世界の絵空事ではなく、地続きの生々しい現実だった。
高度経済成長期に私は育ったが、その頃の日本にもやはり貧困、飢えは厳然として存在していた。というより、しがない大衆がいよいよそこから脱却する時が来たのだ、といった上昇意識が強く、その意味で飢え、貧困は人々の前提として存在していたように思う。歴史を鑑みても、人類はまず何よりも「飢え」と現代に至るまで戦って来たのだ。
飢え、貧困が、現代で完全に払拭された訳ではない。問題なのは、持つもの、持たざるもの、の二極化が進んで行くことなのかもしれないが、共産主義はその先進的な思想故に、またその裏返しとしての制度の未熟さ故に、資本主義に座を譲ったかの感がある。その間隙をぬって、かつてのローマのように繁栄を謳歌しているのが欧米諸国、及びその同胞たる日本というところだろうか。
「飢え」と並んで問題なのが、殺戮だ。「人権」などという高級な思想が生まれたのも、人類の歴史でみればついこの間のことだ。それまでは、支配するもの、されるもの、そして、支配する者達の覇権争いによって支配される者達が大量に死んで行く、というのが人類の構図。三国志を紐解いてみるがいい。お得意の誇張をさっぴいても、戦死者の単位は何万、何十万だ。それはヨーロッパでも同じ事。戦争をやめよう、なんて合い言葉すら、歴史的にみれば人権思想の成熟によって、ゴミみたいな庶民に権利が与えられた最近のできごとなのだ。もっと言えば、米英、あるいは仏といった国の人々が、闘争によって勝ち取って来た権利、概念のおかげなのだ。
だから、欧米の諸国は戦うのだ。彼らの世界を脅かす、あるいは脅かしかねない者達と。アメリカのやり方が行き過ぎたものだったかどうかはともかく、彼らは敵に敏感だ。そして、誇り高い、アラブの人々もまた、彼らを攻撃したアメリカに対して敏感だ。
自爆テロの報道を見て、命がけで自国を守ろうとする彼らに、たとえばかつての日本の特攻隊をイメージして感動した人もいるのかもしれない。だが、それはたぶん間違いだ。残念ながら、日本の特攻隊の若者達がそうであったように、彼らは踊らされている。
自衛隊を含めて、イラクの人々がアメリカ主導の各国軍隊を嫌うのは当然だし、ゲリラ的にそうした国々、軍隊に抵抗するのも当然だろう。誇り高いアラブ人なら、なおさらのことだ。が、フセイン拘束後、我々は何度イラク人によるイラク人の無差別テロを知らされただろう。今月に入ってからだけでも、既に100人以上のイラク人が無差別テロによって殺されている。昨日のCNNの記事では、殺された西側諸国の一般犠牲者はトータル300人ほどだそうだが(軍人は含まない)、イラク人の犠牲者はそんなものではすまされない。アメリカよりも、英国よりも、どこの国よりもイラク人の犠牲者が圧倒的に多いのだ。そして、それを行っているのは、言うまでもなく当のイラク人なのだ。
最近の一例。5月4日。
職を求めるイラク人の行列に爆弾を持った男が自爆。50人以上が死亡。
あなた達は、いったい何をしているのか。何が、アメリカが悪いだ。あなた達は、自らの手で、アメリカとなんの関係もなく、自分の国の一般の人たちを、ごく普通の生活を送っている人たちを、ごく普通の生活の中で「大量に殺戮している」ではないか。それが、アラブの正義だとでも?
人類の歴史において、殺戮はこんなものではなかった。女子供も容赦はない。むしろ、おもしろ半分に兵士達の戦利品として強姦、拉致、殺戮されて来たのが普通と言っても過言ではない。対して、今の戦争には、不思議な事だが倫理がある。捕虜にこんなことをしてはいけない、敵に対してこんなことをしてはいけない、こんな武器を使用してはいけない…等々。「戦争にも倫理がある」、それが少なくとも進歩した人の姿だった。だが、テロにはそれがない。日中、食事をしているその横で、同胞が爆死する、それが倫理なき今のイラクだ。イスラエル、パレスチナもそうだし、アイルランドもそうであった。戦争は、よそで(戦場で)やる、ということすら、現代では期待できそうもない。人は、退化を始めている。
人権思想のおかげで、生まれながらに高貴な者、下賤なもの、という差別がなくなった。簡単に言ってしまえば、エリザベス女王と、私は平等、ということだが、残念ながら、その思想は世界平和という観点では、クソの役にもたっていないらしい。どこの世界にも、ただ、暴力を振り回すだけの輩というのはいる。絶望するつもりはないが、今のイラクはアメリカだろうが自国人だろうが、殺せる相手さえいれば誰でも良いように見える。アラブの人々は、これが彼らの望む世界だとでもいうのだろうか。
人が、常に前に進んでいる、と思うのは恐らく幻想だ。そう思いたい、人々の幻想だ。結局のところ、不完全な人間が自ら造り出した不完全な世界で騒いでいるだけのことなのだ。永遠にその不完全さから来る歪みが消えることはない。過去の野蛮な世界に比べ、少しずつでも前に進んでいるのではないか、そう私は思っていたが、この不完全な人類に過剰な期待はしない方が良い。歴史は繰り返すのだ。なぜなら、類としては理念的に成熟しても、今を生きているのは常に不完全な、欲望と不平不満で満ちた未熟な存在達だから。我々にできる事は、せめて絶望して地に堕ちて行くことのないように、希望を持っているかのように振る舞うことだけだ。
イラクも、子供達を見ると、日本と変わりはないな、なんて思いながらテレビを見ていた私は、例によって甘かった。まだ、小学校に入るかどうかくらいの男の子が語っていた。「母を殺したアメリカを許さない。大人になって、必ずアメリカ人を殺してやる。」。そう語る横に、銃を持って重々しい顔をしている大人がいる。この子は、憎悪を、復讐を、こんな時から増幅され、戦闘マシンに教育されている。こんな子がくさるほどいるということなのだろう。なるほど、自爆テロの部品には事欠かないという訳だ。これも、イラク人のイラク人による、イラク人のための教育の一貫なのだろう。いつか、爆弾を抱えてくたばる日を夢見て、子供達はせっせと今を生かされている。
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2005年05月12日
血管強化、血液さらさら化計画 その4 麦茶
血液をさらさらにする効果は、焼酎と麦茶が群を抜いている。健康のためとホラを吹いて焼酎を飲むつもりはないし、別に飲みたい酒類でもないので、麦茶を選択。麦茶なら日常的に飲めるという点でも好都合。夕食後の緑茶はともかく、それ以外は喉が渇いたら家では麦茶。なんの努力も苦労もいらないところも良い。
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2005年05月11日
「サツキとメイの家」
地球博の「サツキとメイの家」の観覧券をめぐってトラブルが起こったようだ。当初、森林体感ゾーンの休憩所として企画されたそうだが、あまりの人気ぶりに入場者制限の必要が生じ、完全予約制に変更してLAWSONで予約券を発行することになったらしい。そして、4月1日に60万件を超えるアクセスが集中してシステムがハング、東海地方の店舗に並んだほとんどの人が予約できない事態に至ったらしい。
http://www.ntv.co.jp/ghibli/owabi.html
「Yahoo!オークション」に出品するチケットゲッターの存在をシステム麻痺の一因として批判しているが、確かに影響が「ない」と否定することはできないだろう。ただ、主催者側としてはそれも考慮しておくべきことではある。『願わくば、5月入場の「Yahoo!オークション」にアップされている予約券がこれ以上一枚も売れないことを祈ります。』とのことだが、残念ながら依然として予約券は出品されているし、売れてもいるようだ。
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2005年05月10日
血管強化、血液さらさら化計画 その3 トマトジュース

血管強化、血液さらさら化計画の3番目はトマトジュース。トマトに含まれるリコピンは抗酸化作用が強く、大腸ガン、肝臓ガン、膵臓ガンなど、さまざまなガンの予防が期待される。活性酸素を除去してくれるため、心臓疾患、高血圧、動脈硬化の予防にもいい。それに、前回紹介した黒酢を割るのにもちょうど良く、朝晩一杯のトマトジュースに入れて飲むと一石二鳥だ。写真のトップバリューのジュースだと200円以下で5日くらい持つ。もともと好きだったこともあって、只今実践中だ。
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2005年05月08日
「白いページの中に」柴田まゆみ
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78年、ヤマハポプコンの入賞曲。’75年「時代」中島みゆき、「わかってください」因幡晃、’77年「あんたのバラード」世良公則&ツイスト、’78年「夢想花」円広司などのグランプリ、優秀曲によって知名度があがって来た頃のポプコンの入賞曲だ。おだやかな午後、渚にそよぐ風のようなさわやかさ、透明感に、当時いたく感動した。
高校生で小遣いに乏しかったため、気に入った曲はシングルを節約して、アルバムを買って聞くのが習慣だった。この曲も、車かなんかのCMソングにも使われていたし、いずれアルバムになるだろうとのんきに待っていたのだが、あろうことか、柴田まゆみはこの一曲を残して姿を消してしまった。そのことを知った頃にはもはやシングルも店頭にはなく、以来出会いの機会を失ったまま月日が流れた。新聞広告で、なつかしのフォークソング大全集、って感じの企画ものに入っているのを見かけたことがあったが、いまさら大全集は必要なかったので、さらなる機会をじっと待って20年近い年月が流れた。そして、とうとう昨年12月にこのアルバムがリリースされていたのだった。
去年の今頃だったか、Chieriという若い女性ボーカルのカバーを入手したが、その時、オリジナルはもう、聞くことはできないのかな、と半分あきらめた。が、今回のこのアルバムは純正の柴田まゆみのオリジナルだ。もう、聞くことはないのだろう、とあきらめていただけにとても感慨深かった。17歳の時、TVでグランプリ大会を見て出会ってから、なんと27年だ。初めて、自分のステレオで聞くことができた。こんな長い時間を経て再会できた曲は、後にも先にも、この曲しかない。
「白いページの中に」。この曲をひそかに愛し、忘れずにいた人はずいぶん多いようだ。同年のグランプリ曲「夢想花」、翌年のグランプリ曲「大都会」のように大ヒットした訳ではないし、特に話題になった訳でもない。しかし、27年もの間、人々に忘れ去られることなく、記憶に残り続けた。まさに、この曲は生きている。死なない。その意味で、名曲、と呼んでいいのかもしれない。
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2005年05月07日
ミズバショウ

昨日、星置緑地にミズバショウを見に行って来た。ミズバショウを見に出かけたのは初めてだったが、時期を逃したようで葉っぱが大きくなりすぎてしまった、という感じ。緑地も思ったより小さかったが、それでも、木々の上で鳴く鳥の声が良かった。花を眺めて歩きながら、鳥の声を聞く、なんてのはそうおいそれとは体験できることではない。小鳥が鳴いてくれる世界ってのは、いいもんだ。
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2005年05月05日
ターミナル
この連休中に「ターミナル」を見ようと思っていたところ、やっと今日レンタルできた。ハリウッド映画を見るのは久々だが、アクションものではないし、俳優も良いので、落ち着いて映画を見る、という雰囲気に浸れた。
トム・ハンクスはまぁ言うまでもない、という感じだが、キャサリン・ゼタ=ジョーンズが素晴らしかった。「なんて素敵な女性だろう」と見とれてしまった。演じているキャラクターや衣装があまりに違うから気づかなかったが、「CHICAGO」でアカデミー賞の助演女優賞をとった彼女だ。「CHICAGO」の悪女から、今回は一転、知的な大人のスチュワーデス。こういう知的でかっこいい女を演じさせたら、やっぱりハリウッド女優には敵わない。ほんとに美しくて、かっこいい。
「ごめんなさい。お尻をさわる下品な客になれてしまって、あなたみたいな礼儀正しい紳士に対応することができないの。やり直した方が良いみたい。」いつもの調子でトム・ハンクス演じるビクターを食事に誘い、その事情故にビクターに断わられた後の彼女の言葉。ビクターが紳士として、男を食事に誘う彼女をたしなめたと勘違いしたためのセリフだが、ああ、なんてかっこいいセリフだろう。ちゃんとレディーのあり方を知った上で、自分を卑下し、相手を立てる。知性と教養のある成熟した大人の女性。世の中の、そして自分自身の汚れた部分をちゃんと知っているから、大切にすべきものも、その大切なものをどう守るべきかもわきまえている女性。久々に「ああ、いい女だなー」とグッと来た。
どう落とすのかと思ったら、恒例のハリウッド式の落ちだったので面食らってしまったが、それでもこの映画は良かった。映画を見たり、本を読んだりしながら、「ああ、いい男だな」、「いい女だな」、なんてことを思ったり、感じたりして心を育て、大人になって来たのだった。そんなことを感じさせてくれる映画だった。
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2005年05月04日
負け続け
この前日本ハム戦を札幌ドームに見に行った日以来、見る試合、見る試合負け続けだ。マリナーズもヤンキースもデビルレイズも。やれやれ。でも、明日は野茂のデビルレイズと松井のヤンキース戦だから、どっちかが勝つ訳だ。個人的には野茂にがんばってほしいが、さて、どうなるやら。
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2005年05月03日
札幌ラーメン共和国 〜山桜桃〜
今回は札幌から出店の「山桜桃」。このラーメン共和国を楽しみにしている人も多いだろうという配慮をしながら書いていたが(実際、私自身がそうだったし)、もうめんどくせー。別にうまかねーよ、この店。なんだ?この麺。日清のインスタントかと思ったぜ。麺に味もなけりゃ、スープも別にどうってこともない。チャーシューはゴロっとした固まりで、うまけりゃそれでもいいのだが、別にうまいって訳でもないし。めんどくせーから、さっさと固形物を片付けて、さっさと出て来ておしまい。じゃーね。残るは釧路の「河むら」だが、もういい。この店も釧路の本店で食ったが、別に何がうまいんだか、俺にはわからん。釧路ラーメンと銘打つのはいいが、当のそのラーメンは麺が絶望的にダメだ。麺くって味がしないのに、麺類って言えるのかよ。出直して来な、って感じだな。あ、あ、あ。がっかり。
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2005年05月02日
新世紀エヴァンゲリオン
土日の連休、家族がいなくなったので久々にエヴァを全編ぶっ通しで見続けた。VHSの録画をDVDに落とそうと前から思っていたのもあるが、初めて出会ったのがこの時期の再放送だったせいで、春が来ると身体がうずく。全部見ると12時間以上かかるようで、年取った今だとちょっとつらかったが、それでもやはり楽しかった。
最終話、人との触れ合いを常に避け続けてきたシンジが、アスカの首をしめる場面。初めてアスカを、他人を求めたシンジが、「イヤ!」と拒絶された後のシーン。何度見ても感動する。ピアノの伴奏とともに流れる曲、「誰もわかってくれないんだ」、シンジのつぶやき…。「主よ人の喜びよ」へと至るこのシーンは私のお気に入りだ。
アスカの首をしめる、この行為が実はシンジにとって強烈なコミュニケーションの爆発であることを、当時のティーン・エイジャーは理解してくれたであろうか?あるいは、既に大人になった今改めて見た時、理解してくれるであろうか?首をしめる、という行為は忌むべきだし、その行為を正当化しているわけでもない。そうではなく、実生活というレベルとは異なる、表現というレベルでの「意味」の問題。そこには、他者と、自分との狭間で揺れ動き、格闘する、シンジの苦悩がある。
エヴァ現象と呼ばれるほどの影響を若者に及ぼした作品だが、今改めて見ても、シンジにそれほど多くの若者がシンパシーを感じるとも思えないのだが。そうでもなかったのかな。私にはとてもよくわかるキャラクターだったが。レイやアスカはこの歳になっても、「すげーな」と思う魅力がある。案外、ブームになったのはその辺?いや、そんなことを言っては庵野に失礼だ。やはり、彼の強烈な情熱、メッセージが見る者を打つのだろう。表現とは、そういうもんなのだから。


