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2006年04月29日

ハニー・サックル復活

去年植えたハニー・サックルが復活した。完全に枯れていると思っていた茶色い蔓から、ちゃんと緑の葉っぱが伸びてきた。もともと南方系の植物のようなので、とても札幌の冬には耐えられまいと思ったが意外だった。この生命力からすると、もしかしたら今年は花も咲くかもしれない。冬も越せるのなら、どんどん伸びてベランダを蔓で覆ってくれるといいな。

初雪かずらの方は、ほんとに葉っぱが全部枯れていた。でも、剪定したところ切り口は緑色だから、大丈夫そうな気がする。これからきれいな新芽を見せてくるといいのだが。

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2006年04月27日

休みを返せ!

29日の祝日が土曜に重なったおかげで、連休を1日損してしまった。というか、今年はこのパターンが既に2回目。さらにあと2回あるから計4回。全部で4日の損だ、4日。あー、頭いてえ。貴重な貴重な休みを返してくれー。

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2006年04月26日

花粉症が直る?

私には関係ないのだが、スイスの製薬会社が家ダニ・アレルギーのワクチンを開発したらしい。今は、さらに花粉症のワクチンにも取り組んでいるらしい。「The Times」の報道。
家ダニ・ワクチンの試験は20人中19人まで改善が見られたらしいから、この調子で花粉症のワクチンもできたら大発明(発見?)だろう。まだ、先の話ではあるようだが。

花粉症 = hay fever

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2006年04月25日

gomi-yashiki

朝日新聞の英語Webページに興味深い記事があった。

TV「いきなり黄金伝説」の初期の頃、ゴミに埋もれて生活する人を更生させよう、という企画があった。家の中どころか、家の敷地をも埋め尽くすゴミの山の中で生活する人々にぶったまげたもんだったが、今、70代の老人達にそうした病的な収集癖を持つ訳でもないのに、ゴミに埋もれて生活する人が増えているそうだ。その理由の一つは、年齢、障害等で、ゴミ・ステーションまでゴミを運べない、というもの。そして、もう一つの理由が以下。

Others have been terrorized by local recycling nazis, neighbors so fanatical about enforcing the rules about how rubbish ought be prepared for collection that people are scared to put out their trash. (他の人々は、地域のリサイクルング・ナチに怖れをなしていた。というのも、ゴミ収集にどうやって出さなければならないかというルールを実施することにあまりに狂信的な近隣の人々のおかげで、怖れをなしてゴミを出すことことができないというのだ。)

かくして全国の自治体がゴミ屋敷に頭を悩ませているという。リサイクリングという環境保護のために喜ばしいはずの活動が、行過ぎて人間を追い詰めるという皮肉。老人を取り巻く環境は、地球を取り巻く環境に劣らず危機的なのかもしれない。

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2006年04月24日

初夏、かな。

寒い寒い4月が続く札幌。昨日は、初めて「初夏だなー」と思える陽気で、寒さではなく、すがすがしい涼しさを感じた。

せっかくの天気なので川原を散歩したところ、木々の色が変わっていた。枯れ木の単なる茶色から、ほんのり黄色、うす緑色がかって来ている。生命の感じられる色だ。毎年、この時期からどんどん色が変わって、葉っぱが出て、5月の中旬あたりには、つい先月まで枯れ木だったのがウソみたいに葉が生い茂る。その移り変わる様子を見るのが好きだ。

一夜明けた今日は、またまた寒い寒い4月。早くあったかい日差しの中で、川原を走りたいなー。

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2006年04月21日

ルーシー・ブラックマンさん殺害事件

元英国航空の女性客室乗務員、六本木ホステス、ルーシー・ブラックマンさんが、失踪後バラバラ遺体となって発見された事件。その裁判記事がイギリスの「The Times」に掲載されていた。証言台に立ったルーシーさんの母、ジェーンさんの言葉が生々しいまでに悲しみを伝えている。英語を勉強し始めて1年余りになるが、これほど心を揺さぶられる英文を読んだのは初めてだ。とても原文の痛々しさを伝えられるものではないが、試みに抜粋して訳してみる。

記事はこのように始まる。

The utter anguish of a mother who loses a child to murder was laid bare yesterday when Jane Steare told a court of the unrelenting pain she had suffered since Lucie Blackman was drugged, killed, dismembered and buried in a Japanese seaside cave.
(子どもを殺人で失った母親の深い苦悩が吐露された。昨日、法廷でジェーン・スティアさんは、娘のルーシー・ブラックマンさんが薬物を飲まされ、殺害され、遺体を切断され、日本の海岸の洞窟に埋められて以来の間断ない苦しみについて語った。)

中略

“I spent seven months praying (Lucie) be found (alive), but my worst fears came true when she was found not only dead, but her beautiful body had been chainsawed into pieces, her beautiful long blonde hair had been shaved off and her head had been encased in concrete,” she told the court, struggling to control her emotions.
(「7ヶ月の間、私はルーシーが見つかってほしいと祈りながら毎日を過ごしました。が、最も怖れていたことが現実のものとなってしまいました。彼女は死んでいたばかりか、彼女の美しい体はチェーン・ソーで切り刻まれ、美しい長いブロンドの髪は剃り取られ、彼女の頭はコンクリート詰めにされていたのです。」法廷で彼女はこう語った。必死に感情を抑えようとしながら。)

“I used to believe that the sorrow of any parent losing a child is the greatest sorrow anyone can know. I was wrong. To lose a child and know her body was desecrated in such an inhuman way is the greatest and most unrelenting pain I have ever had to endure. It is with me day and night.”
(私は今まで、子どもを失った親の悲しみは誰もが理解することのできる最も大きな悲しみだと信じていました。私は間違っていました。子どもを失い、そしてその子の体がそのような非道なやり方で冒涜されたことを知ること、それこそが最も大きな、そして最も止むことのない苦しみです。これまで私が耐え忍ばなければならなかった、そして、今なお昼も夜も私と共にある。)

中略

“I was so proud to be a mother when she was born. I would watch her sleeping and wonder at the beauty of her little hands and feet.”
(私は彼女が生まれた時、母になったことをそれは誇らしく思いました。私は彼女が眠っている様子をよく見守っていたものです。そして、彼女の小さな手と、足の美しさに不思議な感動を味わったものです。)

“I’ll never see her face, hear her voice or stroke her beautiful hair ever again. I will never smell her lovely skin. I’ll never hear her laughter. All I feel is this deep longing ache which never goes away.”
(私は、もう彼女の顔を見ることは決してないでしょう。彼女の声を聞くことも、彼女の美しい髪をなでることも、もう二度。私はもう彼女のかわいい肌のにおいをかぐことは決してないでしょう。彼女の笑い声を聞くことは決してないでしょう。私が感じるのは、ただこの深い、絶え間ない痛み、決して消え去ることのない痛みだけです。)

織原城二被告は、服を脱いで洗面台にしがみつき、出廷を拒否したそうだが、その彼についてはこう語っている。

“The fact that Obara has refused to attend court to face the families of his victims today is very dishonourable and a clear sign of his guilt,” she said. “He is a coward.”
(「織原が今日、犠牲者の家族と対面する法廷への出席を拒否した事実は、極めて恥ずべきことであると同時に彼の有罪を示す明らかな証拠です。」と彼女は言った。「彼は、憶病者です。」)

http://www.timesonline.co.uk/article/0,,3-2143931,00.html

それにしても、事件のあった2000年当時にはうるさく報道されていたのに、その後はさっぱり報道された記憶がない。裁判は去年から始まっているようなのに。昨日の裁判も、「The Times」が報じていたから目についたが、そうでなければ気づかなかったような気がする。Webで調べた限りでは、朝日に記事はないし、毎日と読売も簡単な記述しかしていない。

なんでも、被告は在日韓国人or朝鮮人らしいのだが、ネットでざっと調べたところ、日本のマスコミは在日朝鮮人の犯罪は報道しない、という風説が流れているようだ。

http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/23140866.html

http://coronstyle.exblog.jp/1932434/

http://chapel.vivian.jp/mt/archives/200503/24-171959.php

真偽のほどは定かではないが、外国人女性のバラバラ殺人というショッキングな事件で、しかもその被害女性の母親が来日して法廷に立っているというのに、妙だな、という感は否めない。報道で判決がどうなるというものではないにしろ、ルーシーさんにこんな酷い死に方をさせてしまった国としては、来日した母親のためにもせめて誠意ある報道をお願いしたいものだ。

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2006年04月20日

竹島問題~「朝鮮日報」社説より~

緊迫しつつある竹島問題。韓国側の報道を見てみた。その中で、特に過激だったのが「朝鮮日報」の社説。韓国の見方は日本とはまるで違うのだということが、はっきりわかる点で興味深い。題して「A Call to Diplomatic Arms」(外交的武装を求む)。以下、適宜抜粋する。まずは、韓国大統領の言葉から。

"While we have been conducting a silent diplomacy for several years, Japan has been shifting to the offensive. If a Japanese government vessel intrudes into our exclusive economic zone, we have no alternative but to regard it as an act of invasion."
(ここ数年我々が静かな外交を行っているうちに、日本は攻撃に転じて来た。もし日本政府の船が我々の排他的経済水域に進入して来た場合、我々はそれを侵略行為と見なさざるを得ない。)

日本の思惑について。

A survey vessel is not classified as a civilian vessel like a fishing boat, but as a government ship. If it is seized by our maritime police, Japan would immediately refer us to the International Tribunal for the Law of the Sea. Should that happen, the Dokdo islets and nearby seas would become a conflict area in the eyes of the international community, and chances are that a court ruling would be favorable to Japan. That is the very scenario Japan has in mind.
(調査船は釣舟のような民間船ではなく、政府船に分類されている。もし、それが我々の海運警察に拿捕された場合、日本は直ちに我々を海洋法の国際法廷に訴えるであろう。そうなった場合、独島(竹島)とその付近の海域は国際社会に紛争地域と見なされることになり、裁定は日本に都合の良いものになるだろう。これがまさに日本の思い描いているシナリオである。)

Japan has started translating words to the effect that the Korean islets are Japanese territory into action. The new Japanese leadership, including Prime Minister Junichiro Koizumi, is armed with unilateral thinking that there is no need to consider their country’s Asian neighbors. Japan also believes that the United States, which in the past would have intervened before a Korea-Japan dispute got out of hand, values its relationship with Tokyo more.
(日本は、韓国の島が日本の領土であるという主旨の言葉を、行動に移し始めた。新たな日本の指導者は、小泉首相を含めて、アジアの近隣諸国への配慮は必要ないという一方的な思考で武装している。日本はまた、かつてアメリカが日韓の論争が手に負えなくなる前に仲裁してくれたであろうように、日本との関係をより重視してくれるだろうと信じている。)

そして、結び。

If the government is so incompetent, the people must take over. Each citizen must make it clear that they are willing to safeguard the Dokdo islets and repel Japan's stealthy invasion.
(もし、政府があまりに無力であるならば、国民が引き受けなければならない。国民一人一人が独島(竹島)を守り、日本の忍び寄る侵略を撃退したいと願っていることを明確にしなければならない。)

怒れる戦争被害者の目には、にっくき日本がまた侵略を開始したというふうに見える、ということなのだろうか?中国にしろ、韓国にしろ、むしろ政府が一方的にそうしたシナリオをでっちあげて国民を煽り立てているように私には見える。そして、良いように踊らされた(あるいは、率先して踊っている)国民は、実際の領有権がほんとはどっちにあるかなどには興味はなく、「侵略国家日本」を叩く快感に我を忘れている、といったように見える。

例えば、日本には以下のようなサイトがある。恐らく、世界で最も詳細な竹島問題調査であろう。

http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/

韓国にもたぶん独島(竹島)領有の正当性を訴えるページはあるのだろうが、はたして正当性の根拠をどこにおいているのか、是非とも見てみたいものだ。

ps.
2006/04/21追記

今日の朝、「ズームイン朝」を見ていて知った。韓国では小学校から教科書に竹島問題が取り上げられており、韓国固有の領土と教育されるらしい。しかも、歌まであって、それがサッカーの日韓戦で国威発揚のために歌われたりもするらしい。
今回の一件で臨時授業となった小学校では、独島(竹島)が韓国の領土である理由を小学生達に書かせて提出させたりもしている。TVで見たその理由は二つ、独島は512年から韓国の領土、戦後は連合国も独島を韓国に返還した、というもの。

こうした国家的偏向教育で戦争をしでかした故に、日本にはもうそれをしまいというブレーキが民衆の間に形成された。韓国、中国にはそれがない。殊に、にっくき対日本という関係の問題に関しては、無批判に国家の言いなりになってしまう。

独島は韓国固有の領土、とわけも分からぬ子供の頃から叩き込まれ、歌まで歌わされて育った国民には何を言っても通じまい。だが、そう考える私の目もまた、この日本という国のもろもろによって曇らされているのだろうか?日本、韓国、双方に、もう一度自分の考え方、相手国の見方を曇りなき眼で問い返し、お互いに真実に歩み寄ろうとする人間はいないのだろうか?日韓両国の知性とは、その程度のものなのだろうか?

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2006年04月19日

たまにはいいだろう

平日の娯楽は慎んでいるのだが、「タッチ」にはまだその後があるので、なんとなく見たい気がして落ち着かない。もう英語のヒアリングの勉強もやったし、たまにはいいだろう。

さて、ということで「Miss Lonely Yesterday あれから、君は…」を見ることにしよう。

ps.
見終わった。
いやいやいや、まいった。やめときゃ良かった。どっとしらけてしまった…。

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2006年04月18日

終わった

「タッチ」が終わった。不吉な暗示があったので心配したが、不幸な結末にはならなかったようだ。感想は、休みにまた読み返してゆっくり書くことにしよう。

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2006年04月17日

ラストだ

これから、「タッチ」のラスト2巻を読む。

どうやら、達也は私の想像を超えていい奴だったようだ。不吉なラストがあちこちに暗示されている。読むのが少しためらわれるが、といって読まずにすます訳にも行かないし。

そんじゃ、行くか。

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2006年04月15日

「タッチ」~封じられた心~

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たまたま街で book off に入り、「タッチ」を見かけた。映画に好印象を受け、そのうち読んでみようと思っていたので買ったは良いが、1巻のあとが9巻まで飛んでいる。さすがにいきなり9巻まで飛ぶのもなんだな、とずるずる欠けてる巻を探して古本屋めぐりをすることになってしまった。ここぞという古本屋を軒並み見て回って、それでも24巻までそろえた。後は最後の2巻を残すのみだ。最後の店で、一冊だけ抜けてた7巻がズッポシはまったのには感動した。

さすがに人気の漫画だけある。これは良い作品だ。はっきり言って映画など比較にならない。特に達也。こいつはほんとに良い奴だ。弟のために、そして何よりも愛する南のために、封印した心。決して和也と競わないこと、優秀な弟を持ったダメ兄貴でいること、南と和也の間に割り込まないこと。そうやって、心と、同時に自分自身の力を封じ、道化を演じ続ける彼の揺れる心情がビシビシ胸に来る。

今、6巻まで来たところだが、中でも4巻が良かった。高校に入学し、ついに野球部への入部を達也が決意するシーン。そこで回想される3人の過去。南の描いた的にめがけて、達也と和也がボールを投げる。やすやすと命中させる達也。その達也にキスする南。ショックから猛然と一人練習に打ち込む和也。それを見る達也…。現在に至る彼らのすべてを暗示する素晴らしいシーンだ。「やいてるんだ、タッちゃん」と言われ、達也が思わず南を叩くシーンも良い。

その努力のすべてを南のために注ぎ込む弟を、その弟に自分の夢をかけている南を、そしてそうやって一緒に進んで行く二人を、彼らのためにそっと見守る達也。だが、抑えても、抑えても南への想いは募り、南のちょっとした言葉、行為にも動揺する。もしかしたら、いやそんなはずはない…、そんな達也の葛藤が手に取るように伝わってくる。そして、良い人を演じる彼の中に潜む、怖れ、も。

良い本に出会った。先を読むのが楽しみだ。

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2006年04月14日

ストリート・パフォーマンスか

札幌、狸小路の夜。10年くらい前からだろうか、ストリート・パフォーマンスをする若者がすっかり定着したようだ。飲み会の帰りに3丁目から眺めて通った。

ほとんどがフォーク・ギターをかき鳴らすだけの、素朴なパフォーマンス。二人組の男の子のパフォーマーの前には、二人の女の子が座っている。一人の男の子のパフォーマーの横には一人の女の子が座っている…。可愛いもんだ。2丁目あたりで妙に客を集めている3人組がいたが、これはおっかけが前に陣取っている。人気グループなんだろう。そこを過ぎてちょっと行ったところに、ブルースハープのうまい奴がいた。3丁目以東では、唯一ちゃんと演奏してるって感じ。へー、とちょっと感心した。

本人達も、別にプロに成り上がろうと思っている訳でもなかろう。それにしては下手すぎるし、人の目を引くものもない。あてもない若さの発散、だとか、ちょっとかっこつけて、彼女といっしょに夢見た振りをしてみたり、といったところか。何かを探しているんだか、いないんだか、何かを求めているんだか、いないんだか…。

まさに、若さ、って感じかな。

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2006年04月12日

寒い

いやー、寒い。2月から3月初めにかけて暖かい日が続いて、例年にない大雪があっと言う間に解け、今年は春が早そうだなー、と思ったのが間違いだった。その後は寒い日ばかりだ。このぶんで行くと、ゴールデンウィークに札幌は雪が降る。

たぶん。

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2006年04月11日

スープカレー「SPARK」2

すっかりお気に入りとなってしまった東区役所前の「SPARK」のスープカレー。今のところ、チキンのみに絞って辛さを一段階ずつあげている。この前はレベル5。その前にレベル4を普通に食べることができたので、ちょうど良いくらいかと思ったら、これが辛かった。
最初にレベル3を食べた時もそうだったが、食べる前にビールを飲んでいるとよけい辛く感じるのかな。レベル4の時は素面だったおかげで、特に辛く感じなかったのかもしれない。が、辛いほどうまさもグレードアップする、ような気がする。残るは最高レベル6だが、さすがにこれはちょっと勇気がいりそうだ。

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2006年04月10日

「タッチ」

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原作はあまりにも有名だが、私は読んだこともないし、どんな話かも知らない。が、CMで見かけた長澤まさみさんに強烈な印象を受けたので、一度見てみたいと思っていた。春のうかれ気分で昨日見てみたところ、予想通り長澤さんが素晴らしかった。

性格的に純で清楚な役柄だし、見た目的にもいわゆる美少女という顔立ちでもないから、普通なら目立たず、可もなく不可もなくという感じになりそうなところだが、がっちり存在感を感じさせていたのには驚いた。まさに正統派という感じ。すっかり魅了されてしまった。

マニアの多い超有名アニメの実写だけにかなり気を使ったのだろう。若さ、ユーモア、すがすがしさといった全体の雰囲気作りも悪くない。上杉兄弟を演じられる双子の役者が存在したのも大きいだろう。が、なんと言ってもすべてを支えているのは長澤さんの魅力、これに尽きる。そこにいるだけで画面が映える、素晴らしい。この映画は彼女を見るためにできている、と思うのは私だけではあるまい。

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2006年04月09日

今より、もっと大きなチャンスをつかむために

「あなたの夢叶えます」。さんま恒例の正月番組。好きな番組なので今年の正月も見ていた。いつも必ず、うーむ、とうならせられるものがある。砂漠のオアシスで水を飲みたい、中国の山奥に郵便を届けたい、などなど、心に残っているものがある。中でも、今年は特に心に残る企画があった。「世界的なオーボエ奏者、宮本文昭氏に会いたい」。すさまじく心を動かされた。

トランペットを志しながら、入った高校ではトランペットを吹かせてもらえず、オーボエの役割を与えられた少女。管楽器の花形、トランペットを吹かせてもらえない挫折感の中、慣れないオーボエの練習をしていた時に彼女が出会ったのが宮本文昭氏のオーボエだったそうだ。なんてすばらしい音色だろう、閉ざされていた彼女の心が開いた。もし、夢が叶うのなら、宮本文昭氏に会いたい。

ベートーベンの第9、だったろうか。記憶が飛んでしまったが、中学時代に出会ったクラシック音楽に見せられ、クラシック音楽の奏者になりたいと宮本氏は志したらしい。その歳からできる楽器はオーボエくらいしかない、と言われ、オーボエを始めたそうだ。

サプライジング。宮本氏に会うために教会を借りて特訓を始めた少女。だが、思うような演奏ができない。途切れがちな彼女のフレーズに続けて、突然、宮本氏の伸びやかなメロディーが奏でられる。そこに、あの、宮本氏がいる。あこがれた氏と、ともに奏でるメロディー。夢は叶った。

それにしても、宮本文昭さん。なんて、すばらしい、人だろう。オーボエを始めて1年くらい先生に習った後、その先生に、あなたはオーボエに向いてない、と言われたそうだ。「そうか、俺はオーボエに向いてないのか。なら、その俺がどのくらいオーボエでやれるのか、試してみようじゃないか。」

トランペットを封じられた挫折感を持つ彼女に、宮本さんは切々と語りかける。僕もそんな劣等生だったんだよ、と。心さえあれば、そして自分を信じてがんばれば、大丈夫なんだよ、と。そして、最後にその言葉が語られた。「間に合って、良かった」。

宮本さんは、今、プレーヤーをやめて、新たな世界に飛び込もうと考えていたらしい。「もし、僕がプレーヤーをやめてしまった後だったら、遅かったかもしれない。まだ、僕がプレーヤーでいるうちに、あなたに会えて良かった。間に合って、良かった」。

ああ、宮本さんは、ほんとにこの少女の可能性を信じているんだな、と思った。かつて、自分自身が、今の少女と同じように、誰に注目される訳でも、誰に期待される訳でもない、ごく普通の場所から上を目指していた経験があるからなのだろうか。自分に差し伸べられた、名もない手に、真剣に応えようとする宮本さんの姿勢にいたく胸を打たれた。

今、僕はプレーヤーとしての自分を捨てて、新しい世界に飛び込もうと思っています。今持っているものより、もっと大きなチャンス、可能性をつかむために、今この手につかんでいるものを離そうと思っています。

あなたは、トランペットを失ってショックを受けているかもしれない。でも、心を開きなさい。今、あなたはトランペットをやっていては決して得られなかったかもしれない、もっと大きなチャンスを手に入れている。トランペットをやっていた時の自分より、もっと大きな自分になれるチャンスを得ている。だから、トランペットを持っていたその手を勇気を出して離しなさい。もっと、大きなチャンスを、可能性をつかむために。

「今持っているものより、もっと大きなチャンスをつかむために、今握っているその手を離すんだ」。この言葉が今年の正月からずっと耳について離れない。手を離せば、落ちる。それでも、勇気を出して手を離す。あるのか、ないのかわからない可能性にかける。魅力的だ、が、怖い。が、魅力的だ。そんな堂堂巡りをしていたが、始めから答えは出ていたのだ。この言葉に出会ったその時に。

さ、新たなチャレンジの始まりだ。

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2006年04月08日

ジョギングシーズン開幕

今年、初めてのジョギングをして来た。豊平川の河畔は、まだところどころに雪は残っているが、ちゃんといつものコースを全部走ることができた。寝転がって空を見上げるのも実に久しぶりで気持ちいい。

向こう側に見える藻岩山、盤渓、手稲山などはまだ雪景色。札幌は結構いろんな山に囲まれているんだな、と改めて感じさせられる。今年は例年以上に一生懸命走って体力つけて、しっかり勉強することにしよう。

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2006年04月07日

頼むぜ、城島

開幕2試合連続ホームランに続けて、1敗のあと3連勝か。城島のスタートは好調だ。
ずっと正キャッチャーに悩んで来たマリナーズだけに、城島は救世主になるチャンスがある。佐々木も、イチローも、マリナーズですばらしいメジャーデビューを飾っているし。
万年最下位でさすがのイチローもやる気を失いそうなマリナーズだが、チームから見ればほんとに良いキャッチャーが入った。勝つことを知っているし、技術もガッツもある。勝つことを忘れてしまったチームを変えるには絶好の選手だ。
頼むぜ、城島(こう書くとTOKIOのリーダーみたい)。地区優勝戦にからめるチームにしてくれよ。

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2006年04月06日

疲れた

年度初めのせいだろうか。今週は毎日、毎日忙しい。疲労が溜まって、もういいわ、って感じだ。明日が金曜で助かった。

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2006年04月04日

春だ

060404.jpg会社帰りに見つけたクロッカス。今年、初めて見た路傍の花。朝のテレビで札幌は根雪が消えたとか消えないとかわいわい言っていたが、ちゃんと春はやって来ているようだ。

いつのまにやら咲いていた花にも、会社帰りにこんなに明るいのにも驚かされた。先週はまだ暗かったような気がしたが。昨日はまた雪が積もる天気だっただけにいっそう意外だった。

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2006年04月02日

リトル・ランナー「Saint Ralph」2

saintralph.jpgキャスティングが非常に良い。

母親エマ・ウォーカー役:ショーナ・マクドナルド。ベッドに横たわるだけの動きのない演技だが、上品で情愛深い雰囲気が伝わってくる。

アリス看護婦役:ジェニファー・ティリー。個性的な声と容貌を持ち、ラルフにウェート・トレーニングを指導するパワフルなキャラクター。だが、その強さの裏に、親思いのラルフをがっちり見守るやさしさを覗かせる。

ヒバート神父役:キャンベル・スコット。ニーチェに心酔する厭世的な神父。怪我、戦争によってマラソン選手としての活躍の場を奪われ、希望を失ったままずるずると聖職者を演じつづける灰色の日々の中で奇蹟に挑戦するラルフに出会う。誰もに笑われながら、なお挑戦することをやめないラルフを見るうちに、彼の中で何かが変わって行く。陰のストーリーを良い雰囲気で担っている。

校長フィッツパトリック神父役:ゴードン・ビンセント。大司教にさえもなろうという神に最も近い大神父。カトリック教会の厳格さをまざまざと体現するする素晴らしい存在感。その地位と厳格さ故に、他者の意見を聞く耳を持たない。ラルフのおろかな挑戦をやめさせ、普通の少年にしてやることこそが真の愛情なのだと信じて疑わない。

ラルフの恋するクレア役:タマラ・ホープ。尼僧になって人々に奉仕しようという志を持つ少女の意志の強さを非常に良く表している。凛とした大人びた雰囲気と、次第にラルフに惹かれてゆく乙女心との間で揺れる雰囲気がとても良い。

親友チェスター役:マイケル・カーネフ。個人的には彼のキャラクターが一番気に入った。型破りな変人を友人に持ってしまった優等生。メガネをかけた小柄でまじめな秀才。主人公ラルフとの対比が非常に良い。こういう脇を固める役柄を、この歳でがっちり演じられる俳優がいるのすごい。

主人公ラルフ役:アダム・ブッチャー。何よりも眼差しが涼しい。何かするとあっちにぶつかり、こっちにぶつかりと校則違反ばかりだが、けっしてスレていない。常識のタガをはみ出したスケールの大きさと、母親思いのやさしさと、そして一度決めたら退かない意志の強さと、そんなもろもろをその涼しい瞳が語っている。素晴らしい。

さて、物語はボストン・マラソンへと着々と進んで行く。入院中の母親しか身寄りのないラルフは、家財道具を売って生活費を捻出し、祖母と暮らしていると学校にうそをついてなんとか生活をしている。だが、まともな保護者がいないことがばれればミッション・スクールにはいられない。施設送りとなってしまう。しかし、ボストンで奇蹟を起こせば、それもこれもすべて解決する。すべてはそれまでの辛抱だ。
図書館で見つけた伝説のランナーの本。忠実に、そこに書いていることをひたすら実践する。「マラソンは、精神力へのチャレンジだ。もうだめだ、と誰もが思う、その壁をどうやって越えるかだ」。周囲に嘲笑されても、市民マラソンでビリになっても、ヒタヒタと彼は努力をやめない。定期的に訪れる病院。決して目を開けぬ母に、彼はたんたんと語りかける、そして努力が続く。

がんばる人の周りには、無条件で応援する人が集まる。ラルフもそうだ。親友チェスター、コーチ役をかって出たヒバート神父、看護婦のアリス、そしてガールフレンドのクレア。かつて彼を嘲笑していた学友達も町の人々も、皆がラルフを応援し始める。市民マラソンで最年少優勝を果たし、「もしかしたらこいつは?」という期待感が皆に沸き始める。

でも、なぜなのだろう?別に彼らは走りたい訳でも、走るのが好きな訳でもないのに、なぜ彼らはラルフを応援するのだろう?なぜ、人はがんばる人の下に集まり、応援するのだろう?物語に限らず、現実世界でも良くあることだ。以前から、不思議に思っていたのだが、その答えが分かった。人は、高いものにあこがれ、高いものを目指す。それが人間の習性なのだ。気高いものに惹かれ、気高いものへ敬意を払う、不思議なことにこの穢れた人間という動物はそういう習性を持っているらしい。だが、人は誰しもがそうした高みにチャレンジする能力を、精神を持っているとは限らない。でも、そうしたものへのあこがれ、敬意を払う性質は内在的に存在している。だから、無条件に高みにチャレンジする人間に出会った時、血が、さわぐのだ。その高みへ行く様を見てみたい、それに関わりたい、そして応援しながら、そのチャレンジに自分も参加したい。そんな想いが湧き上がるのだろう、という気がした。

レースの時、校長の命令にそむいてヒバート神父が駆けつける。クレアは教会で祈る。看護婦のアリスは母の枕もとにラジオを持ってきて観戦する。そして、親友チェスターは放送室に立てこもって校内放送で中継する。それを聞く誰もが彼を応援する。デッド・ヒートが繰り広げられる。ラルフは勝てるか?負けるのか?最後の直線コースの競り合い、放送を止めさせようと駆けつけた校長もついにラルフを応援したその時、レースは決着した。

「Saint Ralph」。聖ラルフ。限界に挑む、ラルフの奇蹟にチャレンジする過程が、ちょうど聖人に至る試練と重なっている。物語中の授業で語られるアッシジの聖フランチェスコ。彼も若いときはいけいけのプレイボーイだった。フランチェスコとはいささか異なるが、彼もまた同様の道を歩いていることが随所で暗示されている。物語のラスト、ステンド・グラスに象られるラルフは、この映画の原題「聖ラルフ」とともに彼の将来を暗示する。物語中の時間の進行が、聖人たちの記念日を区切りとして語られたのも全編の雰囲気を良く作っていて心地よかった。良い時間を過ごさせてもらった。サポーターで良い、人生でほんとにこんな人にめぐり合うことができれば、休日のひと時の時間ではなく、人生そのものが楽しかったりするんだろうな、という感じがした。

リトル・ランナー公式サイト

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2006年04月01日

リトル・ランナー「Saint Ralph」

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映画の日。ということで、この「リトル・ランナー」を見て来た。

ミッション・スクールの問題児が、昏睡状態に陥った母を救うために奇蹟を起こそうと、ボストン・マラソンにチャレンジする物語。構想としてはありがちなパターンではあるが、にもかかわらず奇をてらわずにスタンダードに作り上げ、かつそれできちんと全編をクオリティー高く仕上げた良い作品だった。久々に良い映画を見させてもらった。大いに感動と、そして満足をさせてもらった。

札幌はファクトリーのユナイテッド、JRタワーのシネマ・フロンティアという設備の良い映画館の登場によって、街中の昔ながらの映画館はかなり姿を消した。設備が良いに越したことはないし、それで私自身スター・ウォーズを楽しませてもらったりもしているのだが、正直言って、最新の音響設備だのなんだのを備えた映画館で金のかかった派手なハリウッド映画を見ていると、アメリカ的遊園地にまぎれこんでしまった遊園地ぎらいのおっさんという感じで、正気に返ると興ざめすることもしばしばだ。

今日行ったのはスガイ。札幌の老舗中の老舗だ。そして、上演されたシアターも、20年前の大学の頃に来た時とおんなじ。この前、「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」を見た時にも感じたのだが、「そう、そう、映画ってこんな雰囲気で見るもんだったよな」という感慨に襲われた。別に今のように良い音響設備がある訳でなく、座席だってただ座れれば良いって感じで、それでも眼前に広がる世界に我を忘れて満足して帰る、そんな感じ。設備が良いに越したことはないが、最後に人の胸を打つのは、設備や金のかかった演出ではなく、映画の世界そのもの、そんなもんだよな、なんて思っていたら映画が始まった。

酒、たばこ、覗きetc。現代社会から見ればたわいもない悪さだが、彼の通うミッション・スクールでは大問題。そのミッション・スクールの問題児が「あなたのお母さんが意識を取り戻すためには、奇蹟が必要よ」と知らされる。「奇蹟」。ミッション・スクールだけに、この言葉にも世俗と違う意味がある。「奇蹟」はジーザス・クライスト、神の御業。神父ですら口にするのが不敬にあたるこの言葉を、まして問題児のラルフが起こしてみせるなどと語ることはとうてい許されない。ラルフの「奇蹟」へのチャレンジと、そのチャレンジへの弾圧が始まる。

(続く…)

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