2007年09月29日

エヴァンゲリオン劇場版:序

エヴァンゲリオン劇場版 序
ぺんぺんストラップ付の前売りは買っていたものの、なかなか見に行けなかったエヴァ。満を持して今日見に行って来た。

どんな風に作られているのか、どの回までやるのかetc…、何の予備知識もなかったので、最初はやっぱ、ところどころ手を入れてはいるものの、ダイジェスト風にまとめただけなのかな?という印象を受けた。だが、見終わった後にはさすがはエヴァ、さすがは庵野秀明、と心から賛辞を送った。素晴らしい。やはり、エヴァは、本当に素晴らしい。

語られなかった部分がたくさんあるから、その辺を小出しにしてつないで行けば、そこそこのリメークもんは作れるのだろうが、あのエヴァンゲリオンを作った庵野秀明が、そんなことをするはずはないのだ、ということを再確認させられた。この劇場版は劇場版なりの完結を目指していることが見ているうちにわかった。だから、逆に、いったいどの回のどの辺で、どうやって落とすんだろう?と見ながら心配になって来た。アスカ登場のあたりか?、いやその前くらいか?とか、いろいろ想像しながら見ていたが、予想はまったく裏切られ、八島作戦がEndだった。

「機動戦士ガンダム」に出会った時、恐らくこれを越えるアニメは出現しないだろう、と思った。「宇宙戦艦ヤマト」の時にもそう思ったが、その予想は裏切られ、「機動戦士ガンダム」が出現した。ガンダムのすごさは、ヤマトの比ではなかった。ガンダム以前、ガンダム以後、という歴史区分が可能に思えるほどのすごさを持っていた。だから、いくらなんでも、これを超えるアニメはさすがに無理だろう、と思った。だが、そのガンダムにどっぷりのめり込み、そのガンダムを超えるアニメを作り上げる男がこの世に存在した。それが、庵野秀明だった。

絵だけは、エヴァ出現後も進化を続けている。エウレカ7、プリキュアあたりの絵は感動的に美しい。だが、脚本、物語世界の創造、という点では、エヴァを超えるものは皆無だ。どれもこれも足下にも及ばない。

なんて、素晴らしいんだろう。映画の終わりに、あまりの素晴らしさに涙が流れた。こんなにすげーアニメを見たのは、「エヴァンゲリオン」以来だぜ。エヴァの前にエヴァなし、エヴァの後にエヴァなし、みたいな感じだ。あの知り尽くした、見尽くした八島作戦を、ここまでリニューアルして大きな山場として見せてくれた庵野秀明に、改めて感謝。

あまりの素晴らしさに、グッズを衝動買いしてしまった。一番気に入ったのは、ネルフのロゴ入りのクリアファイル。良いなー、まるでネルフの一員になったようだなー、と思いつつ、もったいなくて使えない。それじゃ、意味がないから、保存用の他に使用用のをまた明日買って来るか。

ああ、続きはいつ公開なんだろう?来年かな?また、新たな楽しみが生まれた。

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2006年11月23日

プラダを着た悪魔

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「プラダを着た悪魔」を見て来た。原作はペーパーバックで既に読んだが、英語の原文で読んだ作品を後から映画で見るなんて生まれて初めての経験なので、どんなだろう、と非常に楽しみにしていた。原作が抜群に面白かっただけに、どうやって映像に仕上げるんだろうという興味もあった。

まず、登場人物のキャラクターががらっと変わっていたのに驚いた。特に主人公アンドリアの友人達。はっきり言って、これはやりすぎだな。ファッション界との対比のためにより庶民的に、と考えたのだろうけど、すごく安っぽくなっていて原作にある親密さに欠ける。正直言って、え?という感じで幻滅した。

ミランダ・プリーストリーもかなり違う。原作ではもっと底意地が悪くて、かつ、寡黙でミステリアスな存在だ。子供並みの小柄な女性なのに、信じられない son of a bitch ぶりを発揮するところに魔女めいた独特の雰囲気がかもし出されるのだが、映画では主人公アンドリアとの対比を鮮明にするためか、意外によくしゃべる。が、メリル・ストリープの演じるミランダは、これはこれでグッドだった。姿に気品があるし、老いても美しいし、スピーキングもきれいだ。一流のファッション雑誌を張ってる鬼編集長という迫力もある。長編の原作を映画の時間内に収めるためにストーリーも大幅に変更されていたが、その新たな映画のストーリーのコアとなっているのが、メリル・ストリープ演じるミランダVS主人公アンドリア、という対立の図式のようだ。人物構成が明確になった分、結末は、原作とは違った良さが出ていたようにも思う。これはこれでOKかな、という印象を受けた。惜しむらくは、なぜ、ジャーナリスト志望のアンディが畑違いのランウェイを辞められないか、という動機付けが甘かったこと。ここで、1年頑張れば、runway という雑誌の知名度とミランダ・プリーストリーの力で、アンディの望むジャーナリストへの道が開ける可能性がある。だから、恋人とすれ違っても、彼女は仕事、ミランダを何よりも優先せざるを得ない。あと、少し、あと少しの辛抱、という彼女の切羽詰った焦燥感が希薄なために、彼女と恋人、友人達との確執が甘くなっている。そして、何よりも、彼女の最後の選択、決断の重みが希薄になっている。

個人的にもっとも楽しみにしていたのは、エミリーだったのだが、ちょっと残念だったな。原作のように、主人公アンディを圧倒するくらいの俳優を配置してほしかったが、それもメリル・ストリープが一人で受け持っていた、という感じだった。もっと残念だったのは、ジェームズとエデュアルドが出て来なかったこと。アンディのパンティラインを見て、ぞっと身震いするジェームズ、改札でひっかかったアンディに通りたければ「マテリアル・ガール」を歌え、と迫る看守のエデュアルド。どちらも私のお気に入りだったのだが…。

が、全体としては、これはこれで良かった。特にヒロイン、アンディを演じたアン・ハサウェイ。すごくチャーミングだ。が、ただ可愛いだけではなく、迫力というか、存在感がある。アメリカの女優ってすごいな、と改めて思った。

PS. そうそう、この映画、音楽が良かった。ファッションもさることながら、個人的には音楽に一番楽しませてもらった。最初に流れて来たのは sixpence none the richer かな。madonna の vogue は、まぁ、そうだろうな、という感じがしたが、U2まで流れて来たのには驚いた。全編を通して、ほんとに音楽が良かった。

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2006年06月17日

ダ・ヴィンチ・コード

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キリスト(あるいはキリスト教)の秘密、という最高にスリリングな題材を取り上げて、その題材の大きさにつぶれないだけのプロットを張った手腕はみごとだった。そして、画面の背景を彩る名画達。舞台も申し分がない。が、最も感動的だったのは、これほどの舞台をも凌駕する俳優達。すばらしい、演技、存在感だった。

まず、シラス。すさまじい雰囲気、存在感だった。宗教の暗黒面の不気味さ、凄惨さをあますところなく表現していた。この映画は彼なしには存在し得なかったと言って良い。

そして、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ。私の大好きなキャサリン。今回の映画は、彼女がこれほどの女優だったのかと、鳥肌の立つ感動を味わった。まず、「ターミナル」の時と顔が違う。単にやせたのか、役作りのためなのか、(たぶん後者だろう。「シカゴ」と「ターミナル」でも別人のようだったから)最初は似てるけど違うな、と思わせられるほど印象が違った。その上、フランス人役としてフランス語を話している。しかも、圧巻なのは、フランスなまりの英語を話していたことだ。

見た目の印象が違うし、発音がフランスなまりだし、声のトーンもキャサリンの声より高いから、やっぱり別人だ、と私は20分後に断定したのだった。今に、キャサリンが出てくるはずだ、と。が、展開的に、この後キャサリンが出てくる気配はまったくない。うーん、するとやっぱりこれがキャサリンなのだろうか、と思いつつ、いやそんなはずはない、と思いは乱れ、時間の経過とともについに彼女しかキャサリンが演じる役はあり得ない、やはり彼女がキャサリンだ、と納得させられた時に、私は心の底からキャサリンに感動した。なんてすげ―女優だろう、と。

「ターミナル」、「シカゴ」、「オーシャンズ12」などを見た人なら、共感してもらえるのではないだろうか?今回のキャサリンは、今までにない、まるで少女のような雰囲気をかもし出していた。また、新たなキャサリンの魅力を前にして、私はただただスクリーンに見とれていた。

トム・ハンクス、ジャン・レノ等、他の俳優人も言うまでもなく素晴らしかった。あんまり良かったので、原書で原作を読んでみることにした。

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2006年04月10日

「タッチ」

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原作はあまりにも有名だが、私は読んだこともないし、どんな話かも知らない。が、CMで見かけた長澤まさみさんに強烈な印象を受けたので、一度見てみたいと思っていた。春のうかれ気分で昨日見てみたところ、予想通り長澤さんが素晴らしかった。

性格的に純で清楚な役柄だし、見た目的にもいわゆる美少女という顔立ちでもないから、普通なら目立たず、可もなく不可もなくという感じになりそうなところだが、がっちり存在感を感じさせていたのには驚いた。まさに正統派という感じ。すっかり魅了されてしまった。

マニアの多い超有名アニメの実写だけにかなり気を使ったのだろう。若さ、ユーモア、すがすがしさといった全体の雰囲気作りも悪くない。上杉兄弟を演じられる双子の役者が存在したのも大きいだろう。が、なんと言ってもすべてを支えているのは長澤さんの魅力、これに尽きる。そこにいるだけで画面が映える、素晴らしい。この映画は彼女を見るためにできている、と思うのは私だけではあるまい。

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2006年04月02日

リトル・ランナー「Saint Ralph」2

saintralph.jpgキャスティングが非常に良い。

母親エマ・ウォーカー役:ショーナ・マクドナルド。ベッドに横たわるだけの動きのない演技だが、上品で情愛深い雰囲気が伝わってくる。

アリス看護婦役:ジェニファー・ティリー。個性的な声と容貌を持ち、ラルフにウェート・トレーニングを指導するパワフルなキャラクター。だが、その強さの裏に、親思いのラルフをがっちり見守るやさしさを覗かせる。

ヒバート神父役:キャンベル・スコット。ニーチェに心酔する厭世的な神父。怪我、戦争によってマラソン選手としての活躍の場を奪われ、希望を失ったままずるずると聖職者を演じつづける灰色の日々の中で奇蹟に挑戦するラルフに出会う。誰もに笑われながら、なお挑戦することをやめないラルフを見るうちに、彼の中で何かが変わって行く。陰のストーリーを良い雰囲気で担っている。

校長フィッツパトリック神父役:ゴードン・ビンセント。大司教にさえもなろうという神に最も近い大神父。カトリック教会の厳格さをまざまざと体現するする素晴らしい存在感。その地位と厳格さ故に、他者の意見を聞く耳を持たない。ラルフのおろかな挑戦をやめさせ、普通の少年にしてやることこそが真の愛情なのだと信じて疑わない。

ラルフの恋するクレア役:タマラ・ホープ。尼僧になって人々に奉仕しようという志を持つ少女の意志の強さを非常に良く表している。凛とした大人びた雰囲気と、次第にラルフに惹かれてゆく乙女心との間で揺れる雰囲気がとても良い。

親友チェスター役:マイケル・カーネフ。個人的には彼のキャラクターが一番気に入った。型破りな変人を友人に持ってしまった優等生。メガネをかけた小柄でまじめな秀才。主人公ラルフとの対比が非常に良い。こういう脇を固める役柄を、この歳でがっちり演じられる俳優がいるのすごい。

主人公ラルフ役:アダム・ブッチャー。何よりも眼差しが涼しい。何かするとあっちにぶつかり、こっちにぶつかりと校則違反ばかりだが、けっしてスレていない。常識のタガをはみ出したスケールの大きさと、母親思いのやさしさと、そして一度決めたら退かない意志の強さと、そんなもろもろをその涼しい瞳が語っている。素晴らしい。

さて、物語はボストン・マラソンへと着々と進んで行く。入院中の母親しか身寄りのないラルフは、家財道具を売って生活費を捻出し、祖母と暮らしていると学校にうそをついてなんとか生活をしている。だが、まともな保護者がいないことがばれればミッション・スクールにはいられない。施設送りとなってしまう。しかし、ボストンで奇蹟を起こせば、それもこれもすべて解決する。すべてはそれまでの辛抱だ。
図書館で見つけた伝説のランナーの本。忠実に、そこに書いていることをひたすら実践する。「マラソンは、精神力へのチャレンジだ。もうだめだ、と誰もが思う、その壁をどうやって越えるかだ」。周囲に嘲笑されても、市民マラソンでビリになっても、ヒタヒタと彼は努力をやめない。定期的に訪れる病院。決して目を開けぬ母に、彼はたんたんと語りかける、そして努力が続く。

がんばる人の周りには、無条件で応援する人が集まる。ラルフもそうだ。親友チェスター、コーチ役をかって出たヒバート神父、看護婦のアリス、そしてガールフレンドのクレア。かつて彼を嘲笑していた学友達も町の人々も、皆がラルフを応援し始める。市民マラソンで最年少優勝を果たし、「もしかしたらこいつは?」という期待感が皆に沸き始める。

でも、なぜなのだろう?別に彼らは走りたい訳でも、走るのが好きな訳でもないのに、なぜ彼らはラルフを応援するのだろう?なぜ、人はがんばる人の下に集まり、応援するのだろう?物語に限らず、現実世界でも良くあることだ。以前から、不思議に思っていたのだが、その答えが分かった。人は、高いものにあこがれ、高いものを目指す。それが人間の習性なのだ。気高いものに惹かれ、気高いものへ敬意を払う、不思議なことにこの穢れた人間という動物はそういう習性を持っているらしい。だが、人は誰しもがそうした高みにチャレンジする能力を、精神を持っているとは限らない。でも、そうしたものへのあこがれ、敬意を払う性質は内在的に存在している。だから、無条件に高みにチャレンジする人間に出会った時、血が、さわぐのだ。その高みへ行く様を見てみたい、それに関わりたい、そして応援しながら、そのチャレンジに自分も参加したい。そんな想いが湧き上がるのだろう、という気がした。

レースの時、校長の命令にそむいてヒバート神父が駆けつける。クレアは教会で祈る。看護婦のアリスは母の枕もとにラジオを持ってきて観戦する。そして、親友チェスターは放送室に立てこもって校内放送で中継する。それを聞く誰もが彼を応援する。デッド・ヒートが繰り広げられる。ラルフは勝てるか?負けるのか?最後の直線コースの競り合い、放送を止めさせようと駆けつけた校長もついにラルフを応援したその時、レースは決着した。

「Saint Ralph」。聖ラルフ。限界に挑む、ラルフの奇蹟にチャレンジする過程が、ちょうど聖人に至る試練と重なっている。物語中の授業で語られるアッシジの聖フランチェスコ。彼も若いときはいけいけのプレイボーイだった。フランチェスコとはいささか異なるが、彼もまた同様の道を歩いていることが随所で暗示されている。物語のラスト、ステンド・グラスに象られるラルフは、この映画の原題「聖ラルフ」とともに彼の将来を暗示する。物語中の時間の進行が、聖人たちの記念日を区切りとして語られたのも全編の雰囲気を良く作っていて心地よかった。良い時間を過ごさせてもらった。サポーターで良い、人生でほんとにこんな人にめぐり合うことができれば、休日のひと時の時間ではなく、人生そのものが楽しかったりするんだろうな、という感じがした。

リトル・ランナー公式サイト

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2006年04月01日

リトル・ランナー「Saint Ralph」

ralph.jpg
映画の日。ということで、この「リトル・ランナー」を見て来た。

ミッション・スクールの問題児が、昏睡状態に陥った母を救うために奇蹟を起こそうと、ボストン・マラソンにチャレンジする物語。構想としてはありがちなパターンではあるが、にもかかわらず奇をてらわずにスタンダードに作り上げ、かつそれできちんと全編をクオリティー高く仕上げた良い作品だった。久々に良い映画を見させてもらった。大いに感動と、そして満足をさせてもらった。

札幌はファクトリーのユナイテッド、JRタワーのシネマ・フロンティアという設備の良い映画館の登場によって、街中の昔ながらの映画館はかなり姿を消した。設備が良いに越したことはないし、それで私自身スター・ウォーズを楽しませてもらったりもしているのだが、正直言って、最新の音響設備だのなんだのを備えた映画館で金のかかった派手なハリウッド映画を見ていると、アメリカ的遊園地にまぎれこんでしまった遊園地ぎらいのおっさんという感じで、正気に返ると興ざめすることもしばしばだ。

今日行ったのはスガイ。札幌の老舗中の老舗だ。そして、上演されたシアターも、20年前の大学の頃に来た時とおんなじ。この前、「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」を見た時にも感じたのだが、「そう、そう、映画ってこんな雰囲気で見るもんだったよな」という感慨に襲われた。別に今のように良い音響設備がある訳でなく、座席だってただ座れれば良いって感じで、それでも眼前に広がる世界に我を忘れて満足して帰る、そんな感じ。設備が良いに越したことはないが、最後に人の胸を打つのは、設備や金のかかった演出ではなく、映画の世界そのもの、そんなもんだよな、なんて思っていたら映画が始まった。

酒、たばこ、覗きetc。現代社会から見ればたわいもない悪さだが、彼の通うミッション・スクールでは大問題。そのミッション・スクールの問題児が「あなたのお母さんが意識を取り戻すためには、奇蹟が必要よ」と知らされる。「奇蹟」。ミッション・スクールだけに、この言葉にも世俗と違う意味がある。「奇蹟」はジーザス・クライスト、神の御業。神父ですら口にするのが不敬にあたるこの言葉を、まして問題児のラルフが起こしてみせるなどと語ることはとうてい許されない。ラルフの「奇蹟」へのチャレンジと、そのチャレンジへの弾圧が始まる。

(続く…)

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2006年03月30日

NANA

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日曜にスープカレーを食べた後、天気も良いし、春っぽいので、うかれ気分でこの映画を借りて見てみた。いやいや、これほどとは。

原作は読んだことないが、たぶん、原作のストーリー展開からはずさないようにしたんだろう。長いのをそのまま短縮したために、一編の映画物語としては説得力のない薄っぺらなストーリーが足早に展開して終わりになった、という印象を受けた。ハチのナレーションで語られるNANAへの感謝、愛情のようなものもなんのことだかよく分からんし、NANAのハチに対する友情もよく分からん。唯一共感できたのは、「お前犬っぽい」というハチの印象と命名のところ。言い換えると、宮﨑あおいさんが犬っぽさを良く出していた、ということだろうか。映画全体の雰囲気作りは嫌いじゃないのだが、いかんせん中途半端すぎたという感じだ。

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2006年01月28日

proof of my life

proof.jpg「proof of my life」を見てきた。天才数学者を父に持った、これまた天才的数学の才能を持つ娘の苦悩を描いたヒューマン・ドラマ。制作費、アクション、戦闘、武器、暴力、スリル、テンポ、意外性。これらのハリウッド映画の必需品が、この映画にはまったくない。それが逆にとても新鮮だ。ある意味、挑戦的と言えるのかもしれない。詰め込めるだけ詰め込まれた娯楽のごった煮映画に食傷した人には、昔風のしっとり落ち着いた良いひと時が過ごせるかもしれない。主人公キャサリンの中にうずまく、愛、憎悪、自己嫌悪、不安、自己顕示などの複雑な心情が、ハリウッド的興行主義を度外視にしてじっくり表現されている。偉大な父を愛している、でも嫌悪している、でも愛してる、でも嫌悪している…、堂堂巡りしながらその感情が自分に跳ね返り、ある時は他者に対する憎悪に、ある時は自己嫌悪、不安にと、複雑にめぐる彼女の心情は見ごたえがある。

数学者の物語だけに、「proof=証明」という言葉が良く出てくる。そして、影のストーリー「素数の証明」をめぐって、主人公キャサリンへの愛の証明を恋人ハルが問われることになる。それは、キャサリンの求めた救い。その愛を証明できれば、彼女は救われる。ここがこの物語の最高の見せどころ、物語の深み、まさに「proof」なのだが、登場人物達が数学者だけにわざとらしくなく、しっくりと来る。なのに、どうして原題「proof」のままにしないのかねー。「素数の証明」からキャサリンへの愛の証明へと重なってゆく深みが「of my life」をつけてだいなしだ。なんで日本の映画って変な題名つけんのかねー。

予告編でまた興味深い作品を見つけた。「ホテル・ルワンダ」。100日で100万人もの罪なき人々が殺されるアフリカルワンダの大虐殺の中、1200人の命を救ったホテルマンの物語。世界の映画祭で絶賛され、日本でも見たい!と立ち上がった若者達の署名運動によって公開が実現したらしい。

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2005年12月23日

Mr.&Mrs. スミス2

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Mr.&Mrs. スミス をまた見てきた。これで2回目。1回目より、2回目の方が面白かった。この映画、気に入った。

アンジェリーナ・ジョリーはやっぱりすごい。この人がほぼ全編を引っ張ってる、という感じ。でも、気の強いキャラクターを演じる彼女を、コメディータッチで支えているブラピも良い。個人的にはオーシャンズ・シリーズみたいなつまんない映画より、はるかに面白かった。

近日公開コマーシャルで、「proof of my life」という映画を紹介していた。これ、すごく良さそう。正統派の映画って感じ。絶対に見に行こう。

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2005年12月04日

Mr.&Mrs. スミス

mrsmith.jpg
「Mr.&Mrs. スミス」を見て来た。ヒロインのアンジェリーナ・ジョリーに完全にはまってしまった。

この人、すごい。大物だ。いわゆる美人ではないが、すごく個性的で魅力的だ。迫力のある顔立ちに、アンバランスなチャーミングな目。そして、スレンダーなバディにすらっと長い脚。すごくカッコいい。すっかり見とれてしまった。

映画そのものはB級映画に属するだろう。取り立てておもしろいという内容でもない。だが、アンジェリーナの演じるシーンの中に、ほれぼれするようなカッコいいシーンがいくつかある。それだけでも見る価値はあるし、実際そのためにもう一回見に行こうか、と思っているくらいだ。こんな風につかまった女優は初めてかもしれない。すごい女優だ。

Mr.&Mrs. スミス公式サイト

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2005年11月18日

「ハウルの動く城」

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「1/24秒のフィルム、さて何が当たるかな。くじ運が悪いからどうせたいしたシーンじゃないだろう」と思っていた。「千と千尋の神隠し」のアニメコミックについていたフィルムも、どこのシーンだかさっぱりわからないものだったし。期待せずに開けて見たら、ハウルがマルクル、ソフィーにパンを切り分けているシーンだった。これは結構、いやかなり良いシーンが当たったな。下手したら、空とか原っぱしか映ってないシーンかもしれない、と思っていたから。それに、このフィルム、ちゃんと透明なアクリルに入ったプレートになっていて、置いて飾ることができる。単にフィルムが1枚入ってるだけだろう、と思ってたから、これもうれしい誤算だ。当然ながら、後ろから光を当てれば壁に絵を映すこともできる。満足、満足…だ。

映画は、比較すればやはり「千と千尋」の世界には及ばない。だが、強引に連れて行かれるようなすさまじいパワーを持つ「千と千尋」とは違い、ほのぼのとした落ち着きを持つ「ハウル」。これはまた、これで良い。

ころころと笑いながらヒンと戯れるマルクル。すっかり洗濯物を干すのが気に入った案山子のカブ。おだてられると舞い上がる火の悪魔カルシファー。ハウルとソフィーを取り巻く世界はなごやかで、家庭の温かみがある。荒地の魔女までがその仲間入りだ。ゆったりと、落ち着いた時間が流れ始める。

個人的には、マルクルがとても可愛くて好きだ。くったくがなく、素直で、よく笑う。そして、カルシファー。「ちぇっ」と不満ばかり言う割に気のいいマスコットだ。劇場で見た時も良かったが、家で見てもやっぱり良い。

去年、初めて見た日のブログ

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2005年10月23日

踊る大捜査線THE MOVIE 2「レインボーブリッジを封鎖せよ!」

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「正しいことをしたきゃ、偉くなれ」

いかりや長介演じる和久さんの名台詞。我々が現に生きるこの世界で、ほんとに正しいことをやろうと思ったら、それしかない。青年から大人への道程の途中で、私自身も同じことを考えた。だから、「踊る大捜査線」でこの言葉に出合った時には心底驚いた。同じことを考えてる奴が他にもいたんだ、と、ほんとうに衝撃を受けた。

コメディベースの物語展開をシリアスに収斂させる構想力もすごかった。そして、その物語世界を支える役者たち。織田裕二、深津絵里、水野美紀、柳葉敏郎、ユースケ・サンタマリア、そして、いかりや長介。すばらしかった。だが、それはこれまでの「踊る大捜査線」の話。本作は残念ながら当初の勢いも情熱も構想もすべて失われた、ただのバラエティードラマだ。「踊る」を全編見て来た人にとってだけ、残像として楽しめるという程度のドラマだ。だが、昨日TVで見て、一つ感じたことがある。それはいかりや長介。

既に彼は、この世の人ではない。その彼の最後の作品がこの「踊る大捜査線THE MOVIE 2」だったはず。銃弾に倒れたすみれさんの病院で、男泣きするシーン、すごいな。役者の迫力が脚本を凌駕することがたまにあるが、本作のいかりや長介はまさにそんな感じだった。いかりや長介の最後の演技を堪能する、という観点から見ると、本作も悪くないような気がした。なにより、身近な縁者の方々はともかく、ブラウン管を通してしか彼と出会えない我々には、いかりや長介は今もなお生きている、と感じられるという点でも。

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2005年10月09日

「ミッション」~この地上が天国であるように~2

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ロドリーゴ・メンドーザ。彼は最期にガブリエル神父の死に様を見ながら、何を思ったのだろう。

南米パラグアイの奥地。そのさらに滝をのぼった上が、ガブリエル神父の向かうミッション、伝道区だ。送り込んだ神父達が十字架にかけられ、死体となって流れ着く。まさに命がけのミッション。滝をあがり、そのミッションについた神父は、おもむろに笛を奏でる。この地に、彼が、福音が訪れたことを知らしめる調べだ。弓を持ったインディオ達に取り囲まれても、怯むことなく奏でられるメロディー。全編をつらぬく、これが「ガブリエルのオーボエ」、彼の愛の象徴だ。

ロドリーゴ・メンドーザ。奴隷商人。ガブリエル神父のミッションで、インディオを捕らえ、狩る。富と権力に魅了された俗物。いや、成功者。妻の不倫相手が弟と知り、激情に駆られて弟を殺してしまう。呵責に苦しむ彼に手を差し伸べたのは、ガブリエルだった。「罪を購う苦行に耐える勇気があるか?」。「どんな苦行も充分ではない」、そう答える彼を、逃げている、滑稽だ、と挑発するガブリエル。「失敗するところを見たいのか?」、ガブリエルの挑発、救いの手がロドリーゴに届く。

苦行としてロドリーゴの引きずって歩くガラクタ。鎧、兜、剣。それらは、彼が身に纏っていた富と権力の象徴だ。かつて誇ったそれらのものが、実は彼を拘束する足かせだった。今、彼はそれらのものを自身から剥ぎ取るために、そして、犯した罪を購うために、懸命に引きずって歩く。歩く。歩く。「彼は、もう充分に苦しんだ、他の者達もそう言っています」。見かねた伝道士がガブリエルに許しを請うほどに。だが、ガブリエルは言う。「彼自身にゆだねるのだ。我々が仕えているのは、民主主義ではない。神の意志なのだ。」

「どんな苦行も充分ではない」。確かにそうらしい。では、救いはどこから来るのか?彼自身が、決して彼自身を許すことができないのだとすれば?

救いは、意外なところから、訪れた。かつて、彼が、捕らえ、殺し、狩ったインディオ。彼らが、ロドリーゴをその人だと認識する。緊張が走る。のど元に突きつけられる刃。ロドリーゴは、死を覚悟しただろう。いよいよ償いの時だと思ったかもしれない。制止しようとする伝道師をたしなめ、ガブリエルはただ見守る。その時だ、のど元に突きつけられた刃は、一転ロドリーゴの引きずるガラクタのロープに向けられ、ついにそのくびきが解かれる。

ガブリエルは、信じていたのだろうか?インディオが、ロドリーゴを許すと。だとすれば、それは、ガブリエルの布教の賜物だ。インディオにくびきを解かれたロドリーゴは、頑是無い子どものように、笑い、泣く。決して許すことのできなかった自分を、かつて彼が殺し、狩ったインディオが許してくれた。自分はここに、いても、良いのかもしれない。彼の心の闇に、光りが差し込んだ瞬間だ。

この地に楽園を築きたい。ガブリエルの情熱は実った。その後のシーンは、回心したロドリーゴとインディオ、ガブリエル達の平和な、まさに楽園と言っても過言ではない世界の描写だ。だが、その世界は、教会とスペイン、ポルトガルという国家の政治に巻き込まれ、終焉を迎える。

奴隷の売買で儲けたいスペイン、ポルトガル、イエズス会存続のために両国との軋轢を避けたい教会。ガブリエルの築いた楽園は、利益を生む土地としてスペイン、ポルトガル国家のターゲットとなり、神の御心よりもイエズス会の存続を選んだ教会の保身によって、ついに奴隷の供給地としてポルトガルに譲渡されることになった。

サン・カルロス。ガブリエルの築いたミッション。村。もともと、ジャングルで生活していたインディオを、その地に定住させたのはガブリエルだ。ポルトガルに譲渡されれば、彼らは奴隷として狩られる。せめてもの良心から「この地を去れ」と命じた枢機卿の願いははずれ、彼らはここに留まり、戦うことを選ぶ。ここは我々の家なのだ、と。小さな女の子がガブリエルに言う。「ジャングルには悪魔がいるから、ここにいたい」のだ、と。

もともと、ジャングルで生活していた彼らの発想ではなかろう。ジャングルから離れ、定住させるためにガブリエルがそう説いたのだろう。その女の子を抱き上げ、ガブリエルは言う。「いっしょにいるよ」と。

請われても、イノシシさえ殺せなくなっていたロドリーゴ。だが、彼を救ってくれたインディオ達のため、剣を取る決意を固める。神の道からはずれることを伝えた時、ガブリエルは珍しく激昂する。「聞きたくない。その手を血で染めてしまったら、何もかもが水の泡だ」と。ロドリーゴに深く関わり、その変貌ぶりに、恐らく誰よりも心動かされ、神の御心を感じていたのだろう。それだけに、深く傷ついている気持ちが伝わってくる。

「戦うのなら、伝道士として戦え」。それが、ガブリエルの言葉だった。最後の夜、祝福を乞いに来たロドリーゴに、彼はそれを与えない。「もし、力が正義だというのなら、愛は必要なくなってしまう。私は、そんな世界では生きられない。」

求めるものは同じ、なのに志が交差してしまった二人。ガブリエルがロドリーゴに祝福を与えなかったのは、それをすれば、彼自身の生き方の否定になってしまうからだ。十字架のペンダントをロドリーゴに与えたのは、神父という立場ではなく、友人という立場でのせめてもの別れの印。そして、二人はともに銃弾に倒れ、死んでゆくことになる。

ロドリーゴは、戦い、殺しあう中で銃弾に倒れた。では、ガブリエルは?教会でインディオと歌っていた。そして、無抵抗の、ただ歌を歌っているだけの彼らに銃が向けられる。その敵に向けられたものは、十字架だった。一方で、男たちが戦い、死んでゆく中で、女、子ども達とともに、彼は歌い、十字架を掲げいたのだった。そして、ついに彼も銃弾に倒れる。既に遠のく意識の中で、ロドリーゴはその姿を見つめていた。そして、目を閉じた。

ロドリーゴ・メンドーザ。彼は最期にガブリエル神父の死に様を見ながら、何を思ったのだろう。共に、同じ時を同じ場所で生き、そして同じ場所で銃弾に倒れて死んだ。結局のところ、国家、宗教の政治の狭間の中で甲斐もなく死んでいったことにはどちらも変わりはない。だが、両者の死に様は決定的に違う。その違いが、一番良く分かるのがロドリーゴ、その人だろう。

「もし、力が正義だというのなら、愛は必要なくなってしまう。私は、そんな世界では生きられない」。ガブリエルの死に様は、まさにその言葉通りだったのだ。そんな世界では生きられない。だから、彼は「力」で対抗しなかったのだ。いや、しようとも思わなかったに違いない。同じ場所で銃弾に倒れながら、そのすごさを、ロドリーゴは見届けて死んで行った。その死に様、生き様を見ながら、彼は何を思ったのだろう。戦いを選んだ自分への後悔?いや、違う。たぶん、ガブリエルのその生き様の中に、初めて、神とでもいうべきものの存在を垣間見たのだろう。

戦いが終わり、生き残ったインディオの子ども達が、またジャングルへ帰って行く。ガブリエルが来る前のもとの世界へ。結局、イエズス会の宣教を含めて、インディオ達にとっては、ヨーロッパ人はいい迷惑だったのだ。だが、かつてと一つ違う点がある。一人の女の子が、バイオリンを拾って持ち帰るのだ。ガブリエルという人間の残した足跡だ。死んでも、ガブリエルはこの地の人間に継承された。だが、ロドリーゴは継承されない。同じ土地で、同じように死んだ両者の、それがたぶん決定的な差だ。

インドネシア・スマトラ島沖の地震で、信じられない数字の犠牲者が出たのが今年だ。だが、災害は災害でしかない。善も悪もない。問題は、人間の方だ。その災害に乗じて、子ども達が拉致され、人身売買が行われていた。さすがだ。壊滅的な打撃を受けて、物資の輸送すらままならない状況下で、人身売買の活動が、救援活動以上にスピーディーに行われる。恐れ入るとしか言いようがない。バカな日本人は、人身売買などという野蛮な行為は、自分達とは関係ない東南アジアかどっかの話だろうとタカを括っているだろうが、アジアで人身売買の温床として批判されているのは、当のこの日本なのだ。誰を売り買いしてるって?お前も日本人ならわかるだろ?この腐りきった日本にいれば、金になる人間が誰か、わからんはずはあるまい?そう、女性だ。東南アジアの女性が、売買されているのだ。この腐りきった国の男達の欲望のはけ口として、未だにかつての奴隷狩りと同じような行為が行われているのだ。

「ミッション」、そして「ガブリエルのオーボエ」。せっかく心が洗われたのだから、変わりたいな。もう少し、まともな人間になりたいな。

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2005年10月08日

「ミッション」~この地上が天国であるように~

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誰にも、忘れられない映画音楽というものが一つや二つはあるものだ。出合った時の状況、当時の自分自身のあり方と分かち難く結びついているために、なぜその曲に惹かれるのか自分でもよく分からなかったりすることもある。けれど、それでもやっぱり惹かれてしまう、というような音楽が。

朝、TVの旅番組を見ていたところ、思いがけず映画「ミッション」のテーマともいうべき「ガブリエルのオーボエ」が聞こえて来た。この映画を見たことのある人なら、「あー、あれか」と分かってもらえるだろう。そう、あの笛、あのオーボエの曲だ。映画を見た時、あの曲が流れると、急にスクリーンに映っている世界が別世界に変わったような印象を受けた。澄んだ、湖のような世界に。映画そのものにも感動したが、この音楽も忘れらない印象を私に残したものだ。

「ミッション」を最後に見たのは、もう10年以上も前だ。繰り返し、繰り返し見たものだ。自分の犯した罪を引きずって歩かずにはいられないメンドーザ(ロバート・デニーロ)の姿に深く感銘を受けた。お前も、彼と同類の人間だろう?なのにお前は何もしないのか?そんな言葉が内部に聞こえてくるような感じがした。が、そのメンドーザ以上に衝撃を受けたのが、ガブリエル神父だった。あのラストシーンは、今も忘れない。

さっそく映画をレンタルして来たが、ステレオでサントラ聞きたいな、と思ってそっちも探してみた。エンニオ・モリコーネという人が作曲しているらしい。この人自身が指揮した、「モリコーネ・プレイズ・モリコーネ」というLiveがあったので買って来た。ほんとは、まず、オリジナルが聞きたいのだが、今のところそれが手に入るのかどうかも分からないので。

このLiveでは、「ガブリエルのオーボエ」と映画のラストシーンで流れた「この地上が天国であるように」が自然につなげられて一つの曲になっている。ああ、そうか、作曲したモリコーネ的にはつながってたんだな、と納得した。「ガブリエルのオーボエ」もさることながら、私はラストシーンで流れた「この地上が天国であるように」が何よりも好きなのだ。映画を見た人、あのラストシーンで流れるコーラスの曲ですよ。今聞いてもやっぱり素晴らしい。この曲を初めて聴いたとき、この映画を初めて見たときに感じた、厳粛な気持ちが戻って来た。すさまじく動かされている。すさまじく動かされている…。

それが流れると、自然に耳を傾け、聞き入ってしまう、「ガブリエルのオーボエ」、そして「この地上が天国であるように」は、私にとってそういう曲だ。そして、澄んだ、湖にいるかのような感覚を呼び起こされる。と、同時に今の自分の汚さが映し出されるような感覚もまた覚える。

これから「ミッション」を見る。ちょっと、ドキドキしている。あるいは、メンドーザのように、回心の衝撃を受けるのでは?と。それならそれで、構わないのだが。いや、むしろ、そうなれたなら、とも思ったりする。見た感想は明日書くことにしよう。

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2005年07月18日

ターミナル その2

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この映画は、実は全部セットで撮影されたらしい。空港は常に活動しているから、邪魔する訳に行かないので、エスカレーター付きのセットを作ってしまったそうだ。そんな訳で、架空の空港のため、テナントも実際に募ったらしい。採用されたテナントの中に、吉野家の名前があった。2回見たが吉野家の看板は目に付かなかったので、もう一回吉野家探しも兼ねて見ようと思っていた。

空港警備局主任ディクソン役、スタンリー・トゥッチ。この人のしゃべりはほれぼれする。かなり早口だが、一つ一つの単語がちゃんとクリアーに聞こえてくる。さすが、と感心する。なんでも、この役の複雑なキャラクターに惚れ込んだらしいが、名演技といっていいだろう。悪役の彼がガッチリしているから、トム・ハンクスの演技もまた光る。そして、なんといってもアメリア役のキャサリン・ゼタ=ジョーンズ。何度見てもカッコいい。惚れ惚れと見とれてしまう。どうやら、これぞハリウッド女優、という領域に行ってしまったようだ。「オーシャンズ12」にも仲間入りしたようだし。12というからには一人増えるのか、と思ったら彼女だった。正直、「オーシャンズ12」は彼女で持っている。その容姿はもちろんだが、声がまたカッコいい。ぐっと抑制のきいた低音系の声で、ぞくぞくっとする。しゃべりはスタンリー・トゥッチと並んでカッコいいな、と思ったら、彼女イギリス生まれのイギリス育ち。しかも、イギリスで舞台を踏んでいるんだ。なるほど、と納得した。

内戦が終わり、人々と喜び合うビクターにキャサリン・ゼタ=ジョーンズが入国許可書を持ってくるシーン。別れた彼女と交差点で出会った時の「追憶」のロバート・レッドフォード、死んだ彼に再会した時の「ゴースト」のデミ・ムーア以来の感動って感じだった。

ターミナル公式サイト

そうそう、肝心の吉野家だが、私が見たところ出てくるのは一箇所だ。めんどくさい人のためにヒント。自分で探す人はこの先は読まないこと。ビクターが職探しを始めた時に、あれ、これ日本人?という人が出てくる。たぶん、何も意識しなくてもみんな、あ!、と気づくはず。そのシーンです。

PS.吉野家のシーン。もう一カ所あった。息子が見つけた。薬騒動が終わってみんなが引き上げて行く時のシーン。

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2005年07月10日

スター・ウォーズ エピソード3 その4「これは難関だ…」

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Episode3の原作。読み始めて2週間近くになるが、さすがにこれは手ごわい。9-12歳児用のペーパーパックなんて比較にならない。(当たり前だ!)一文読むのに、ほとんどの単語が分からない、なんてこともよくある。なんせ、ちゃんとした小説のようだから、形容詞がむちゃくちゃ多いし、同じ言葉を使わないように別表現に置き換えられるので、分からなさも倍増する。1時間読んで、1ページしか進まないなんてこともよくある。

だが、書かれるべきことは書かれている。映画では表現されていない、人物のキャラクター、背景、相互関係など。まだ、60ページくらいしか進んでないが、間違いなく理解が深まった。映画を見ていることだし、わからないとこはどんどん読み飛ばして進めて行けば雰囲気に浸ることはできると思う。それもアリだ。ただ、休日、辞書を片手に「これなんだ?どういうこと?」なんて読み進めて行くのが結構楽しい。映画では分からない部分が見えてくるので、発見する楽しさがある。未知のダンジョンにつっこんで行く楽しみにちょっと似ている。

では、その原作から一節を。Obi-Wanについて語られた一節。「へー、あのジェダイ・マスターでさえが」と意外な驚きであった。

It is a truism of the Jedi Order that a Jedi Knight's education truly begins only when he becomes a Master:that everything important about being a Master is learned from one's student.Obi-Wan feels the truth of this every day.

ジェダイ騎士団では自明のことだが、ジェダイの教育はジェダイ・マスターになった時からこそ真の意味で始まる。マスターであるために最も重要なこと、それは自らの教え子から学ぶこと。オビ・ワンは今それが真実であることを毎日感じていたのであった。

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2005年07月02日

スター・ウォーズ エピソード3 その3「そう、これで良いのだ」

先週の先々行上映に続き、今日は先行上映を見て来た。前回は札幌ファクトリーユナイテッドシネマだったので、今回はJRタワー札幌シネマフロンティア、シアター8。他のスクリーンはどうか知らないが、このシアター8は設備的にはどうってことない普通の映画館だった。好き々々ではあるが、迫力では前回のユナイテッド、シアター11の方が遥かにすごい。

不思議なことに、初めて見る前回より、2度目の今日の方が遥かに期待感が高かった。「今日はあそこをもっと良く見よう、あの辺のプロセスを注意して追おう」というような意識があったせいだろう。それに、これからどうなるのか?と、展開にハラハラしていた前回と違い、落ち着いて作品世界に入り込めたことも一因か。なんにせよ、オープニングから全開という感じで見入っていた。

2度目ではあるが、やっぱり出だしのスペースバトルシーンはすごい。スピード、迫力、空間的広がり、奥行き…、何もかもがすごい。さすがはスター・ウォーズだと大満足の始まりだ。ビデオが出たら、いちいち停止してじっくり見てみたいもんだ。そして、グリーバス将軍。こいつは悪役として登場した特撮系のキャラクターの中では、間違いなくNO.1だ。そのダイ・ハードぶりはすさまじい。いったい、こいつどうやったら倒せるんだ?と、さすがのジェダイ・マスター、オビ・ワン・ケノービも真っ青って感じだ。

そして、なんと言っても、アナキン。それを演じたヘイデン・クリステンセン。Episode2の時は、正直どうなんだろう、という気もしたが、いや、はっきり言って素晴らしい。今回のEpisode3は、彼の名演技のおかげでシリーズの完璧な大取を飾れたという感じだ。Episode2の演技も、今振り返ってみればアナキンの不安定さ、もろさを感じさせ、このEpisode3へと続くみごとなパフォーマンスだったと言っていいだろう。なんと言っても、圧巻は、オビ・ワンとの決戦。その地獄の業火の中での戦いのシルエットは、炎上するアトランタを馬車で駆け抜けた「風と共に去りぬ」のシーン以来の感動だった。

そう、私はこのEpisode3に感動しているのだ。ハッピーエンドとはほど遠い暗い内容であるが故にそうと感じない人もいるかもしれないが、私は間違いなくこの作品に感動している。それも、すさまじく感動している。正直言って、スター・ウォーズでストーリーに感動したのは初めてだ。

全作品をリアルタイムで見て来たが、映像美、特撮のすごさ、擬似宇宙空間の心地良さといったものに感動はしても、ストーリーに感動することはなかった。所詮、特撮映画用の予定調和、ハッピーエンドへ至る筋道程度にしか感じなかった。だが、今回のEpisode3は違った。物語の本道を行く、素晴らしい内容だった。アナキンがダークサイドに取り込まれる、ここを手抜いてはすべてが台無しになる。Episode6のハッピー・エンドもクソまみれになってしまう。だから、ここはどんなことがあっても絶対に手を抜いてはならないシリーズの核心だった。倫理もへったくれも、この次元では関係ない。まさか、あのアナキンがそんなことをするなんて、と思わせれば、思わせるほど成功だ。そして、ジョージ・ルーカスはみごとにそれを表現しきってくれた。本当に、素晴らしい出来ばえだった。

それにしても、日本語字幕の戸田奈津子さん。この訳はいただけない。9-12歳児用のペーパー・バックに苦労していた私が、大御所のあなたにこう言うのもなんだが、「え?」と思うところが少なからずあった。そんなこと言ってないのに、勝手に脚色しているのだ。意訳、ではない。脚色だから始末に悪い。そして、致命的なのは、その戸田さんによって脚色されたセリフを鵜呑みにしてストーリーを追うと、本来とは違うストーリーの理解に曲折してしまいかねないことだ。これは、ひどい。スター・ウォーズなんていうファンの多い映画で、こんな粗悪な字幕を作るとは。正直、あなたの字幕はもう信用できない。

シスの暗黒卿VSメイス・ウィンドウの戦いにアナキンが現れるシーン。中学程度のやさしい英語だから、聞いていればまずわかる。1回目は字幕を見ていたおかげでよく辻褄がわからなかったが、今回、字幕を無視して見ていたら良く分かった。これから、映画を見る人は是非、ここは原作のセリフに耳を傾けてほしい。

投稿者 gunship : 19:11 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月26日

スター・ウォーズ エピソード3 part2「やっちまった」

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A long time ago in a galaxy far, far away …

オープニングの一瞬の静寂の中に浮かび上がるこのフレーズがとても好きだった。エピソード2の時はビデオが出るまでのつなぎにと遊びでペーパーバックを買って来た。結局全部は読まなかったが、今回はアナキンがダークサイドに取り込まれるあたりをどう描いているのだろう、と興味があって衝動的に買って来た。果たして、映画の時間的制約なのかどうなのか、原作を読めばもう少し何かがわかるかもしれないという気持ちだった。ところが…。

このブログの記事を書こうとして初めて知ったのだが、このペーパーバック、子供用だ。アマゾンに9-12歳児ってあるから、なんのこっちゃと思ったら、表紙にも「SCHOLASTIC」って書いてある。おいおい、マジかよ。そんなもん、洋書のコーナーに偉そうに置いとくなよ、まぎらわしい。ちゃんと、「子供用だよ」ってフダ立てて、童話のコーナーにでも置いとけ、バカヤロー!原作と子供用じゃ、まったく話が違うやんけ。洋書コーナーにありゃ、誰だって原作だと思うやんけ、となりにハードカバーもあるし!ピーター・パンでも横にありゃ気付きもするだろうが、クソったれ。ああ、腹立つ。

エピソード2(これもやっぱり9-12歳児用だった)を読んだ時、映画を見て話を知っているし、もともと文学的ってタイプの話でもないから、意外とそれなりに読めるもんだ、なんて思っていた。でも、なんぼ映画のペーパーバックっても、短いし、スカスカすぎないか?これじゃ、ただストーリーが書いてあるだけ、って感じじゃーん。なんて、いい気になっていた自分が恥ずかしい、あぁ。

今回もそうだ。また、結構短いんだな、と最初に思った。ああ、その時気付くべきだった。なぜ、気付かなかったのか、うかつだった。ああ、うかつだったぜー(カバ丸風に)。

しかし、よりによって、9-12、「歳児」って。それで、結構わかるもんだな、だのと感じつつも、充分苦労しまくってた俺はいったいなんなんだ。文法はたいしたことないから、単語レベルでどうにかなるな、って、当たり前だボケ!9-12歳児用の文章に文法もクソもあるかってんだ。

今回のは、特にスター・ウォーズシリーズの核心となる部分、アナキンがダークサイドに取り込まれる、いわば大人の話だ。そして、その核心を読み解こうという気合を入れて買っただけに、9-12「歳児」はこたえた。すごく、傷ついている。あまりのショックに、ダークサイドに取り込まれそうだぜ、ったく。こんなヘビーな話をそもそもガキに翻訳してまで読ませる必要あんのか?あ?(摩邪風に)

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これが正真正銘の原作だ。もはや、読まずばなるまい。


投稿者 gunship : 16:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月25日

スター・ウォーズ エピソード3

先々行上映を見てきた。札幌ファクトリー、ユナイテッド・シネマ。ここでは何本か見たことがあるが、シネマ11で見るのは初めてだ。スクリーンがでっけー。しかも距離が近いからすげー迫力だ。おかげでオープニングの宇宙船の戦闘シーンはものすごかった。映画自体も今までより臨場感を感じさせる作りになっていたように感じたが、実際はどうなんだろう。私はすいてる映画館が好きなので、設備にはまったくこだわらないのだが、この映画はどうせ見るなら設備のいいとこで見た方が絶対良い。いや、すげーのなんのって、そりゃもう…。

ダース・ベイダーの衣装をまとったキャラクターも登場してカウントダウンで始まった。こんな演出も初めてだったが、その映像は間違いなくシリーズ最高傑作だ。エピソード1、2さえも遥かにしのぐ出来栄えと感じた。心地よくその映像美、ストーリー展開に身をゆだねていたが、アナキンがシスに寝返るあたりは予想通り強引で無理があるな、と感じた。理屈はわかるが説得力が足りない、という奴だ。

大枠のストーリー構想力はすごいが、細部はアメリカ的に大雑把というのが今までの実績だし、もともと中味を求めるような種類の映画でもないから、それはそれで良しとしなければ。後はこっちが想像力で補えばいいだけの話だ、と思っていた。エピソード1も2もそうだったし。だが、最後のオビ・ワンとの戦い。彼がダース・ベイダーのあの姿に変わる、その理由と同時に、姿だけではなく心が変わったその理由も、あのシーンを見てわかったような気がした。すさまじい、だが、どうにもやりきれないシーンだった。

アナキン・スカイウォーカーは、やさしい。母にたいしても、パドメに対しても。人一倍愛する人を大切にする。だが、感情的に過ぎる。それが、彼が暗黒面に取り込まれた最大の理由だ。この世のものごとは、明暗両面を持っている。愛情と見えるものの裏側には憎悪がある。愛しあって結婚したはずの夫婦、親しかったはずの友人達の方が、いったんこじれれば普通以上に憎しみ合うというのは分かりやすい例だ。愛と憎悪は同じものの裏表だ。感情に距離をおけないアナキンの場合、愛情が憎悪に変わるのは時の運だ。そして、感情べったりだから、その感情のためになら何をしでかすか分からない。なるほど、ダース・ベイダーと成り果てた訳だ。その伏線は、エピソード2の時から周到に張られていた。

憎悪はもちろん、愛情をも相対化して感情に流されないこと、常に理性的であること、それがジェダイのあり方だ。アナキンはそうした崇高なジェダイに憧れはしたが、残念ながらそういうタイプではなかった。それが、彼の不運、ダークサイドへの罠というべきか。だが、シリーズ全体でみると、ジョージ・ルーカスはそうしたアナキンの感情的な部分こそを、人間的な部分としてジェダイ以上に大切にしていたことがわかる。そもそもの発端がそうではないか。エピソード1のクワイ・ガン。オビ・ワンが繰り返し危険を説いたにも関わらず、アナキンをジェダイに引き込んだ。どう見ても理性的とは言えないクワイ・ガンの行為。ジェダイ失格と言われてもしょうがない、クワイ・ガンの人間的な部分、そこからすべては始まっている。そして、クワイ・ガンが好きで好きでたまらなかったオビ・ワンは、師の教えを守ってアナキンを育て、その愛情故にダークサイドに落ちた彼を殺すことができなかった。すべてはそのようにつながっている。そして、その連鎖の果てにフォースのバランス、調和が訪れた。それが、ルーカスの、というかスター・ウォーズの思想ということなのだろう。

どうにもやりきれないので、口直しにエピソード4を見てつなげてみた。ちょっと、気分が変わったが、ダース・ベイダーを見ると、あの中に、あのアナキンがいるのだ、と思うとやっぱりブルーになってしまった。そうそう、エピソード4のオビ・ワンの最後。死んだのか、どうなのか、当時いろいろ物議をかもしたのを覚えているが、その謎が今回のエピソード3で解けた。

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2004年10月08日

「星に願いを」

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星に願いを。 スペシャル・コレクターズ・エディション

SFやアクションもののハリウッド映画しか見なくなってずいぶんになる。そのせいか、身体のどっかが「もっと、映画、映画したのを見たい」と欲するようになって、去年、この映画を見に劇場へ足を運んだ。
いやー、これいい映画だな~。二回見に行ったけど、ボロっボロ泣いた。こんなに泣いたことないんじゃないかと思うくらい泣いた。最近また見たくなって、ほとんど毎週見ている。泣いたのは計4回目くらいまでだが、その後見てもやっぱりいい。「そうそう、映画ってこんな感じだよね」と思わせてくれる。
竹内さんもまだウブさを残していていいし、共演の吉沢君も非常にいい。そして、劇中に流れるブルースハープの響き、夜空。ほんとにいい。ラストシーンは、ラブストーリーはかくあるべき、と納得させてくれる。
さ、これからまた見よっと。

投稿者 gunship : 21:39 | コメント (0) | トラックバック