2007年11月30日

へとへと、だ

毎週、毎週、毎日、毎日、へとへと、だ。
よくも毎日こんなにいろんなことがあるもんだ、と感心する。朝から全力で仕事して、今日こそあの仕事を片付けよう、この仕事を片付けよう、と、本当に全力を出しているにも関わらず、毎日、毎日、私の労力を上回る出来事が起こって、そのふりかかる火の粉を払うだけで終わってしまう。とても、他のことなんてできやしない。ただ、振り回されて、おしまい。こんな毎日、生まれて初めて経験した。

11月が終わろうとしているが、今月が、たったの1ヶ月だったなんて、とても信じられない。明らかに2ヶ月あった。3ヶ月あったと言ってもあながち過言ではない。

もう、これ以上、動けない。そんな風に毎日家に帰って来て、それでも、不思議に嫌じゃなかった。「エースをねらえ!」の中に、合宿でへとへとになるまで練習した夜、尾崎が藤堂にこういうシーンがある。「あぁ、気持ちがいいな。へとへとになるまで体を動かすってのは」。高校の頃、そんなもんなのか、とわかるようでわからなかったこの言葉の感覚が、今になって、ようやくわかった。なるほど、疲れきっていても、どこかで、よしっ、と納得している。それは、悪くない感覚だ。

が、とはいえ、それもそろそろ限界だ。120%で、人はそれほど長くは走れない。

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2007年10月21日

本が読みたい

休日に本屋へ行くことが多くなった。そして、書棚を眺めるのが楽しみになった。あれも読みたい、これも読みたい、カバー、タイトルを眺めて歩いていると、不思議とそういう気になってくる。

ここ数年、コンピュータの勉強のためにガイドブックを買うことはあっても、普通の本を買って読むことはまったくなかった。英語の本はともかくとして。ある英語の教授が言っていた。日本語の本を読むと、堕落した気がする、と。ペーパーバックを読むようになってから、私もそう思うようになった。日本語の本は、情報しか入って来ない。が、英語圏の本を原文で読むと、英語の勉強になる、インターナショナルな視野が開ける、という付加価値がある。おなじ一冊でも、学ぶことが段違いだ。

そんな訳で、日本語の本は、もうずいぶん読んでいなかったが、本屋をぶらついているうちに、ふと読んでみようか、という気になった。この一ヶ月で3冊読んだ。新書チックな、数時間で読める程度の本ではあるが。それでも、去年までなら、日本語の本にまったく興味がなかったし、実際読むこともなかったのだから、ある意味で進歩、か。

家に帰って、飯を食い終わると11時30分、というのが習慣になった。おかげで、平日は仕事以外のことなど何もできない。で、休日になったら、あれをしたい、これをしたい、といろいろ思うものの、いざ、休日となると、そんなに精力的にすべてをこなす、なんてこともできない。やれることが限られて来る。

本が読みたい、そんな状況で日に日にそう思うようになった。やれることが限られている状況で、そう思う、ってことは、ほんとにそれを求めているんだな。くそ忙しい毎日の中で、ペーパーバックを手に取り、Concise Oxford の辞書を開く時が一番楽しい。Conciseをなで、そのページの香りを嗅ぎ、あー、なんて素晴らしいんだろう、といつも思う。たぶん、俺は、何よりも、本が好きなんだな、と思った。そして、うん、と自分で納得した。音楽より、何より、私はたぶん本が好きだ。あとは、中毒で飲み続けている酒をやめて、静かに本を読む美しい日常を築くことが課題、か。もっとも、酒も、あながち中毒ってだけでもなく、ほんとに好きだったりするからやっかいなんだけど。

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2007年10月19日

ZARD ~だから、何が変わるというのか?~

ZARD Le PortfolioAmazonで詳細を見る時々、この「Le Portfolio」が見たくなる。今年の春、@TOKYOのデータセンターに行った時にお台場を通った。その時、日本テレビ、フジテレビなどのおなじみの建物もさることながら、「あー、あれー!」と一番感激したのは観覧車だった。この「Le Portfolio」でも、最後の方の「止まっていた時計が今動き出した」や、「今日はゆっくり話そう」に出てくる、あの観覧車だ。実際の景色を見た後にこのDVDを見ると、なぜかわからないがひときわ惹かれる。圧倒的な都会の美しさを感じる。

ZARDが死んでから、私自身はZARDを封印していた。曲も聞かないし、DVDも見ない。そうやって、ただ普通に生活していた。ZARDの追悼フィルムコンサートのこともニュースでは見聞きしたが、あえて見なかった。特別な意図があった訳ではないが、ただ、そっとしていたかった。それが、なぜか、今日はZARDが聞きたくなった。見たくなった。

ZARDがいなくなった今、こうしてDVDを見ていたからといって、以前と何が変わる訳でもない。ヴァーチャルなZARDは依然としてそこにいて、歌を歌ってくれている。CDをかければ歌声が聞こえ、DVDをかければ映像が流れる。リアルなZARDと会うことのない、いちファンの私にとっては、何ひとつ変わることなどない。

なのに、なぜだろう?そこはかとなく、悲しいのは?なんとなく、さびしいのは?それは、ZARDが、もう、この先どこにも行かないことを知っているから。ずっと、ずっと、このままの彼女を見るしかない、ということを知っているから。

永遠、とは、そっか。そういうことか。変わらない、ということは、そっか、そういうことか。

とはいえ、やっぱり、ZARDに会えて良かった。楽しかった。会えて良かった。

つまり、生きていて良かったと思わせてくれた、数少ない貴重な人だった。

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2007年05月29日

ZARD

ZARD、泉水さんが死んだ、か。信じられん。

3メートルの高さで自殺もないだろうから、やはり事故なんだろうな。26日の朝5時40分頃だそうだが、奇しくもその時間に私は「Le Portfolio」を見ていた。5時に起きて、久しぶりにZARDを見ながらビールを飲もう、と思った。彼女が散歩していた時間、そして最期に死んだ時間、まぎれもなく彼女を見、彼女と共に過ごしていたことが不思議でもあり、うれしくもある。

また新しいLiveが見たかった。その願いがかなわなくなったことがとても残念だが、CD、DVDを通して接して来た自分にとっては、ある意味、何も変わらない、とも言える。今まで通り、CDを聞き、DVDを見てZARDと接することができる、つまり、永遠、という感じか。

ご冥福を祈ります。

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2007年05月26日

だんだん

今月は連休に3回投稿しただけか。それもそのはずだ、毎日、一日一日をこなすので精一杯で、気づいてみたらもう5月も終わり、という状態なのだから。

だんだん、起きる時間が早くなり、かつ帰宅、就寝の時間が遅くなって来た。当然、睡眠時間は減って行く一方で慢性的な寝不足だ。4時間くらいは寝ているのだが、もともとロングスリーパー体質だから、やっぱりきつい。よく、3、4時間も寝れば十分、という人がいて、6時間、7時間も寝るなんて信じられない、そういう奴はメンタリティーが足りないんだ、みたいなことを言う人がいるが、そういう人は単にショートスリーパー体質で起きていられているだけのこと。ロングスリーパー体質の人のことがまるで分かっていないから、見下すようなことを言うが、もともとヒトは6、7時間寝る動物なのだ。

とはいえ、現実問題としていくら時間があっても足りないから、ほんとに3、4時間の睡眠時間でなんとかなんねーかな。これ以上睡眠時間が減って、かつやることはやらねばならん、という状況になったら、薬でも打ってしのぐか?過労死するか?というオプションが現実味を帯びてきても不思議はない。なんか、日本の労働環境の一端を垣間見た気がした。

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2007年04月29日

あしなが育英会

今日、街に行ったら「あしなが育英会」の募金活動をしていた。札幌の4丁目の交差点。「あー、あの育英会かー」と思ったら、黙って通りすぎることができなくなった。

以前は、募金なんて絶対にしない、というタイプの人間だったのに、なぜか変わって来た。なんでだろう?と自問してみて思ったのは、知ること、の違い。前に、やっぱり4丁目でアフガニスタンの難民募金に出会った時、「アフガニスタンでは、1000円で難民の一家5人(だったかな?)が一ヶ月暮らせます」という文句が書いてあった。その言葉を見た時、どうしても募金箱の前を素通りすることができなくなった。生まれて初めて、札を募金箱に入れた。

今回もそう。毎年3万人もの人が自殺する国、日本。その数字は前々から知っていた。そして、大黒柱の父親が死んで、入学したばかりの学校の学費が払えない、卒業間近なのに授業料が払えない、受験料も払えない等々の理由で高校、大学を断念する子供達が輩出されていることを知った。「おい、一緒に風呂に入ろうか?」それが父親の最後の言葉で、もし、その時一緒に風呂に入っていれば、父親は死ななかったのではないか?父親が死んだのは自分のせいなのではないか?と、心の傷を負っている、そんな子供達が山ほどいて、経済的にはもちろんのこと精神的にも追い込まれているということを知った。

自殺したのが、私ではなく、見知らぬその人、あの人だったのは、偶然に過ぎない。今私が生きているのは、単に幸運だったに過ぎない。私にはそう思える。バブルがはじけて、無数の会社が倒産し、数々の会社がリストラを行った。中小企業も一流企業も関係ない、国家的な現象。だから、これは個人の問題、と片付けることはできない、と私的には思う。

あしなが育英会は、何も自殺遺児ばかりを対象にしている訳ではもちろんないが、上記のようなことを知っていて、大声をはりあげて熱心に募金活動をしている若者を見ると、その前を素通りすることができなくなる。ま、別にそれはそれでいいことだろう?

あしなが育英会

そうそう、前々から思っていたが、ずらっと多くのボランティアが並んで、威勢よく声を張り上げれば張り上げるほど、圧倒されて、気恥ずかしくて、その前に募金をしに行きづらくなる。最前線で声を張り上げる人とは別に、ちょっと離れたところで、ひっそり一人で募金箱を持ってる、という人も置いた方が良いんじゃないのかな? 募金しようかな、と思っても、威圧されて、というかあまりの大げささに引いてしまう、という人もいるような気がする、のは私だけだろうか。

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2007年04月20日

もうか

今日で、新会社の3週目が終わる。昨日は早番で7時出社。1日の長いこと。夜8時30分頃に会社を出た時、あー、まだ8時台か、今日は早いな、と思い、すかさず、いや、待て待て、8時過ぎてりゃ十分遅いだろう、もう毒されてしまったか、と反省した。今週は毎日10時すぎだったから8時だとほんとに早く感じた。嫁さんにCメールで帰ると伝えたら、早いね、と返って来たのには苦笑した。家族ぐるみで感覚が麻痺して来たようだ。

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2007年04月02日

フレッシュマン?

いよいよ新会社での新たな人生のスタートだ。できる限りのものを新調した。靴、靴下、下着、Yシャツ、スーツ、コート、かばん、そしてかばんの中の筆入れ、ノート、スケジュール帳に至るまで、文字通りつま先から頭のてっぺんまでまっさらに新調した。こんなに何もかもが新しいのは生まれて初めてだ。

新しい会社は、今までのたった一人の環境と違って、やっと仲間と呼べる人たちもできた。IT業界に転じてから、一歩一歩ステップアップしてきて、これが最後の総仕上げ。できる限りの高みまで登りたいものだ。

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2007年03月30日

さて、と

とうとう退社した。みんなにも挨拶した。去年の今頃からずーっと考えていた転職が、やっと実現した。

それにしても、今回は、ほんとに会社によくしてもらった。と、同時に社員のみんなにも暖かい言葉をもらった。今まで退職と言えば、会社か社員のどっちかが怒っていることが多かっただけに、こんな円満退社ができて驚いている。これは、会社のおかげなのか、私の人徳なのか?

この会社に来るときに、前の会社からもらった餞別で自転車を買った。その自転車が、ちょうど寿命で、今回もらった餞別で買い換えた。では、この次は…? それは、ない。今までは、次へのステップだったが、今度は次の会社は考えていない。目いっぱい力を出してみるつもり、だ。

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2007年03月25日

女がおしぼりで顔を拭かないわけ

飲食店に入って、男は何よりもまず出された「おしぼり」で顔を拭く。この行為を女は、おっさんくさいとばかにする。十代の頃から、なんでそんないわれもない雑言を女から浴びせられるのか、わからなかった。俺はおっさんじゃないけど、これをしちゃいけないんだろうか?こんな気持ちいいこと、なんで女はしようとしないのだろう?しかも、なんでバカにまでするんだろう?と、思っていた。が、数年前にふと、気づいた。そっか、女って、化粧してるから、顔ふけねーんだ。

おしぼりで顔を拭く快感を女は味わうことができないから、そうする男を偏見で見ているのだ。その証拠、かどうかはわからんが、外見がどうでも良くなって化粧もろくにしてないおばさんたちは、おっさん同様気持ちよさそうに顔を拭く。そして、がっつり気合を入れて化粧している女性達は、当然のことながら、顔を拭くなんてできない。そんなことをしたら、彼女らの顔は笑いもの、一巻の終わり、だから。

さて、お絞りで顔を拭くおっさんとしてバカにされてきた鬱憤ばらしに女達に一言。通勤の地下鉄内で化粧してる奴ら。ねー、そのぶさいくな顔、公衆の面前にさらすのやめてくれない?よく、そんなぶさいくなツラを人前にさらす勇気あるね?鏡を見てる、あんた達の顔、信じらんねーくらいぶさいくだし、これでオッケーと、納得したときの顔はその前となんも変わってないよ。ほんとにそれでいいの?あ、そうだよね、それ以上にできるはずもないもんね。だったら、ね、なんにもしないほうが、お互いのため、でしょ?違う?

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2007年03月13日

ホッケの刺身

もう、完全に睡眠障害だ。転職、引継ぎ、自動車学校、新しい職場…、いろんな事が同時に起こったせいか、毎日まともに寝られたためしがない。3、4時間しか寝られないから、木曜、金曜あたりになると疲労と寝不足がたまり、夜の自動車学校なんて習ってることが全然頭に入ってこない。頑張って起きている、という状態だから、何を習ってもほとんど無意味、という感じだ。

土日になっても、状況は同じ。土曜は朝の6時に眼が覚めて、まったく寝不足が解消されないし、日曜も同じ。月曜はしのいでも、火曜日になるともう眠くてしょうがない。という訳で、ビールを飲んでせめて6時間くらい寝よう、と思って帰り道にArioを覗いてみた。刺身でも食って、ビール飲んで、さっさと寝よう、という魂胆。

ホッケの刺身というのがあった。活〆、ということだが、ホッケの刺身なんて初めて見た。これは、やっぱ、今日は飲むしかないんだな、とさっそく購入した。さらに、ニシンの刺身ってのもある。これも食べたことがない。やはり、今日は飲むしかないんだな、とこれも購入した。家に帰ってさっそくビールを飲みながら食べてみた。

ホッケの刺身、うまい!これは予想外だった。ホッケの開きをイメージして、どんな刺身だよ?と思ったが、全然違う。コリコリして、白身、青身魚と違う風味があって、これはグッドだった。ニシンの方は、やっぱ、骨がこりこりする。これは嵌る人もいるかもしれないが、私としてはやっぱ焼いた時のニシンのあの濃厚な味の方が良いな。焼き魚では、ニシンの右に出るものはないだろう、と個人的には言いたいところだが、ホッケの開きがうまいときもあれば、ナメタを食べたいときもあるし、宗八がなにより食べたい時もある。けっきょく、いろんな魚を食べられた方が幸せ、ということか。

投稿者 gunship : 20:49 | コメント (48) | トラックバック

ホッケの刺身

もう、完全に睡眠障害だ。転職、引継ぎ、自動車学校、新しい職場…、いろんな事が同時に起こったせいか、毎日まともに寝られたためしがない。3、4時間しか寝られないから、木曜、金曜あたりになると疲労と寝不足がたまり、夜の自動車学校なんて習ってることが全然頭に入ってこない。頑張って起きている、という状態だから、何を習ってもほとんど無意味、という感じだ。

土日になっても、状況は同じ。土曜は朝の6時に眼が覚めて、まったく寝不足が解消されないし、日曜も同じ。月曜はしのいでも、火曜日になるともう眠くてしょうがない。という訳で、ビールを飲んでせめて6時間くらい寝よう、と思って帰り道にArioを覗いてみた。刺身でも食って、ビール飲んで、さっさと寝よう、という魂胆。

ホッケの刺身というのがあった。活〆、ということだが、ホッケの刺身なんて初めて見た。これは、やっぱ、今日は飲むしかないんだな、とさっそく購入した。さらに、ニシンの刺身ってのもある。これも食べたことがない。やはり、今日は飲むしかないんだな、とこれも購入した。家に帰ってさっそくビールを飲みながら食べてみた。

ホッケの刺身、うまい!これは予想外だった。ホッケの開きをイメージして、どんな刺身だよ?と思ったが、全然違う。コリコリして、白身、青身魚と違う風味があって、これはグッドだった。ニシンの方は、やっぱ、骨がこりこりする。これは嵌る人もいるかもしれないが、私としてはやっぱ焼いた時のニシンのあの濃厚な味の方が良いな。焼き魚では、ニシンの右に出るものはないだろう、と個人的には言いたいところだが、ホッケの開きがうまいときもあれば、ナメタを食べたいときもあるし、宗八がなにより食べたい時もある。けっきょく、いろんな魚を食べられた方が幸せ、ということか。

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2007年03月05日

春が来た

去年の今頃、転職しようと決意した。ただでさえ45歳での転職は無謀としたもんだが、その上IT業界のキャリアも浅い。そのキャリア不足を補うために毎年毎年資格を取った。第2種情報処理、ドット・コムマスター、テクニカルエンジニア・ネットワーク、ソフトウェア開発技術者、そして、去年はTOEIC840点。

8年前にIT業界へ入ろうと決めた時から、この日を待っていた。テクニカル・サポート、ローカルIT企業と、一歩ずつエンジニアへの階段を登りながら、俺が行くのはまだこの先だ、といつも自分の勉強のための時間を確保した。今やっている仕事は通過点、仕事が終わった後にやっている勉強こそが自分のための時間。だから、周囲のブーたれてばかりいる同僚とも距離を置いた。文句ばかり言って、その現状を打破しようとしない人間につき合っている暇などない。そうやってスキルをアップして、満を持して望んだ転職だった。

年齢から言って、首や倒産の憂き目に会わない限り、これが最後の転職になるだろう。今までは通過点だったから、いくら安く買い叩かれても次へのステップとして甘受したが、今回は安く売るつもりはなかった。むしろ、できるだけ高く売るつもりだった。だから、コンタクトを取る会社も最初は大物から狙った。それでだめなら落として行こう、という計算。そしてかかった大物との格闘で勉強させてもらった。大物は採用担当者の関門を突破しても、その先に何重もの壁があり、かつ競争相手も多い。だから、年齢のハンデでどこかではねられる。現実問題として、俺が割り込んで行くとしたら、応募者の少ないしょぼい中小企業か、明日の知れないベンチャー企業しかない、のだと。

さて、それで決まった先が設立まもないベンチャー企業だ。会社自体がこれから、という状況だから、目いっぱい働かなければならない。恐らく、今までで、これからが最も大変な日々になりそうな気がする。それでも、この会社はもしかしたら化ける可能性がある。自分が頑張れば、会社も大きくなり、自分も前に進める。自分の努力が会社の発展に直結する、またとないやりがいを味あわせてもらえる可能性がある。そして何より、もう、通過点として仕事をこなす必要がなくなる。やっと、今やっている自分の仕事に全開で臨める。それでなんぼのことができるんだか、チャレンジだ。

さて、という訳で、8年越しの望みがかなって、ようやく真にIT業界のスタートラインに立った。もう、酒もやめよう。全開でチャレンジ、だ。

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2007年02月23日

アメリカのティーン

おとついのCNNから。

アメリカでティーン・エイジャーによるホームレスの殺害事件が増加しているらしい。多いのはバットなどによる殴る蹴るの暴行、さらにひどいのになると顔に自分の汚物を塗りつけ、ナイフで切って死んだのを確認する、などという行為まであるそうだ。

彼らが共通して言うセリフは、殺すつもりはなかった、というもの。ナイフで切っておきながら、遊びのつもりでからかっていた、とはなんの話だ?とあきれるが、当人達にも暴行の最中は現実感覚が希薄で自分のしていることがよくわからないらしい。

犯人達が自分達の行為をビデオで撮影している、というケースも多くあるらしく、Bumfights なるホームレスが金のために殴りあったり、ハンター風の男がホームレスを縛り上げてつかまえたりするビデオに触発されたというケースもあるそうだ。殴っている最中はゴルフのティーショットでも打っているような感じだ、と語ったティーンもいるらしい。

なんでもTV、ゲームのせいにするのもいかがなもんか、とは思うが、肉体的な痛みを実体験として知らない人間には、その痛みも想像するしかないバーチャルなもの、つまりはTV、ゲーム空間の出来事とそれほど隔たりはない、ということなのだろうか?現代の若者ってのは、そんなに肉体的な痛みを知らずに育っているのだろうか?

虐待によっていやというほど痛みを知らされる子供もいれば、まったく痛みを知らずに育つ子供もいる?これもまた一つの両極化?

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2007年02月22日

インドの子供が栄養失調?

The Times から。

IT立国を遂げたインドで、子供達が栄養失調に陥っているらしい。その割合はなんと、3歳以下の子供の47%に上るという。これはエチオピアなどの飢餓に苦しむアフリカの国をも上回る数字で、匹敵するのはアフリカでもわずかな一部の国くらいらしい。

アフリカのすべての国を合わせた以上の収入をIT立国によって得ているインドが、なんで?と不思議だが、ひとつには国策のプライオリティの問題があるようだ。要は、子供たちのために金を使わない。そして、もうひとつはこれでもずいぶんましになっているのだ、という事実。’70年代には3歳以下の子供の70%以上が栄養失調だったインドでは、47%ならずいぶん改善されたことになるという恐ろしい事実。

とはいえ、いったい何のために金を稼いでいるんだ?この国は?と、やはり思わざるを得ない。

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2007年02月10日

永訣の朝...石井教授2

電電公社時代に、専門用語でいうとオブジェクト指向、今では常識のアイコン、マウスを使ったコンピュータの登場に衝撃を受け、自分もいつか世界をあっと驚かせる開発がしたいと考え、仕事が終わってから日夜研究に励んだという。そしてできあがったのが、ホワイトボードのような画面に書いた図像が、そのままコンピュータに反映されるという研究。それで、MITから声がかかった。だが、MITに入ったとたん、今までの研究は捨て、一から新しい研究を始めるようにと言われたらしい。日本人は改良は得意だから、このままでは従来の研究をなぞるだけで新しいものは生まれない。そう考えた学長だか上司に当たる人が、まったく新しいものに取り組むように命じたらしい。

今までずっと研究を続けて、やっとそれが認められてMITにも入った、その研究を捨てる。なんてひどいことを要求するんだろう、と思ったそうだ。周りはすごい研究をしている優秀な人ばかり、自分はなんて凡庸なんだろう、と思ったという。考えて、考えて、行き詰まったあげくにひらめいたのが、tangible。手で触れる感覚を持ったコンピュータ。

MITに行く時、好きだった宮沢賢治の故郷を訪れ、自筆の原稿を見たそうだ。「永訣の朝」。私の記憶が確かなら、亡くなった妹への追悼の詩。その原稿を見て、不退転の決意でアメリカに臨んだという。行き詰った石井さんは、ある時、その賢治の原稿を思い出したらしい。その肉筆は、活字で見るのとはまったく異なる生々しい印象を与えた。コンピュータにも、そんな生々しい手触りを与えることができないものだろうか?

文学研究の世界では、かなり前からあった発想。作者の自筆原稿に触れた時、活字の作品とはまったく異なる印象を誰もが受ける。もしかしたら、自筆原稿には、活字が伝えられない情報が詰まっているのではないか?物語のストーリーは変わらない。だが、それとは別の次元の、何かが肉筆原稿には詰まっているのではないか?そして、その貴重な何かが活字にする時点で抜け落ちていくのではないか?その何かを、読むという行為の中に取り込むことはできないものか?

石井教授もまた、そう考えたらしい。コンピュータに、具体物の持つ手触りを持ち込めないものだろうか?その成果は、今着実に形になりつつある。TVで紹介されたもので驚いたのは、刷毛で人間の眼に触れた後、その刷毛をホワイトボードになぞると、その眼がそこに映し出されるというもの。ホワイトボードに眼が並び、しかも、まばたきしている。驚いた。

石井さんは、決していわゆる天才ではない。欧米の優秀な人材の中では、本人がおっしゃるように、たぶん凡庸な部類に入るのだろう。だが、その優秀な中でも特に優秀な人間が選りすぐられるMITの中で、彼は先頭を走っている。なぜだろう?

謙虚さ、まじめさ、そして何よりもたゆまぬ努力。古い日本の持っていた美徳。そのすべてが、彼を押し上げているように感じた。古臭いといって捨てられてしまった日本人の美徳。それが、実は世界の最先端で息づいている。すごく、ほっとした。そして、刺激をもらった。生まれながらにもらった能力をとやかく言っても始まらない。問題は、能力があるなら生かす、なければ補う、そうして自分を押し上げる努力をすること、自分にできることはそれしかないんだな、と改めて学んだ。

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2007年02月09日

永訣の朝...石井教授

昨日、NHKの「プロフェッショナル」という番組で、マサチューセッツ工科大学の石井裕教授の特集を見た。

マサチューセッツ工科大学、略してMIT。知らない人はだから?という感じかもしれないが、科学、というかコンピュータの世界では世界一と言っても、誰も異を唱えられないくらいの名門中の名門大学。そこで日本人の石井教授が、タンジブル、触れられるコンピュータという全世界の注目を集める研究をしているらしい。

自分は凡人、だから人の2倍働き、3倍の成果をあげなければならない。

そういう石井さんは、いつもMITを走り回っているという。だが、その謙虚な言葉以上に衝撃を受けたのが次の言葉だ。

出る杭は打たれる。だが、出過ぎる杭は誰も打てない。

オリジナルが命。誰もできない、誰も考えたことのないことをやる、そのために全力を注いでいる...。これが、日本人だろうか?と、驚愕した。

コンピュータの世界は、いや、なんの世界でもこれで終わりということはないから、どんなに頑張っても必ずいつかだれかに抜かれる時が来る。それでいい、と石井さんは言う。むしろ、教え子の院生達には自分を超えてほしいと。

ほとほと感心した。こんな人が、日本人として活躍してくれていることを、心から誇りに思った。

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2007年01月30日

ふーん

Windows Vista Ultimate を買ってきた。てっきり、ウルティマと読むのかと思ったら、まんま英語読みのアルティメットで驚いた。ウルティマの方がカッコいいだろうに。

それはともかく、私のシステムは以下。
Intel CeleronM 1.46GHz
Memory 1.5GB
HDD 40GB

個人的にCPUよりもメモリが Vista では重要だと思う。たぶん、1GB以下ではストレスがたまるのではないか。アップグレードした画面はなるほど、ちょっとXPよりはカッコいい。が、そんな見てくれはどうでも良い私としては、だからどうだってーの?って感じだ。

アップグレードOSで3万3千円もするなんてさすがにびびるが、ためにためたポイントを使って軽症ですんだ。購入のおまけに発売記念として、512MBのUSBメモリをもらった。これがすごくうれしかった。今持っているのが256MBですぐいっぱいになるから、もっと容量の大きいのがほしいな、と思っていたところなので。Windows Ulitimate よりも、このメモリのおまけがとてもうれしかった。

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2007年01月29日

いよいよか、人類の危機

The Times から。

世界中の科学者が集まり、地球温暖化の影響についてまとめた調査、研究の結果が今週発表されるらしい。それによると、この10年の間に具体的な対策が取られない場合、地球の多くの場所が人間の住めない土地になるという。

ポイント・オブ・ノーリターンはCO2レベル550ppm。このままで行くと2040-50年に到達するそうだが、このレベルを超えるともはや温暖化の悪影響を軽減、回復することは困難となり、急激な環境破壊が現実のものとなるという。アマゾンの熱帯林、グレートバリア・リーフが失われ、多くの土地が海面上昇によって消滅する。赤道地帯では億単位の移民が発生し、ヨーロッパでは、南は夏が耐えられないほど暑くなり、北は夏の旱魃と嵐の冬が訪れる。海は酸性化して多くの魚介類が住めなくなる。

今のところ、森林や海によるCO2の吸収のおかげで、これらの被害はすぐには現れないが、リミットに達した時に急激に現れる。それを食い止めるために不可欠なのが、これからの10年の具体的な対策だ。この10年を座視してやり過ごしてしまった場合、もはや手遅れでコントロールできない状態になるという。

南極の氷が溶ける、海面が上昇する、サモアがモルジブが海面下に沈みそうだ、北極熊が絶滅の危機に瀕している、北極海の氷が溶けてただの海になる、等々、地球温暖化の影響が語られ、危ない、危ないと言われ続けられながらも、それらが我々の日常世界からほど遠い極地の出来事に過ぎないために、単なる兆候として、軽いニュースといった気軽さで聞き流されるだけだった。だが、さすがに今度ばかりはそれをやると、ほんとに20、30年後に世界は一変するだろうな。

温暖化は加速しているし、中国、インドといった発展中の国々がさらに拍車をかけている。過去の20年より、これからの20年のほうが、よほど劇的な変化が訪れるだろう。極地の氷の減少を報道写真で見た時、見渡す景色が一変しているその規模の大きさに驚いたものだが、あと20年、30年もすれば南極は丸裸になるだろうな。私が生きている間に、日本の海岸地帯の水没も現実化するような気がする。

自分たちの住むこの地球自体が危ないとは言っても、その危機が現実の脅威として身の回りに見える訳ではないから、世界は戦争を続けるだろうし、先進国も途上国もCO2の削減に積極的に取り組むこともないだろう。オセアニアあたりの国が水没して、初めてよっこらしょ、という程度ではないかと個人的には思う。だから、ポイント・オブ・ノーリターンのCO2レベル550ppmも、もちろん楽々超えるだろうし、環境破壊も必ずやって来るだろう。

現在、私は45歳だが、普通に生きられたとすると、死ぬ頃には間違いなく世界は変わっているだろう。それでも、死んで行く私はその中で生きる訳ではないから良いものの、その世界で生きて行かなければならない子供らを考えると、暗澹とした気持ちになるな。

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2007年01月24日

卓球か

私が子供の頃は中国と並ぶ卓球大国だった日本。それが、ここ20年(だったかな)ほどは低迷を続けている。ジュニア育成を怠ったツケがまわったということだが、今回の全日本選手権で男子の17歳水谷、女子の13歳石川という新星が現れたようだ。それもこれも、どうやら福原愛の影響があるらしい。

大人に負かされては悔し涙を流す幼い頃の愛ちゃんを、私もTVで見て知っている。格好のバラエティー番組のネタだったが、ネタにしているのは大人達だけで、当の愛ちゃんは常に勝とうと一生懸命にプレーしていた。彼女がひたむきに頑張れば頑張るほど、その彼女が負けて涙を流すのがTV的には絶好だったので、いつも彼女は泣かされていたものだ。

それでも、この少女は大物になるだろうな、と思っていたのだが、厳しいようだが、今のところ、あれだけ小さい頃から打ち込んでいたわりには、こんなもんなのかな、という印象を受けている。彼女ほど小さい頃から一生懸命努力している選手はいないだろうに、それでも、日本でも、世界でもよく負ける。厳しいようだが、あんまり、才能的には恵まれていないのかな、という気がする。

が、卓球協会は愛ちゃん効果を逃さず、ジュニア育成に取り組んで、卓球教室等の普及活動を行い、ジュニア育成にも力を注いだそうだ。その成果が今回の石川だったりするらしい。先日発表されたナショナル・トレーニングセンター、国がバックアップしてエリート選手を育成するプロジェクトに最初に選ばれたのも卓球だった。これまでの選手育成の努力が買われたらしい。

野球、サッカー等のメジャーな、あるいはプロがあるスポーツはそれなりに組織が整っているが、卓球にはそれがない。実際、愛ちゃんの親は、練習環境、練習相手を求めて転居を繰り返したそうだ。という訳で、どちらかというとマイナーなスポーツからナショナル・トレセンはスタートするようだが、それを促した愛ちゃんの功績は彼女自身の実績以上に計り知れないのだろうな。

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2007年01月17日

3万人の犠牲者.....か

国連の発表によると、昨年のイラク市民のテロ等による犠牲者が34,000人以上になるという。イラク政府は1万数千人程度と発表しており、国連の発表は不正確で誇張だと言っているが、派閥間の闘争、数十人規模の死者が出る自爆テロが日常化している現状を考えると、3万人と聞いて、むしろその程度?という印象を私は受けた。

道を歩いている時、買い物をしている時はもちろん、職場、学校にいてさえいつ拉致されるか、爆弾が破裂するかわからないイラク。日常が戦場のまさに地獄、と思っていたが、よく考えてみると3万人は日本の自殺者数と変わらない。

平和で裕福なはずの日本で、日々イラクの犠牲者に匹敵する人々が自殺して行く。不気味な現実だ。

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2007年01月16日

Doomsday clock

The Times から。
Doomsday clock が進められるらしい。最後の審判、つまり世界の終末の到来を象徴する時計だそうで、1947年に作られたらしい。以来17回動かされ、現在は11時53分。終末まで7分の時間にあるらしい。

今まで最も終末の12時に近づいたのは、1988年に冷戦が始まった時の11時54分だそうだ。今回はたぶんそれを上回り、終末に再接近することになりそうだが、地球温暖化と広がる核の脅威がその理由らしい。極地の氷がなくなり、南海の島々は水没の危機が迫り、多くの動植物が絶滅の危機に瀕しつつある。もはや地球の危機はまぎれもない現実だが、その危うい地球の上で人はなお争うことをやめない。

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2007年01月12日

久々の東京 2

ゆりかもめに乗ってお台場見物をして来たのは何も観光ではない。データセンターに行ってサーバをセッティングするためだった。ま、データセンターとは行っても、それほどのもんでもなかろう、くらいに思っていたのだが、実際に入ってみると予想以上にすごかった。

まず、手のひらをパネルにつける5本指の指紋認証にやられた。スパイ映画などでは見たことがあるが、実際にスパイ映画風の建物でやってるところを見ると、「おー!」と感動する。エレベーターもでかくてちょっとした待合室が上下している感じだし、ゲートを通るたびに指紋認証をやられて、また「おー!」という感じになる。数々のゲートを通って地下に降り、ようやくサーバ・ルームにたどりつく。当然のことながら、うるせー、うるせー。ご家庭に置いたら1台で十分騒音になる機械でいっぱいなんだから、話す時もついつい叫びがちになる。が、それでも、HP、IBM、Dell、Sun等々のサーバがラックにひしひしと並ぶ光景を見るのは楽しい。壮観だ。ずらっと並んだLANのランプが忙しげに点滅する様は、何度見てもうっとりする。

このデータセンターは都内の30%の電力を供給する東京電力の変電所を地下に持ち、自家発電も備えているから、まず停電などは考えられない、という。ここが停電する時は、東京が停電する時、って感じらしい。もちろん耐震構造になっているから、震度4くらいまでは何も揺れを感じないそうだ。コップを伏せた構造になっているから津波が来ても浸水することはなく、万一建物が倒壊しても全壊することのないように2分構造になっているらしい。ほとんど要塞だ。たぶん、というか間違いなく日本一のデータセンター、と当事者達は言っている。

サーバ・ルームのあちらこちらに見かける紙袋は、なぜかみなビック・カメラのものばかり。少なくとも、私の通った道筋にヨドバシの袋は見かけなかった。なんでだろう?データセンターに来るような技術者は、みんなビック・カメラに行くのかな?それとも、そういう会社とビック・カメラがうまくやっているのか。サーバ機はさまざま。見たこともないような機械もいろいろ動いていた。そんな膨大なサーバ群を見るのはとても楽しかった。

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2007年01月11日

久々の東京

久しぶりに東京に行って来た。8年ぶりくらいだろうか。この間、新しい名所がたくさん出来て、私の知っていた東京とはずいぶん様変わりした。テレビ、映画などで見る東京はすっかりあか抜けて、かつての東京が田舎くさく感じられるほどだ。特にそう感じさせられるのが、お台場のあたり。ゆりかもめに乗って、日本テレビ、フジテレビなどのおなじみの建物を見て、レインボーブリッジを渡って来たが、なるほどこの辺はカッコいい。初期の「踊る大走査線」のイメージが残っていたので、まだそんなに建物もないんだろう、くらいに思っていたが、なんのなんの、もう立派にビルの立ち並ぶ場所になっていたんだな。
ほんとは、夜に見られればもっと良かったのだろうが、残念ながら時間がなかった。今日の東京は、札幌の人間からすると「春らんまん」。暖かいのなんの。つい、さっき降りた札幌が、凍りつくように寒く感じられた。

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2007年01月08日

酒飲みって、やだな

酒飲みって、やだな、と、数年前から思うようになった。

日本は、酒飲み、酔っぱらいに寛大な国だから、鈍感になっていたのかもしれない。酒飲みってのは、そんなもんだと、自分も含めて、酒飲みが社会的に認められた「まともな人間だ」と、高をくくっていたのかもしれない。

若い頃は、まだ、良い。人にもよるが、いくら飲んでも、醜悪になることはそれほどない。が、毎日酒を飲まなければやって行けない人間が年を取ると悲惨だ。ぐだぐだだ。手は震える、まともに歩くことはできない。趣味だ、運動だ、なんぞのあるような人間じゃないから、日がな一日酒を飲んでTVを見てるから、足がなえて歩くこともできない。その上酔っぱらっているから、そいつが動くとぶったおれそうで危なくてしょうがない。ただでさえ迷惑なやろーが、さらに周囲に迷惑をかける。

これが、人間だろうか?、と思う。今時の時勢だと、要介護の人間なんだろうが、はたから見れば良い迷惑だ。なんで、こんな奴らを介護しないとならないの?と、私は思う。

私も酒飲みだ。普段は飲まないが、週末になると、やっとここにたどり着いたー!、とでも言うようにがんがん飲む。基本的に、ぐだぐだの酒飲みと同じ穴のムジナなのだ。だが、最近、自分も含めて、そういう酒飲みが本当に嫌いになって来た。「お前ら、ほかにすることないの?」と、思う。酒飲んで終わり…、それが人生だろうか?

それで良い人もいる。その人を批判する必要もない。問題は自分、だ。嫌だ! 酒を飲んで、ぐだぐだに生きるなんて、まっぴらごめんだ。

とりあえず、この連休を飲まずに過ごした。連休を飲まずに過ごすなんて、いつ以来か自分でも分からない。今年はチャレンジ、だな。

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2006年12月30日

フセイン処刑

フセインが今日の未明に処刑された。

1990年のクウェート侵攻以来、危ない国家指導者の第一人者だったフセイン。自国のシーア派、クルド族の虐殺で裁かれていたが、早々の処刑で全容の解明は闇に葬られた。30日以内という期限付きではあったが、それにしてもずいぶん早い執行だな。ワシントン・ポストの速報によると、なんでも今日はフセインの属するスンニ派の祭りが始まる日だとか。ただでさえ、USのバックアップでシーア、クルドがスンニ派に報復していると目されていた裁判。スンニ、シーア派間の闘争が激化するばかりの現状を考えると、新たな禍根を残したような気がする。

Washington Postによると、処刑台に臨むフセインはどうやら臆病者だったようだ。
"He was frightened. It was clear in his face, but he turned his face at me and said, 'Don't be afraid,' " Rubaie said. "It was just like he was talking about himself."
(彼は恐れていた。それは表情から明らかだったが、彼は私を振り向くとこう言った。「怖がるんじゃない」、それはちょうど彼が自分自身に言い聞かせているようだった。)

が、これが普通だろう。ギャー、ギャー騒がなかっただけまだましだ。とは言え、数日前に死んだジェームズ・ブラウンは、「今夜、逝くよ」と静かに語ったそうだが、えらい違いだな。人間の格が違う、という感じだな。

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2006年12月12日

北極の氷が消える

The Times から。
北極海の氷が2040年までになくなるという報告がアメリカの研究機関からなされたらしい。しかも、それはかなり楽観的な評価で、実際にはもっと早く加速度的に失われていくだろうとのことだ。既に、北極熊が絶滅の危機に瀕していると言われるが、環境の変化に適応できない限り避けられない見通しのようだ。

北極海が開かれた海となることによる変化の一例として貨物輸送船が北極海を近道として利用する、冒険者達が命がけで向かった北極点をシャンパン片手にクルージングする旅行が可能となる、といったことがあげられていたが、もちろんそんなことでのんびり笑っていられる状況ではなかろう。北極海の氷自体は海に浮かんでいるものだから、溶けても海面上昇にはつながらない、ということだが、グリーンランドの氷が溶けると7m海面が上昇するという。北極が溶けるなら当然南極も溶けるだろうし、もし、このままの数字で日本を取り囲む海が上昇したら、ただでさえ狭い日本が、相当狭くなるだろうな。海岸の砂浜はみんな水没だ。というか、東京の埋立地はもとより、港もみんな水没してしまうんじゃないのかな。

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2006年12月09日

分からない

「Newsweek」から。

イスラム国家の中で、マレーシア、インドネシアの両国は、多民族、多宗教の共存と民主主義を実現して来た穏健的なイスラム国家として知られていたらしい。その両国が、イスラム原理主義の過激派に移行しつつあるという。

デンマーク新聞のムハンマド風刺画問題の時にも、インドネシアは過激な反応を示していた。へー、インドネシアってそういう国なんだ、と驚いたが、イスラエルのレバノン攻撃の際は、レバノンへの援軍派兵が論議されたというくらい過激になって来ているらしい。原因の一端は、西側、とりわけブッシュの対テロ戦争宣言という。イスラム圏の人々からすると、西側の対テロ、はイコール対イスラムに聞こえるらしい。

とは言え、何もかもがブッシュのせいなのだろうか?という疑問が残る。インドネシアでは、登校途中のキリスト教徒の少女3人が拉致され、首をはねられる事件があったそうだ。日本人もイラクで首をはねられた。この21世紀の世界で、どうしてイスラムの人達は、首をはねる、なんていう野蛮な殺人をすぐに始めるんだろう?

イラクの惨状を見るがいい!西側の、アメリカのやっていることは首をはねることよりもっとひどいではないか!と、彼らは言うかもしれない。OK。それを全部認めよう。西側がイラクの人々に行った行為は、イラクの人々が西側の人間の首を切る行為よりひどいと。だが、仮にそう認めたとして、ではイラク人がイラク人を殺す、という行為はどうなのだろう?イスラムの人間がイスラムの人間を殺す、という行為の責任が、果たしてブッシュや西側にあるのだろうか?

ここのところ続いているイラク省庁の襲撃、拉致、殺人事件。街には死体がごろごろ転がっているという。しかも、ひざ、腹、頭にドリルで穴を開けられたイラク人の死体が。

この殺人も、西側のせい?西側の軍がやった行為?

インドネシアのジャカルタでは、腕や足を見せた女性を10年の懲役に服させるという法案が提出されたそうだ。Acehという街ではモラルポリスがスカーフをしていない女性をしょっ引いたり、不道徳な行為、たとえばセックスなどをしていないか、民家に踏み込んで調べたりしているらしい。そして、この街を模範とするべく、各地から視察が訪れるという。

マレーシアでは、一夫多妻制を擁護すべく、夫が好きな時に離婚できる、他の妻を取る時は今の妻の財産を共有にできる、等の法整備が進められているという。

私には分からない。こうした動きが、いったい西側となんの関係があるのだろう?イスラムを知らない私には、イスラムというのはそういう世界なんだ、としか考えられない。

あんまり理解できないので、Oxford University Press の「ISLAM」って入門書を買って来た。まずは、勉強から、だな。

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2006年12月07日

だめだったか

アメリカ、オレゴンで行方不明となっていた父親の死体が発見されたようだ。

サンクスギビングの休日を西海岸で過ごしての帰り、雪道にはまって動けなくなったそうだ。車中で9日を過ごした後、助けを求めて外に出たらしい。残った母親と子供二人は今週発見されて救出された。食べ物がなくなって、母親は7ヶ月の子供といっしょに、4歳の子供にも母乳を与えてしのいでいたらしい。

家族が助かったのだから、もしかしたら、まだ、この父親も助かるんじゃないかな?と気にかけていたが、残念ながら死体で発見されたらしい。捜索にあたったレスキュー隊は、父親の歩いた険しい山道をたどり、こんな場所をあの状況下でここまで歩いてきた彼は超人的だ、と称えていた。家族のために、すさまじい気力を発揮したヒーローだと。

西海岸を襲った雪は予想外の出来事だったから、もちろん冬支度の用意もなく、父親は普通の格好で雪の中に出て行ったらしい。このまま車の中に全員いても、自分が助けを求めて出て行っても、家族が助かる可能性は少なくとも同じ。ならば、自分が助けを求めに行った方がチャンスが増す可能性だけはある。そう、考えたのだろう。賭けは家族のためのもので、彼のためのものではなかった。

自分も今、父親だから、気になった。自分なら、どうしたんだろう。

なんか、「生徒諸君」の沖田を思い出した。

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2006年12月06日

へー、世界一裕福な国なんだ

朝日新聞から。

国連の研究機関が5日発表した「世界の個人の富の状況」によると、為替レートで計算した一人あたりの富で、日本が世界で最も豊かな国という結果が出たそうだ。

"それによると、世界中の家計の富を合計すると125兆ドル。1人あたり2万500ドルとなった。国別に見ると日本は1人あたりの富が18万1000ドル(約2000万円)でトップ。米国の14万4000ドルなどを上回った。"

「いざなぎ景気」を上回ったという詐欺まがいの報道もそうだが、なんでこういう生活実感とかけ離れた訳の分からん評価が出てくるんだろう?要は、年金も保険も信用できないこの国で、多数を占める高齢者はもちろんのこと、国民みんなが自衛のために金を貯めてる、もしくは、不況、先行きの不安のためにみんな消費を控えて金を貯めてる、ってだけの話じゃないのかな?

とはいえ、仮にそうだとしたところで、貯める金があるだけましって話か。

"貧しい地域では、コンゴ(旧ザイール)が1人あたり180ドル、エチオピアは193ドルなどで、北米やヨーロッパ、日本などとの1000倍規模の激しい格差を示している。世界を10人の集団にたとえると、1人が99%の富を独占し、残りの1%を9人が分けている状態だという。"

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2006年12月01日

なるほどそういうことか~平成の phantom boom~

高度経済成長の象徴、「いざなぎ景気」に迫る、だのと騒がれ、ついにはその「いざなぎ景気」を越えたと報道された、平成の誰の目にもそれと見えない幻の景気。なんでこのクソ寒い今の日本が好景気なのか、その謎がようやく解けた。

今日の毎日新聞のWeb、「「いざなぎ」に失礼だ!」という記事がその謎を解いてくれた。

1965年11月から70年7月まで4年9カ月景気が拡大した「いざなぎ景気」は平均実質成長11・5%。名目では18・4%。高度成長の熱気が列島に充満していた。
 これに対して「いざなぎを超えた(と言われる)今回の景気」は実質で2・4%成長。生活実感に極めて近い名目では1・0%。ハッキリ言えば質、量ともに「いざなぎ」と比べるのが気恥ずかしいような代物なのだ。

なるほどな。バブル崩壊後のどん底が深かったから、単に上向いている時間が長いというだけのことで、まだ這い上がってすらいない、ということか。そういうことなら、よーくわかる。しかも、その上向いているという状況が、『ゼロ金利政策でもともと家計に入るべき「金利」が銀行・大企業の「利益」に移動させられたから可能になった』まやかしの景気だという。不良債権の山にあえぐ銀行をほったらかす訳にも行かないから、日本国民より、まず銀行を救え!ということでやってきた政策の成果が出たという訳だ。

バブルとその崩壊を招いた銀行、さらには企業を守るために、日本国は労働者、つまり国民を切り捨てた。企業が倒れれば、日本国が倒れるという言い分で、派遣という使い捨ての労働力を認めて企業を保護した。そして、企業は景気が上向こうが、収支が上向こうが、どん底まで落ちた雇用体制を改善しようとはしないし、もちろん人件費もあげようとはしない。このままの状況さえ続いてくれれば、うまい汁が吸える。何をわざわざ正社員を雇う必要がある?社員なんぞ、必要になったら人材派遣会社から取り寄せ、いらなくなったら捨てれば良いだけのことだ。

見るがいい、その結果がニートだなんだと、働こうという意志も希望も持てない若者達の増大だ。官僚、政治家のなんと無能なことか。改めて言う。お前達は、無能だ。この、今の日本の社会が、お前達の無能さと無関係に、わけのわからない時代という不可抗力の流れによって生み出された偶然の産物だとでも思っているのか?だとしたら、お前達は無能ですらない。白痴だ。

アジアでは、インドはもとより、韓国、中国、シンガポール、etc。どこの国の子供達も必死で勉強して立身出世を目指している。エリートとして、自分の国の先頭に立とうという志を持った子供達が沢山いる。働く意欲も希望も持てない若者にあふれる日本国が、アジアでいつまで競争して行けるのだろう。

「いざなぎ」に失礼だ!

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2006年11月30日

1,000年か

教皇ベネディクト16世がトルコを訪問している。車でパレードもする予定だそうだが、大丈夫かな。自分でまいた種とは言え、イスラム批判でかなりの反発を招いている。当初の目的は東西教会の和解、ということだったようだが、事情が変わってしまったかもしれない。

それにしても、東西キリスト教の分裂が1,000年にも及ぶのだから恐れ入る。その間、1200年頃の第4次(だったかな?)十字軍がコンスタンチノープル、今のイスタンブールを占領してさらに東の反発を助長した経緯もあったそうだ。十字軍なんて、世界史の、遥か昔の出来事、という感じがしていたが、それが現代までつながっているんだから、ヨーロッパ、中東というのは、何をとっても本当に根が深いな。

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2006年11月21日

こんどは洪水か~アフリカ

飢饉、戦争、虐殺、それでも足りないというのか、今度は洪水がアフリカ中部を襲ったらしい。50年に一度あるかどうかという規模の洪水で、ソマリア、ケニア、エチオピアあたりの国々が水没しているらしい。そして、またまた難民を輩出している訳だが、争いのために救援物資を届けれらないという事態も起こっているそうだ。50万人の子供が危機にさらされる可能性がある、と、支援団体は緊急の援助を国際社会に要請しているそうだ。

アメリカのカテリーナの時もそうだったが、熱帯地域は、水没するとワニやヘビに襲われる危険もある。実際、すでに犠牲者が出始めているらしい。そして、マラリア等の疫病。水害による衛生状態の悪化、食糧不足による疫病の蔓延が最も恐ろしいという。

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2006年11月13日

どういうことだ?~イスラエル非難決議~

先週のイスラエル軍によるパレスチナ民家砲撃事件。夜中に寝ている一般人の民家が砲撃され、子供を含む18人の死者が出た。イスラエル軍による民間人の犠牲者がほとんど日常的な出来事になり果てているのがガザとは言え、それにしても、これはいくらなんでもひどすぎる。夜中の寝ている一般人の、普通に生活している市民の家を砲撃するとは、正気の沙汰ではない。

パレスチナのミサイル攻撃に対する報復ではない、システムの故障だ、とイスラエルは発表しているが、仮に故障だろうとなんだろうと、それで何が許される訳でもない。アラブ連合はさっそく国連にイスラエル非難決議を提案したが、あろうことか、アメリカが拒否権を発動した。曰く、イスラエルを偏見で見ている不公平な決議だ、と。

こんなことをしているから、信用されないのだ。アラブ諸国が怒るのは当たり前だ。イスラエルのこんな非道な行為を弁護しているようでは、イスラエル建国も、イラク占領も、アラブの世界に土足で上がり込んで好き放題に荒らし回る行為にすぎないと言われて当然ではないか。

さすがにイギリスもこれにはあきれているようだが、日本ではニュースにすらならないようだ。

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2006年11月08日

やっとか、ブッシュ

クリントン政権へのアンチテーゼで誕生したブッシュ政権。民主党のクリントンは、共和党のブッシュ親子にはさまれたかっこうで分が悪い。だが、財政再建、IT化、国民保険の整備といった国家の基盤を整備しようとした活動は、戦争をすることでしかアメリカの、自己の、威厳を保つことのできない無能なJ,W,ブッシュとは間違いなく一線を画している。ブッシュが、いったい何を成し遂げたというのだろう?たまたま9/11のテロがあって、戦争の大好きなブッシュが、これ幸いとアフガニスタンに、イラクに、戦争を仕掛けたことが、アメリカの先制防御として正当化されただけではないか?危機管理能力、という名のもとに。

もう、いいかげんにしようではないか。少なくとも、ブッシュがアメリカの大統領であるが故に、いらぬテロ、闘争、戦争が、いやというほど繰り返されている。こんな、無能な、むしろ有害な大統領を、頭に据えているアメリカの気が知れない。

どうやら、ニュースを見た限り民主党が勝ったようだな。当たり前だ。戦争しかできない、無能なブッシュを、いままで大統領にして来たこと自体がアメリカの恥なのだから。ビル・クリントン、そしてヒラリーさん、だいぶがんばったようだな。特にヒラリーさん、このアメリカという大国を変えられるのは、あなたしかいないと、私は信じています。そして、期待しています。

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2006年10月14日

Madonnaもか

「The Times」から。

マドンナがアフリカ「Malawi」の子供を養子にしたそうだ。「Raising Malawi」と銘打ってチャリティーコンサートをしに行ったのは知っていたが、その時母親を失った子供を養子にしたらしい。

アフリカの子供を養子にすると言えば、ユニセフ大使としてアフリカを訪問し、既に二人の養子(一人はアフリカじゃなくてカンボジアだったかな?)を取っているアンジェリーナ・ジョリーが有名だ。ブラッド・ピットと結婚して彼との実子を産んだが、CNNに語ったその時のコメントがすごかった。アフリカを理解するためなんだろう、わざわざ、アフリカまで行って子供産んだそうだが、既に養子にしていた子供達と、自分で産んだ子供に対する愛情が変わらなかったので、ほっとした、と語っていた。映画もすごいが、人間が桁外れにすごい人だな、と感服した。

昔から、体制、というか現状に楯突くのがマドンナだったから、アフリカに行って問題提起するのは彼女らしい、と思っていた。「Like a prayer」で黒人のイエス・キリストを演出して、キリスト教団体からもう反発をくらってペプシコーラ(コカ、だったかな?)のCMが放送禁止になったこともあったが、あのPVはマドンナの中でも私が最も好きなものだった。とはいえ、セックス・シンボルを自認するマドンナだけに、「養子」ってのはちょっとキャラじゃない、意外だな、と思っていたら、案の定バッシングを浴びているようだ。

IF MADONNA wants to show off how much she cares for African orphans, why can’t she just wear a plastic wristband like every other moral poseur, instead of being photographed wearing a Malawian baby on her back in a native sling? An African baby seems to be the latest celebrity accessory.
(もし、マドンナがいかにアフリカの孤児たちを心配しているかを見せびらかしたいのなら、なぜ、彼女は他の道徳家ぶった人達と同じように、ただリストバンドをつけるという訳にいかないのだろう?マラウィの子供を背負っている写真を撮ってもらう代わりに。このアフリカの子供は、まるでこの有名人の最新のアクセサリーのようだ。)

他にも、かなり辛らつな批判がなされていた。やっぱ、セクシー路線で売ってきたマドンナだから、その「sincere」=真心 ってのも眉唾もんに見られるんだろうな。

OK, let’s accept Madonna is sincere. But the attitude she embodies is condescending and slightly obscene.
(OK、マドンナが心から誠実だとしよう。でも、彼女が実際に取っている態度は、恩着せがましく、ちょっといかがわしい。)

ここまではっきり批判できる、Mick Hume というこの記事のライターに感心する。苦しんでいる人を見て、何もしない人間に、手を差し伸べた人間を批判する資格はない。だが、養子問題となると、ちょっと事情が違ってくる。子供はおもちゃではないからだ。果たして、Mickがもっともなのか、マドンナが誠実なのか。チャリティーすら、この世では一筋縄では行かないようだ。

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2006年10月06日

さようなら、Amishの少女達

The Times から。

銃殺されたAmishの少女達の埋葬が行われたらしい。皮肉なことに、少女達の棺を乗せた馬車は、犯人Robertの家のそばを通って墓地へ向かったという。

生存した少女が、少しずつ語り始めたらしい。犯人のRobertが人質となった少女達の足をしばる間、誰も慈悲を乞う者はなかったという。それどころか、年長の少女が次のように言ったという。

The oldest girl, a 13-year-old, said to him: "Shoot me and leave the others alone." He shot them all.
(年長の少女、13歳の少女が彼に言った。「私を撃ちなさい。そして、他のみんなには手を出さないで。」でも、彼は全員を撃った。)

電気も車もTVも電話も…、アメリカという現代社会のまっただ中にあってそれら文明の産物を避け、近代以前の質素な生活を営みながらキリストの教えに忠実に従おうとするAmish。古来、争いの源として無限の悲惨を生み出して来た宗教というものを私はあまり好きなれないが、この少女の生き様には感動を禁じえない。

The Amish belief in forgiveness is so genuine that the wife of Roberts, Marie, was invited to the funerals. She did not attend but will meet the families next week.
(アーミッシュの許しの信仰は真に心からのものであるから、犯人Robertの妻、マリーもまた葬儀に招かれた。彼女は出席しなかったが、来週親族と会う予定だ。)

Ruben Fisher, an Amish bishop whose granddaughter, Marian, was killed, visited Roberts’s wife on Monday night, just hours after the shootings. He had spent the afternoon looking at Marian, her wounds still fresh. He told Mrs Roberts that the Amish had forgiven already.
(ルーベン・フィッシャー、彼自身、孫のマリアンを殺されたアーミッシュの司教は、犯人Robertの妻を月曜の夜に訪れた。銃撃のほんの数時間後のことだ。彼は、その日の午後、孫のマリアンを見て過ごした。傷はまだ生々しかった。彼は犯人Robertの妻に言った。「アーミッシュは、もう、とっくに許しているよ。」と。)

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2006年10月03日

PARADISE

相次ぐ銃撃の新たな標的になってしまったアーミッシュの町。本当の名前かどうかは知らないが、CNNもThe Timesも、その町を PARADISE と呼んでいた。平和で静かな現代のパラダイス。あろうことか、その町で小学生の女の子が"execution-style"で銃殺されてしまうとは。整列させられ、頭を打ち抜かれて処刑されたパラダイスの子供達。

アーミッシュと言えば、ハリソン・フォード主演の「刑事ジョン・ブック 目撃者」を思い出す。現代文明を拒み、車、電話、TVなども使わずに近代以前の生活を守る人々。実際、今回の惨劇のあった町の近くでも、車道を行く馬車に乗ったアーミッシュがよく見かけられたらしい。澄んだ人々の心、生活に接して、自身の穢れを思い知る刑事ジョン。犯人との銃撃の後に、静かに村を立ち去るシーンが印象的だった。

Aaron Meyer, the owner of a local buggy company, said that Paradise, like many of the townships in the area, had no police “because there’s just virtually no crime”. Donald Kraybill, an Amish expert, said: “This would have been shocking to the children - they wouldn’t have been exposed to any of this on television.”
(アーロン・メイヤー、地元の馬車会社のオーナーが言う。「パラダイスは、この辺の多くの町と同様、警察がなかった。なぜなら、犯罪がほとんどないのだから。」アーミッシュの専門家、ドナルド・クレイビルは言う。「この事件は子供達にはショックが残ることだろう。彼らはTVを通してこういった出来事にさらされることもなかったのだから。」)

警察もいらない平和な村。子供達が犯罪を知ることもない平和な村。なぜ、そこで。

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2006年09月06日

やっと王子誕生か

王子誕生のニュースが、The New York Times のWebでも一面で取り上げられていた。皇太子の代に男の子供がいないため、女性天皇の是非をめぐる議論に発展したことなども詳しく報じていた。その中で、男性天皇の伝統に固執した安倍官房長官は"the nationalist chief cabinet secretary" と表現されていた。どうやら、中国、韓国はもちろんのこと、アメリカからも彼はナショナリストに見えるようだ。

プリンセス雅子の世継ぎを求められるプレッシャーによるうつ病や、彼女を弁護して物議をかもしたプリンス徳仁のことも書かれていた。これに対し、いつも兄の影に隠れていたプリンス秋篠宮がこの発言を批判し、もう一人子供を作る意図を語り、そしてめでたく王子誕生となったという流れで、記事を以下のように結んでいる。

Princess Kiko, the daughter of a university professor who never had a career before marrying, has become the darling of the Japanese media. By contrast, Princess Masako has increasingly become a target, routinely criticized by the conservative media for her supposed selfishness and lack of common sense.
(プリンセス紀子さまは、大学教授の息女で結婚前に仕事を持たなかったが、今や日本のメディアの寵児となった。一方、プリンセス雅子さまは、保守的なメディアに決まって自己中心的で良識を欠くと見なされ、ますます批判される対象となった。)

ハーバード出身のもと外交官という華々しい経歴を持つプリンセス雅子と対比して、プリンス秋篠宮同様、プリンセス紀子が日陰の存在から一躍踊り出た、というニュアンスを暗に持たせたのだろうが、日本人から見るとそれはちょっと違うな。プリンセス紀子は、最初から華々しく皇室に登場したアイドルだったんだから。

しかし、なんにせよ、今回の王子誕生で一番救われてほっとしたのは、プリンセス雅子さまなのではなかろうか。彼女の立場を思うと、「自己中心的で良識を欠く」とは私にはとても言えない。

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2006年08月16日

恥ずかしい~靖国~

昨日、朝起きてTVをつけると、どこもかしも小泉の靖国参拝をLive中継していた。やっぱりな、何を言われようが、辞めるお前にはもう関係ないからな、絶対やると思ったぜ、と、実に不愉快になった。TVをつけているのも、つけるのも嫌になって本を読み始めた。そして、「あっ、そうだ。駒大苫小牧の試合があるんだ」と気づいた時には試合は終わっていた。あんな劇的な試合を見逃すなんて…。これも、バカ小泉のせいだ、と、おかげで私の怒りはとどまることを知らずに吹き上がった。

心の問題?

笑わせないでくれ。国家のために喜んで、いやむしろ積極的に死んで行く従順な戦士を恒常的に生み出す装置の中心に、国家がシンボリックに据えたのが靖国だ。道祖神になら、宗教的、心的な何ものかがあるかもしれないが、国家的兵士養成施設「靖国」には、宗教的、心的なものは何も存在しない。一国の首相として、えせ新興宗教にやすやすとだまされて頭をたれるかのような、その浅はかさ、愚かさを恥じるがいい。

あまりに頭に来たので、夜のNHKの終戦記念番組を見てみた。驚いた。小泉の、日本国の首相の靖国参拝を肯定する意見の方が多いのだ。昭和天皇のA級戦犯合祀批判発覚以来、どの新聞社の調査でも靖国参拝にNOという声が優勢を占めていた。なのに、比較的視聴者の年齢が高いであろう、もっと言えば戦争体験者層がもっとも見るであろうNHKで、逆に靖国OKとはどういうことなのか?

「靖国」が「神社」としてカモフラージュされ、皮肉にも終戦以来政教分離で宗教法人として守られて来たが故に、「靖国」をその辺の「神社」と同じように考える、何も知らない人々が増えたのかもしれない。そして、当の戦争体験者達も、同世代の戦没者達へ手を合わせる場所として、「靖国」をなーなーで認知してしまったのかもしれない。

肯定派の多さに驚いたある戦争体験者の意見が心を引いた。「今、靖国を肯定する人々の多さを目の当たりにして、我々戦争を体験した世代が、戦争について、戦争の悲惨さについて何も後世に伝えて来なかったのだという思いを強くした。」

元特攻隊員の話。「死んだら、靖国で霊となって会おうな!」。だから、「靖国」は特別なのだという。

小学生の頃、第二次大戦の記録をむさぼり読んだ時期がある。その頃、お国のために死んで行った彼らが、私にはこよなくカッコよく見えた。自分の命を国のために投げ出して悔いない、そんな生き様にあこがれた。沖縄から片道の燃料を積んで飛び立った特攻飛行士達は、私のあこがれだった。「天皇陛下万歳!」、そう叫んで敵艦に突っ込んで行った彼らの生き様に、私は、心から畏敬の念を持った。

たぶん、当時に生まれていたら、私は一も二もなく、特攻に志願しただろう。だから、大戦の戦士達に対する敬意、畏敬の念というのは私の中にもある。彼らに敬意を表する、彼らを弔おうという気持ちも分からないでもない。だが、それが、なぜ、「靖国」なのか、が問題なのだ。

なぜ、戦士した人々の霊は靖国に帰るのだろう?なぜ、彼らの霊が靖国につどって国を守る英霊となるのだろう?それが、少なくとも、大和、奈良の時代から続く神社というなら、その歴史の重みに敬意を表して、「そんな考えもあるかもね」と聞き流す気にもなるが、明治時代に人為的に作られ、死んだら靖国に奉られるよ、護国の英雄として奉られるよ、と国家が喧伝した施設となれば話は別だ。

ねー、どうして、戦地で死んだ戦士達が、「死ねば国を守る英霊になって靖国に戻る」の?じゃ、レバノンの兵士は?イスラエルの兵士は?やっぱり靖国に戻るの?空爆、原爆で死んだ一般人は?なんで、なんで戦地で死んだ人だけ、国家が勝手に作った「靖国」って施設に戻れるの?他の施設には戻れないの?自分の家は?故郷は?「靖国」に戻って来たくない人はどうなるの?もし、新靖国とか作ったら、やっぱり霊は戻ってくるの?だって、「靖国」だって、勝手に作って、勝手にここに霊が戻って来るって言っただけでしょう?だったら、新しい施設作って、ここに霊が来るよって、言っても同じじゃない?違う?違うんなら、どうして違うの?教えて?

「靖国」。なぜ、この人為的、政治的な施設に、「心」を託せるのか、私にはさっぱり分からない。私は、当時生まれていたら間違いなく特攻に志願したろうが、今はそのいかがわしさに吐き気を催す。命を投げ出した戦士達は、お国のため、故郷のため、家族のために純粋に死んで行っただろうが、その純粋な彼らの命を、「死んだら靖国で英霊となる」などという、まやかしで積極的、自発的に奪ったこの日本国のいかがわしさに吐き気を催す。そして、そんな「靖国」に、一国の首相として平然と参拝する小泉に吐き気を催す。

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2006年06月07日

savedarfur.org のポストカードが届いた

savedarfur.org のポストカードが届いた。一ヶ月以上かかったけど、ほんとに届いたのはうれしかった。ちゃんとブッシュ大統領の宛名とメッセージが印刷されている。これをみんなで送ろう、という呼びかけで、実際停戦協定までこぎつけたのだった。大いなる一歩、だったと言って良いだろう。私も Web から e-mail を送った。ポストカードには以下のような表現もあった。

Instead of mourning a genocide, what if we could STOP one?
(大虐殺を嘆き悲しむ代わりに、一人でも食い止めることができたらどうだろう?)

ポストカードが届いた同じ日に、savedarfur.org から悲しいニュースも届いた。ワシントン・ポストの社説から以下が引用されていた。

Despite a peace agreement between the Sudanese government and the largest Darfur rebel group, the violence continues. The starvation, torture, mutilation, and massacre of men, women and children go on. And the death toll climbs.
(スーダン政府と最大反抗グループとの間に和平協定が結ばれたにもかかわらず、暴力は続いている。餓え、拷問、手足の切断、男性、女性、および子どもへの虐殺は続いており、死者数は増大している。)

We must continue to act.

その通りだ。

以下で、ブッシュ大統領へのさらなるメールを呼びかけている。

http://www.democracyinaction.org/dia/organizationsORG/darfur/campaign.jsp?campaign_KEY=4089

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2006年05月02日

SAVE DARFUR~世界は何が変わったというのか?~

スーダンの危機を日本人はどれほど知っているのだろうか?今日の朝日新聞の記事では、アジアを戦場にした日本の戦争責任が問われた東京裁判でさえも忘れ去られようとしているという。過去に犯したみずからの虐殺行為は忘れ、今、現に起こっている世界の虐殺は目に入らない。そして国内の殺人事件、児童虐待は後を絶たず、毎年3万人もの人が自殺する国。

According to recent estimates, at least 300,000 people have died in Darfur since the genocide began in February of 2003. It is impossible to know what the final number will be, however, as the genocide is still taking place today.
(最近の試算によれば、2003年2月に始まった大虐殺以来、少なくとも30万人の人々がダーファーで死んだ。が、最終的に犠牲者がどれほどの数に上るのかは知る由もない。そして、大虐殺は、今日もなお起こっている。)

http://www.savedarfur.org/home

ダーファーの虐殺を救おうと、上記のWebサイトが結成されたようだ。そこでは、今、我われに何ができるか、具体的に提言されている。アメリカ大統領、ジョージ・ブッシュの署名入りの声明もあれば、その大統領へ e-mail を送るフォームもある。せっかくの機会だから、私も1通送ってみた。

ダーファーへの支援として、ポストカードの販売もしていた。

http://millionvoicesfordarfur.org/

値段は3ドル。安いもんだ。が、なんせアメリカのサイトだから、ちょっと怖いな、と正直思った。が、そのページにはこうあった。

The 20th Century is haunted by the ghosts of the millions of innocent victims of genocide the world failed to protect. From the Holocaust to Rwanda, the question of "How could this be allowed to happen?" will hang in the air forever. And those who stood by will be forever defined by what they failed to do.
(20世紀は、世界が守ることのできなかった何百万のも罪なき虐殺の犠牲者の亡霊が出没する時代だった。ホロコーストからルワンダに至るまで、「なぜこのようなことが起こり得たのか?」という問いかけは、永遠に宙に浮いたままだ。そして、傍観したものは、永遠に彼らのなしえなかったことによって自身を意味付けられるだろう。)

そして、太字で、さらにこうあった。

We can stop the Genocide in Darfur -- but we must act now.
(我われは、ダーファーの大虐殺を止めることができる…が、今、我われは行動しなければならない。)

今、「We are the world( USA for Africa)」を見ながら、この記事を書いている。1985年、この時もアフリカは危機だった。そして、このキャンペーンが終わった後も、本質的にアフリカは何も変わってはいない。西側への負債の返済のために教育、医療が犠牲にされる。だから、いつまでも病がはびこり、人は育たない。国も育たない。おまけに、内戦で負債は増える一方、国は荒れる一方というありさまだ。「Do they know it's Cristmas」に参加したU2のボノが、その後も活動を続け、西側の要人に負債免除を訴えているが、その道のりもまだまだ遠そうだ。

いったい、我われは、有史以来、何をして来たのだ?そして、今なお、我われは、いったい、何をしているのだ?何10万という単位の人間が虐殺される、それが、進化した我われ人間のすることなのだろうか?そして、それを、今なお、我われは止めることすらできないというのだろうか?

結局、postカードを購入した。海外は良く分からんから怖いが、そんなことを言っていては何もできない。ちゃんと yahoo のサイトで ssl のセキュリティも入っていたから問題はなかろう、と初めて海外のサイトでカード決済をした。予想通り、私の住所には規定料金では送れないから、追加の手数料、税などがかかるよ、という警告があったが、たかが3ドルのポストカードだ、せいぜい何千円かの話で済むだろう、たぶん。

I made it!

ちょっとうれしい。
「Do they know it's Cristmas」のチャリティー・レコードを買ったときも、こんなふうにうれしかったっけ。あとは、この大虐殺が一刻も早く終わってくれることを祈るだけだ。

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2006年04月20日

竹島問題~「朝鮮日報」社説より~

緊迫しつつある竹島問題。韓国側の報道を見てみた。その中で、特に過激だったのが「朝鮮日報」の社説。韓国の見方は日本とはまるで違うのだということが、はっきりわかる点で興味深い。題して「A Call to Diplomatic Arms」(外交的武装を求む)。以下、適宜抜粋する。まずは、韓国大統領の言葉から。

"While we have been conducting a silent diplomacy for several years, Japan has been shifting to the offensive. If a Japanese government vessel intrudes into our exclusive economic zone, we have no alternative but to regard it as an act of invasion."
(ここ数年我々が静かな外交を行っているうちに、日本は攻撃に転じて来た。もし日本政府の船が我々の排他的経済水域に進入して来た場合、我々はそれを侵略行為と見なさざるを得ない。)

日本の思惑について。

A survey vessel is not classified as a civilian vessel like a fishing boat, but as a government ship. If it is seized by our maritime police, Japan would immediately refer us to the International Tribunal for the Law of the Sea. Should that happen, the Dokdo islets and nearby seas would become a conflict area in the eyes of the international community, and chances are that a court ruling would be favorable to Japan. That is the very scenario Japan has in mind.
(調査船は釣舟のような民間船ではなく、政府船に分類されている。もし、それが我々の海運警察に拿捕された場合、日本は直ちに我々を海洋法の国際法廷に訴えるであろう。そうなった場合、独島(竹島)とその付近の海域は国際社会に紛争地域と見なされることになり、裁定は日本に都合の良いものになるだろう。これがまさに日本の思い描いているシナリオである。)

Japan has started translating words to the effect that the Korean islets are Japanese territory into action. The new Japanese leadership, including Prime Minister Junichiro Koizumi, is armed with unilateral thinking that there is no need to consider their country’s Asian neighbors. Japan also believes that the United States, which in the past would have intervened before a Korea-Japan dispute got out of hand, values its relationship with Tokyo more.
(日本は、韓国の島が日本の領土であるという主旨の言葉を、行動に移し始めた。新たな日本の指導者は、小泉首相を含めて、アジアの近隣諸国への配慮は必要ないという一方的な思考で武装している。日本はまた、かつてアメリカが日韓の論争が手に負えなくなる前に仲裁してくれたであろうように、日本との関係をより重視してくれるだろうと信じている。)

そして、結び。

If the government is so incompetent, the people must take over. Each citizen must make it clear that they are willing to safeguard the Dokdo islets and repel Japan's stealthy invasion.
(もし、政府があまりに無力であるならば、国民が引き受けなければならない。国民一人一人が独島(竹島)を守り、日本の忍び寄る侵略を撃退したいと願っていることを明確にしなければならない。)

怒れる戦争被害者の目には、にっくき日本がまた侵略を開始したというふうに見える、ということなのだろうか?中国にしろ、韓国にしろ、むしろ政府が一方的にそうしたシナリオをでっちあげて国民を煽り立てているように私には見える。そして、良いように踊らされた(あるいは、率先して踊っている)国民は、実際の領有権がほんとはどっちにあるかなどには興味はなく、「侵略国家日本」を叩く快感に我を忘れている、といったように見える。

例えば、日本には以下のようなサイトがある。恐らく、世界で最も詳細な竹島問題調査であろう。

http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/

韓国にもたぶん独島(竹島)領有の正当性を訴えるページはあるのだろうが、はたして正当性の根拠をどこにおいているのか、是非とも見てみたいものだ。

ps.
2006/04/21追記

今日の朝、「ズームイン朝」を見ていて知った。韓国では小学校から教科書に竹島問題が取り上げられており、韓国固有の領土と教育されるらしい。しかも、歌まであって、それがサッカーの日韓戦で国威発揚のために歌われたりもするらしい。
今回の一件で臨時授業となった小学校では、独島(竹島)が韓国の領土である理由を小学生達に書かせて提出させたりもしている。TVで見たその理由は二つ、独島は512年から韓国の領土、戦後は連合国も独島を韓国に返還した、というもの。

こうした国家的偏向教育で戦争をしでかした故に、日本にはもうそれをしまいというブレーキが民衆の間に形成された。韓国、中国にはそれがない。殊に、にっくき対日本という関係の問題に関しては、無批判に国家の言いなりになってしまう。

独島は韓国固有の領土、とわけも分からぬ子供の頃から叩き込まれ、歌まで歌わされて育った国民には何を言っても通じまい。だが、そう考える私の目もまた、この日本という国のもろもろによって曇らされているのだろうか?日本、韓国、双方に、もう一度自分の考え方、相手国の見方を曇りなき眼で問い返し、お互いに真実に歩み寄ろうとする人間はいないのだろうか?日韓両国の知性とは、その程度のものなのだろうか?

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2006年04月09日

今より、もっと大きなチャンスをつかむために

「あなたの夢叶えます」。さんま恒例の正月番組。好きな番組なので今年の正月も見ていた。いつも必ず、うーむ、とうならせられるものがある。砂漠のオアシスで水を飲みたい、中国の山奥に郵便を届けたい、などなど、心に残っているものがある。中でも、今年は特に心に残る企画があった。「世界的なオーボエ奏者、宮本文昭氏に会いたい」。すさまじく心を動かされた。

トランペットを志しながら、入った高校ではトランペットを吹かせてもらえず、オーボエの役割を与えられた少女。管楽器の花形、トランペットを吹かせてもらえない挫折感の中、慣れないオーボエの練習をしていた時に彼女が出会ったのが宮本文昭氏のオーボエだったそうだ。なんてすばらしい音色だろう、閉ざされていた彼女の心が開いた。もし、夢が叶うのなら、宮本文昭氏に会いたい。

ベートーベンの第9、だったろうか。記憶が飛んでしまったが、中学時代に出会ったクラシック音楽に見せられ、クラシック音楽の奏者になりたいと宮本氏は志したらしい。その歳からできる楽器はオーボエくらいしかない、と言われ、オーボエを始めたそうだ。

サプライジング。宮本氏に会うために教会を借りて特訓を始めた少女。だが、思うような演奏ができない。途切れがちな彼女のフレーズに続けて、突然、宮本氏の伸びやかなメロディーが奏でられる。そこに、あの、宮本氏がいる。あこがれた氏と、ともに奏でるメロディー。夢は叶った。

それにしても、宮本文昭さん。なんて、すばらしい、人だろう。オーボエを始めて1年くらい先生に習った後、その先生に、あなたはオーボエに向いてない、と言われたそうだ。「そうか、俺はオーボエに向いてないのか。なら、その俺がどのくらいオーボエでやれるのか、試してみようじゃないか。」

トランペットを封じられた挫折感を持つ彼女に、宮本さんは切々と語りかける。僕もそんな劣等生だったんだよ、と。心さえあれば、そして自分を信じてがんばれば、大丈夫なんだよ、と。そして、最後にその言葉が語られた。「間に合って、良かった」。

宮本さんは、今、プレーヤーをやめて、新たな世界に飛び込もうと考えていたらしい。「もし、僕がプレーヤーをやめてしまった後だったら、遅かったかもしれない。まだ、僕がプレーヤーでいるうちに、あなたに会えて良かった。間に合って、良かった」。

ああ、宮本さんは、ほんとにこの少女の可能性を信じているんだな、と思った。かつて、自分自身が、今の少女と同じように、誰に注目される訳でも、誰に期待される訳でもない、ごく普通の場所から上を目指していた経験があるからなのだろうか。自分に差し伸べられた、名もない手に、真剣に応えようとする宮本さんの姿勢にいたく胸を打たれた。

今、僕はプレーヤーとしての自分を捨てて、新しい世界に飛び込もうと思っています。今持っているものより、もっと大きなチャンス、可能性をつかむために、今この手につかんでいるものを離そうと思っています。

あなたは、トランペットを失ってショックを受けているかもしれない。でも、心を開きなさい。今、あなたはトランペットをやっていては決して得られなかったかもしれない、もっと大きなチャンスを手に入れている。トランペットをやっていた時の自分より、もっと大きな自分になれるチャンスを得ている。だから、トランペットを持っていたその手を勇気を出して離しなさい。もっと、大きなチャンスを、可能性をつかむために。

「今持っているものより、もっと大きなチャンスをつかむために、今握っているその手を離すんだ」。この言葉が今年の正月からずっと耳について離れない。手を離せば、落ちる。それでも、勇気を出して手を離す。あるのか、ないのかわからない可能性にかける。魅力的だ、が、怖い。が、魅力的だ。そんな堂堂巡りをしていたが、始めから答えは出ていたのだ。この言葉に出会ったその時に。

さ、新たなチャレンジの始まりだ。

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2006年03月18日

良い朝だ

英語の勉強も兼ねて、ホームズを原文で読み始めたのは先週のこと。ついでに良い機会だから、ビールもやめて休日を素面で読書して過ごす美しいライフ・スタイルを獲得しようと目論み、その第一歩となったのが昨日の金曜の夜。いやー、良いもんだな、素面で過ごすフライデー・ナイト。金曜の夜にビールを飲まなかったのは、2年前に大腸内視鏡検査のために抜いた時以来。この10年で考えても、ほとんど記憶にない画期的な出来事だ。

明日のことなど考えず、ただ、ページをめくって本を読む。実に久しぶりの感触だ。家族の見ているTVから遮断するためにBOSTONをかける。高校の時、これを聞きながら勉強したもんだ。40歳半ばを過ぎたというのに、こういう感覚ってのは残っているもんなんだな。同じ曲を聞きながら、同じように勉強していると、まるで高校時代のように人生は自分の前途に開けているかのように感じられる。

もうこれ以上はだめだ、という時間までねばって読んで、その後豊平川の河畔を散歩した。おぼろ月夜。空を、月を、星を仰ぐのも久しぶりだ。何もかもが心地よい。こんな風に一年を過ごしたら、来年の今頃、自分はどんな風になっているだろう、と、期待と、希望と、そして決意を新たにした。

疲れてもいるはずだし、眠くもあるはずなのに、1時間も経たずに目が覚める。結局ろくに寝られないまま朝を迎えた。おかげで、午前中ですべてのエネルギーが尽きた。もう、何をするパワーもない。結局、今、またビールを飲んでいる。うーん、前途多難か?

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2006年02月12日

もう春だ

春の中に夏を見つける、夏の中に秋を見つける、秋の中に冬を見つける、そして、冬の中に春を見つける。これは、「古今集」の感覚だったか、「新古今集」の感覚だったか。

札幌は雪祭り。この時期は北海道が一番冷え込む時期ではあるが、私的にはもう春がそこに来ている、と感じさせられる時期でもある。なんせ、日差しが違う。12月以来の力なかった太陽が、ぐっとパワーを増して浴びていると暑さすら感じさせられる。気温はめっぽう寒いにも関わらず、「あー、もう春だな」と毎年感じさせられる。割と好きな時期だ。

雪祭りの方は、サトランドは行くのに2時間、滑り台に乗るのに2時間、いったいなんしに行くのかわからんという感じのようだ。今年はポストカードを買いに大通りに行って来ようと思っていたのだが、やっぱりめんどくさくなったのでやめだ。前に雪祭りに行ったのはいつだったか、記憶にないな。

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2006年01月31日

また殺戮が始まる~対デンマーク人~

デンマークの新聞が、マホメットを侮辱する漫画を掲載して、アラブ社会の大反発を浴びている。イラク、パレスティナと情勢がひときわ不安定で不穏なこの時期に、「バカじゃねーの?」という感じだ。当然のごとく、デンマーク人に対する報復があちこちで宣言されている。イラクにはデンマークの軍隊が530人いるそうだが、まず、ただではすまないだろう。全滅させられてもあながち不思議ではない。パレスティナでは一般のデンマーク人、及び同調したスウェーデン人に対して48時間以内の退去、その後の報復などが警告されているようだ。アラブ社会ではどこも似たりよったりの危険が伴うだろう。これで、何の罪もないデンマーク人達が報復によって殺されて行ったら、このバカまねをした新聞社はいったいどう責任を取る気だろう。また、こんなバカな新聞社の愚かな行為で、なぜ罪もないデンマーク人が命の危険にさらされなければならないのだろう。自業自得?だとすれば、いずれ日本人も似たような目に遭うのか。いや、中国あたりではもう既に始まっているのかも。またまた、いやな世界になって来た。

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2006年01月07日

既に全国で50人以上の死者を出している大雪被害。もはや災害の領域に入っている感があるが、この災害に乗じて独居老人を食い物にしようという輩が出没しているらしい。除雪を請け負って法外な料金をだまし取ろう、という魂胆だ。なんでも、除雪商売はクーリングオフの対象外らしく、見積もりを出さずに後であり金巻き上げるという手口らしい。

独居老人の中には、ろくに自分で除雪できない人も多かろう。特に今回のドカ雪ではなおさらだ。その弱みにつけ込んで、彼らの今後の生活費を巻き上げよう、とは。

何人殺そうと雪には罪はない。罪は、常に人とともにある。

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2005年12月22日

安楽死 ~カテリーナの残したもの~

2ヶ月ほど前にCNNで報じられた安楽死問題。カテリーナの上陸によって孤立した病院内で、医師達が重病患者たちに安楽死の処置を施したという、元同病院の医師の告発。どうやらそれが真実らしい、と今日改めてCNNで報じられていた。食料、医薬品が尽きて行く不安、暴徒化した人々が市街地を襲う、次は我々だ、と悲観する心情、もろもろが背景にあったらしい。告発したところで、何かが解決する訳でも、誰かが救われる訳でもない。かといって、目撃した者は、口をつぐむわけにも行かない。誰にとっても、痛みしか残らない、つらい事件だ。毛布にくるまれた遺体の列が、実になんとも言えない。

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2005年12月03日

知の岸辺へ

久々のゆったりした休日。朝から街へ出かけてきた。あてもなく本屋をぶらついた。

美術、哲学、宗教。そういったコーナーをぶらつきながらふと思った。「ああ、本読みてー。勉強してーな。」と。

人は何を考え、何を求め、何を表現して来たのか。ただ、単純にそういったものに触れたい、もっと知りたいという欲求。求めさえすれば、そこに膨大な、豊かな世界が待っているというのに、見過ごして来たような落し物感。

これまで、勉強にはそれをすればこうなる式の、なんらかの現世利益というものがどうしてもつきまとって、単純に学ぶということがなかなか難しかった。が、もういい歳になって来たので、そろそろやろうと思えばできるのかもしれない。何より、自分自身が現世利益とは無関係に、単に知を欲しているような気がした。

本を読む。その時、頭の中に広がるバーチャルな世界。そこには、哲学、数学、神、宇宙、物語、歴史、ありとあらゆる世界がある。読む、という行為をひとたび手に入れれば、人は時空を超えてどこにでも行ける。現実世界とは次元の異なる「知の世界」、そこへ入って行く喜びを高校の時に知った。会社勤めをするようになってすっかり遠ざかっていたが、また、あの世界へ戻りたいような気がする。

相対性理論の誕生まで、物理学のあらゆる領域に影響を及ぼし、君臨していた巨人ニュートン。その彼が、次のような意味のことを言っている。

我々は、広大な知の岸辺で戯れる子供のようなものだ。

ここには、一個の人間としての謙虚さと、同時に広大な知の果てへ想いを馳せる期待感がある。頑是無い子供のように、知の岸辺で戯れる。悪くない。

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2005年12月02日

久しぶりに、何もしなくていい、ただの休みが来る。毎週、毎週、締切りに追われて、気づいたら秋はもう去っていた。

11月は嫌いじゃない。だんだん寒くなってくる代わりに、空気がだんだん澄んで来る。見上げる夜空の星の瞬きが、だんだんきれいになって来る。そんな夜空を見るのが昔から好きだった。キーンと、音がしそうな透明感に満ちて来る夜空が好きだった。

高校の頃はBOSTONの「Don't look back」がこの季節の友達。あのアルバムを聞いていると、なんだか夜な夜な外に出たくなって、よくひとりで寮を抜け出した。そして、空を眺め、たばこを吸う。帰りはゲーセンでスペース・インベーダー。楽しかった。

大学に入ってからは、Journeyの「Don't stop believin'」。これも、秋から冬にかけての夜空と切り離せない曲だった。オリオン座と澄んだ夜空と、「Don't stop believin'」。そして、酒、と本。

その後では、なんと言ってもBOSTON「Walk ON」の「Livi'n for you」。この曲を聞くと、シーンと魂が静まり返る感じがする。遥かな過去から、気の遠くなるような未来へと続く、宇宙空間のような虚空の中にぽつんといるような感じ。なぜともなく、消え行く自分というものを意識させられる。

今年は、残念ながら、何を感じることもなく冬に突入、だ。

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2005年12月01日

強い男なんて見たことない 〜美輪明宏〜

昼飯を食いに行った店にあった、この前の日曜日のスポーツ新聞。他に見るものもないので見ていたところ、美輪明宏の連載記事があった。これはなかなかにおもしろかった。

男は強く、女は弱い、とはよく言われる常識だ。「だが」、と美輪は言う。「私は70年生きて来て、強い男と弱い女は見た事がない」。真理は逆で、弱く女々しいのが男で、したたかで強いのが女だ、と。

逆境にたたされた時、すぐに絶望して投げ出すのは男だ。行き詰まって自殺する社長は決まって男。女は決して投げ出したりはしない、と美輪は言う。それは、女が肉体的に男には想像もできない過酷な日々を送って成長するからだそうだ。そして、「だけど」、「しかし」という絶対の武器。容姿で負けても、「でも、あの人は性格が悪いから…」、着ている服で負けても「でも、あの人は…」と、どんなに自分が劣勢に立たされても決して白旗を上げることはない。これは、私も実感として共感できる。

「かよわい女」、それは実は「かよわい男」が作り出した幻想だ。

うーむ、名言だ。美輪明宏。

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2005年11月27日

「自分」…か

「ああ、タイムマシンに乗ってあの頃に戻り、カメラに向かってポーズとってる小学生の自分のケツを、思いっきり後ろから蹴り上げてやりたいっ!!」

中村うさぎの、美少女と勘違いしてカメラにポーズを取っていた子どもの頃の自分に対するツッコミ。程度の差こそあれ、誰にも似たような赤面の経験はあるだろう。

「うさぎの行きあたりばったり人生」の一節。同時代を生きた人間ということもあって興味深く読んでいたのだが、彼女のこうしたフレーズを読むにつけて自分の似たような恥ずかしい勘違い経験などが思い出され、しまいにブルーになってしまった。「やれやれ、ほんとくだらねー人生だな」と、久々に落ち込んでいる。

中村うさぎ(長いが、こう呼ぶしかない。「うさぎ」さんと呼ぶ訳にもいかんから。)は、とても明晰な面と、徹底した俗物の面を併せ持つ極めて興味深い人物だ。税金を滞納し、毎月毎月借金に追われながら、なおブランド物を買わずにいられない自分の愚かさを自覚し、自己嫌悪する。反面、ひとたびブランド物を手に入れるやいなや、その「リアル」な手応えに恍惚となり、「ホホホホ、靴をお舐め」と高笑いせずにはいられない女王様気質をも持っている。どちらがほんとうの彼女?というのは愚問だろう。その両面を持っているのが彼女なのだ。そして、その根底には自分をみせびらかしたい「自己顕示欲」と「お姫様願望」があるのだという。

そうした自分の負の一面を、バカ女呼ばわりしつつ自分でツッコミながら語る口調が魅力でもあったりするのだが、この間からいろいろ彼女の本を読んで来て、「冒頭」のくだりに出会った時、ふと違和感を感じた。

人は、ほんとに恥ずかしいと思っていることは、口外できないような気がする。まして、そんな恥ずかしい生傷に自分でツッコムなんて、心の中で思うことはあっても人前で語ることなど、少なくとも私にはできない。中村さんが書くエピソードがすべて本当のことだというのは信じているし、彼女の「書く行為」に対する真摯な姿勢は疑わない。「地獄の業火に焼き尽くされるような灼熱の恥ずかしさ」というのも心からの表現だろう。だが、私が感じたのは、そうした彼女の表現自体の真偽というより、いみじくも彼女が言っているその背景にある「自己愛」の方だ。

「ツッコミ小人」と彼女が呼ぶ自己相対化の眼差し。文中に頻出する「このバカ女」という自己叱責もそうした自己相対化のバランス感覚のひとつと思っていた。もちろん、そうには違いないだろうが、「地獄の業火に焼き尽くされるような灼熱の恥ずかしさ」を自分で思いっきりツッコめるのは、そうしてもなお自己を葬り去ることのない自己愛が根底にあるからなのではないのだろうか。

どういう行きがかりか生まれのせいか知らないが、オール・オア・ナッシング的な考え方を身に付けた私にはこれはできない。自己愛があるのかないのかわからんが、少なくとも肯定できたためしはあまりないから、「地獄の業火に焼き尽くされるような灼熱の恥ずかしさ」に自分でツッコミを入れるということはイコール自己否定だ。自分を守るほどの愛がないから否定したらそれっきり、生きている意味も資格もない。それじゃーね、って話になりかねん。

「ノルウェーの森」の直子が言った。私は不完全な人間だから許して欲しい、と。

「不完全な人間」。「そうか、そうだったな」と、当時、その言葉に衝撃を受けた。以来、楽に考えようと思ってきた。みんな、そんなもんだと。だが、若いうちならともかく、30、40と年を取って来ると、またまたそんなことも言ってられなくなってくる。「乙女じゃあんめーし、いいおやじが何言ってんだ?」という話になって来る。

そんな私の好きな言葉。

今の自分が絶対じゃないわ。後で間違いに気づき、後悔する。 私はその繰り返しだった…。 ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ。でも、そのたびに前に進めた気がする。

エヴァンゲリオンの葛城ミサトの言葉。過酷な過去を持ちながら、常に前向きに気丈に生きる彼女。第1話からずっとつき合って来ると、「へー、あの彼女でさえ、そうなんだ」とぐっと来る。「しっかり生きて、それから死になさい」という名言も吐くスパルタ(?)士官だけに。

ま、という訳で、誰も彼もが迷いの中、結論を急がないこと、ですか。自分に対しても。

「うさぎの行きあたりばったり人生」

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2005年11月26日

似て非なる人

中村うさぎのエッセイを読みながら、ふと思った。

「あの子は美人だけど、性格悪いよ」

日常よく聞く話だ。だが、見ようによってはこうなる。

「あの子は性格悪いけど、美人だよね」

どちらも同じ人の同じ長所短所に言及しているにも関わらず、まったく別人に見えてくるのは私だけだろうか?そこで、はっ、と思った。世の中、「なぜあんな人を評価するんだろう?」、「なんであんな人を好きになるんだろう?」と不思議に思うことが良くあるが、それはこのマジックによるんじゃないだろうか。つまり、評価する人、好きになる人には、たとえ自分と同じようにその人の長所短所がきちんとわかっていたとしても、自分が見ているのとはまったく違う別人に見えている、ということなのではないだろうか。そう考えると、すごく筋が通って納得が行く。自分の見ている「あの人」が評価されたり好かれたりしているのではなく、自分の見ている「あの人」とはまったく違う「あの人」が評価されたり好かれたりしている、ということなのだ。

なんか長年のもやもやが、すっ、と解けたような気がする。

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2005年11月04日

靖国

靖国神社には、もともとA級戦犯は祀られていなかった。彼らが祀られたのは1978年のこと。年配の人間は、子どもの頃は何の問題もなかった靖国がなぜ急に国際問題として浮上して来たのか解せない人も多いのではないだろうか。その背景には、A級戦犯者達の名誉回復を図ろうと、水面下で進められた軍属達の思惑がある。

東京裁判でA級戦犯と裁かれた東条英機元帥を始めとする軍属達は、下々の兵と同じようにお国のために戦った英雄だ。それを犯罪者として葬りさるのはなんとしても忍びない、という軍属系の人々の思いがあった。とはいえ、靖国へ合祀するのは世論、国際世論が許さない。靖国内部でもそれはできない、と「宮司預かり」という歯止めがかけられていた。その禁断の扉を開いたのは、故松平永芳宮司だ。彼は、私を宮司にすれば、私はA級戦犯の合祀に踏み切ると公言していたと聞く。彼も軍属の出身、オランダの軍事法廷で死刑を宣告された義父も持つという。戦犯の名誉回復を望む気持ちは察するに余りある。

東条英機元帥の名誉を回復したい、戦犯として葬られた軍人達の霊を弔いたい、その気持ちはわからんでもない。我々日本人の目から見れば、彼らは「A級」とレッテルを貼られるような犯罪者ではないかもしれない。単に当時の忠実な一日本人という見方も成り立つだろう。だが、「A級戦犯」というレッテルを貼ったのはもともと我々日本人ではないのだ。我々日本人が戦いを挑み、我々日本人にあまたの人々を殺戮された敵国の人々が「A級戦犯」と裁いたのだ。

だから、敵国の人間達が勝手にそう決めただけだから、彼らは「戦犯」ではない。靖国問題を肯定する人間はそう言いたいのかもしれない。が、それは違う。彼らが、我々日本人が戦いを挑み、我々日本人に数々の同朋を殺された元敵国の人間達によって裁かれたことに意味があるのだ。

わかってもらえるだろうか?彼らは、真の意味で犠牲なのだ。彼らが裁かれることで、戦争にひとまず終止符が打たれた。彼らが裁かれなければ、日本国そのもの、天皇、もしくは日本国民ひとりひとりが裁かれなければならない。彼らは、同朋を殺されて怒れる元敵国の人々に、贖罪のために差し出された犠牲なのだ。逆説的だが、彼らは「A級戦犯」として裁かれることで、軍人として真にこの国を守ったのだ。だから、彼らは「A級戦犯」であり続けなければならないのだ。

加害者はすぐに自らの行為を忘れる、だが、被害者はいつまでもそれを忘れない。

ある韓国人の言葉。「A級戦犯」は、我々加害者の問題なのではなく、何よりもそう名づけた被害者達の問題なのだということを日本人は肝に銘じるべきだ。そして、真に彼ら「A級戦犯」を英雄として弔いたいのなら、被害者達が許すまで、我々は彼らを「A級戦犯」とするべきなのだ。それが、彼らの担った国家的役割だったのだから。

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2005年11月02日

チャイニーズ・サイバーテロ

小泉首相が靖国を訪問すると、大手コンピュータ関連企業の技術者が眠れなくなる。中国からサーバへすさまじいアタックが来るからだ。詐称されるIPアドレスは実存するIPアドレスをほぼ網羅しているという。もう、ケタはずれだ。

なんせ、人口が違う。しかも、中国にも2チャンネル的掲示板があって、そこで、「明日行くぞー!」とか呼びかけられるらしい。あの人口で、皆が一致団結してアタックを仕掛けて来るんだから、日本の技術者は眠れない。F5キーを押すと、更新になるのを利用して、アタックを仕掛けたら、後はF5キーに重りを乗せて寝てしまおう!とかって、笑うに笑えない原始的な手法まであるそうだ。名付けてF5アタック(笑)。一つのアタック攻撃でも、重りが外されるまで更新、更新で果てしなく繰り返される。それをあの人口の人民が夜な夜なやったら…、ああ、考えるだに恐ろしい。

靖国問題、中国の対日本政策についてはひとまず置くとして、ことサイバー・テロという観点から見た場合、恥ずかしい国だ。中国。インターネットのダークサイドのほとんどは中国がその温床だ。何をどう言い繕ったところで、その恥ずかしさは糊塗できない。「まぁ、なんてやばんでがさつな国」と、国際社会で見下されてもしょうがない、と思うのは私だけだろうか。

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2005年10月21日

命の器

命の器Amazonで詳細を見る
たまたまあるサイトを見ていて、「命の器」という言葉に引っかかった。どうやら、宮本輝のエッセイのようなのだが、その引用されたフレーズが心にぐっと来た。

「伸びていく人は知らず知らずのうちに、どんなに仲が良くても落ちていく人とは疎遠になり、いつのまにか自分と同じ伸びていく人と交わっていく」

「どんな人と出会うかは、その人の命の器次第なのだ」

「それは、『類は友を呼ぶ』という諺以上のものがあるのだ」

はっ、とした。

たぶん、これは処世訓として書かれたものではない。人はやがて死ぬように運命づけられている、というのと同じ意味での、宮本輝が心眼で捉えた真理のようなものなのだろう。人は、生きて行くだけで、誰かを切り捨て、誰かに切り捨てられる。その逃れようのないせつなさに、はっとした。

「蛍川」、「泥の河」、「道頓堀川」三部作の叙情あふれる世界を開示して以来、もはや大御所として文学界に君臨している感のある宮本輝。小説を読まなくなって久しい今、彼がどんな世界を描いているのか知る由もないが、かつて彼の「宿命という名の物語」というエッセイを読んで深く感動したことがある。今、紹介しようと紐解いて見たが、要約してしまっては意味がない。長いが冒頭をそのまま引用する。

「宿命という名の物語」

「人は、生まれながらに差がついている」という言葉がある。何でもない言葉だが、きわめて重要なことを示唆しているように思われる。
小説の世界にかぎって言えば、この「差」のおかげで、作家は物語を創造することができたと言っても過言ではない。身分の差、貧富の違い、容貌の美醜、頭脳の良否、体力の強弱、生まれ出る時代の差異、または生まれ出る国土の相違、それらの混合が、辿るべき運命の差となって千差万別の物語が拡がっていくのである。
これらの「生まれながらについている差」は、もはや宿命と呼ぶしかない。それを宿命とは呼びたくない人もいるには違いないが、意志とか努力とかの及ばない領域については、やはりそう呼ぶしか仕方がないであろう。しかも、多くの文学作品は、この宿命というものに対する、敗北の記録であった。
文学は、醜女を美人にはしてくれなかったし、重い病を治してもくれなかった。生まれながらについている不条理な差別から、人間がいかにして解き放たれかの手口を示してはくれなかったのである。近代文学は、小説的技法とか方法論を模索するだけで、「物語」そのものからはますます逃避していく。その否応なしに背負い込んだ「物語」に、人間たちはどれほど徹底的に痛めつけられ、翻弄されつづけてきたことか。にもかかわらず、文学にたずさわる人の多くは、この「物語」に、いっこうに立ち向かっていこうとはしない。この問題について真剣に挑もうとする人は、結局サルトルのように、「文学は、アフリカの飢えた民衆に対して、いったい何を成しうるか」と慨嘆するしかない。人間は行き詰まっている。いかに現代科学を駆使しようとも、人間がどうしても「物語」を超えられないからである。だから、文学は行き詰まっている。
(中略)
ひとりの人間の宿命を虚構に託して追跡し、そこに人生の意味や味わいをあぶり出すことは、すでに古今東西にわたるあらゆる名作が成しとげた。もはや文学の世界に、新しいものなど何もないのである。もし新しいものがあるとすれば、それは人間のかかえ持っているどうしようもない根底的な「差」によって生じる悲しみや苦しみや障害を、どのように打ち破り、いかにして自分らしい勝利の物語に転換せしめるかの方途と証しを示す場合にだけ見いだすことができるだろう。それだけが、「物語」を超えるただひとつの方法である。(『二十歳の火影』より)

文学というものの根底をついた、この手の文章を私は他に知らない。もちろん、文学は政治ではない。この発言は文学=虚構と現実の、それこそ「差」を無視した無神経な駄弁だと言えないこともない。しかし、そうではないことは、この文を読めば誰にでも伝わるだろう。性急に実利を求めてしまえば、文学世界そのものが成り立たないことも、文学が現実とは幾重にも次元を異にしたところにあることも、宮本輝は百も承知なのだ。その上で、なお、文学の無力さに憤っている。それは、彼が文学に、文学を通して関わっているものに対する、情熱の表れなのだろう。

私は、なぜ人間は生まれながらに差がついているのかという命題に、深くかかわっていこうと思う。

この言葉を読んで以来、いつか宮本輝はすさまじいものを読ませてくれるかもしれない、と密かに期待している。

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2005年10月18日

恐るべし、中村うさぎ

中村うさぎがデリヘル嬢を勤め、その体験記を新潮45に書いていたのは知っていた。叶恭子の源氏名を使ったためパブリシティ権の侵害で訴えられそうな気配だということも。しかし、まさか、ほんとにデルヘル嬢を実地でやったとは思わなかった。しかも、そのプレーぶりをほんとに体験記として発表してしまうとは。ここまで来ると、もはや伝説の領域に行ってしまっている。まさに恐るべし、中村うさぎ。

10月6日号の週刊文春「さすらいの女王」を読んでいたら、その動機が書いてあった。なんと、デリヘル嬢が自分にとってなんであるのか、その意味を知りたかったのだそうだ。デリヘルという仕事の内容が知りたいのではなく、それが女としての自分にとってどういうものであるのか、それを問うには自分でやってみる以外に答えはでない。そこで、この暴挙(?)とあいなったらしい。確か豊胸手術や整形手術などもやって、女であることにとことんこだわり続けていたはずだが、その女としての自分への問いかけがついに行くところまで行ってしまったか。

なんでも、北野武が「ただの体験レポートじゃねーか、作家のやることじゃねー」とか批判したらしいが、中村うさぎの文を読みもしないで批判した北野を、「あんたも物を創る人間のはしくれなら、俺は読んじゃいないけど、なんて平気で言って人を批判するような厚顔無恥を慎め」と一喝したのはさすがだった。賛否両論を呼んでいるようだが、なんにしてもさすがは女王様と、私的にはほとほと感心している。正直、怖くて読む勇気はまだ出て来ないが。

http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/p-et-tp0-051017-0012.html

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2005年10月15日

スター・ウォーズ展

starwars.jpg
道立近代美術館のスター・ウォーズ展に行って来た。入ったとたんに目に飛び込んで来たのが、スター・デストロイヤー(だったかな?)。第一作、Episode4のオープニングでなめるように船底を見せた、あの宇宙船だ。'77年、初めてスター・ウォーズを見た時、重量感を漂わせながら通り過ぎるオープニングのこの宇宙船のシーンに度肝を抜かれた。そして、その緻密な宇宙船の映像に。それだけに、この模型が見られたのはうれしかった。

今、間近に見ると、私が子どもの頃に作っていたプラモデルとたいして変わらない作りなのに驚いた。これを特殊撮影で処理するとあんなふうに見えるんだ。それから、ハン・ソロのファルコン号。これもあった。こっちの方が、船の作りから言ってスター・デストロイヤーより緻密で、良い感じだ。今、作るならこっちだな。それでも、やっぱり、普通のプラモデルに見えてしまったけど。

R2-D2、C3POもいた。大好きなR2は、傷だらけだった。第一作の砂漠を歩くシーンとか、ジャワ族に捕まった時とかに使われたのかな。C3POは、私と同じ位の身長だった。176cm位。意外に小さいんだな。すばらしいプロトコルドロイド、通訳ロボットなのに、精密機械というよりは、寄せ集めで作られたブリキのロボットという感じ。ひとりぼっちのアナキンが友達が欲しくて作ったというのがリアルに感じられた。

ライトセーバーもあった。ダース・シディアス、メイス・ウィンドゥ、そしてアナキンの。アナキンのは、ごっつかった。でも、ルーク・スカイウォーカーのが一番大きかった。ライトセーバーもいろいろなんだな。オビワンがグリーバスをしとめた、あの銃もあった。ごっつく、重い感じだった。

パドメが双子を出産した手術台、そして、アナキンがダース・ベイダーへと変貌した手術台もあった。意外に小さいんだな。あと一週間で上映が終わるみたいだから、映画もついでにまた見て来たが、確かに、その手術台だった。映画に登場するセット、道具を見てからその映画を見る。ああ、あれだ、あれだ、などと思いながら。それはそれで得難い経験だった。

来週までです。観たい人はお早めに。
http://www.aurora-net.or.jp/art/dokinbi/exhi/special/special_new.html

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2005年10月04日

脂肪燃焼計画9

この間の連休前は確かに63kg台だったのに、連休中に腹一杯シャブシャブ食って、次の日餃子を腹一杯食ったら、66kgに戻ってしまった。この夏続けて来た脂肪燃焼計画は、ついに元の木網となって、水泡に帰した。信じられん。トータルしたら少なくとも5、6kgは燃やしていただろうに…。そんなのありかよ。

次の連休には、もしかしたら、元より増えるんじゃないないかな。もうヤケクソだ。おもいっきし、食ってやっか。

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2005年09月19日

SLAM DUNK8 ~虚構と現実。桜木花道は実在するか?~

いったい、誰が赤城不在の劣勢から、湘北の追い上げが始まると予想しただろう。しかも、相手は王者、海南なのだ。

あと9点、流川のカウントダウンが始まる。ゴール下には、キングコング弟、こと桜木が頑張っている。「さあ、これ以上点差を開かせねーぞ!ゴリが戻ってくるまでこの点差を守るぞ!!」そして、流川が怒涛のごとくゴールを決める。あと5点。さらに3Pを決めて、あと2点。さらに、海南のスタープレーヤー牧をかわしてゴールを決め、とうとう同点ゴールまで決めて前半終了。

その直後だ、あの流川が、戻って来た赤城に腕を突き上げてアピールする。「あんたの分まで、がんばったぜ!」とでもいうように。

なぜ、だろう。なぜ、赤城がいないにもかかわらず、湘北は海南に追いつくことができたのだろう。

彼らは、知っているのだ。赤木が、これまでに流した涙を。この海南と戦う日を夢見て、屈辱に耐えて頑張って来た彼の思いを。だからこそ、桜木も、流川も、一歩も退かずに戦ったのだ。赤木は不在だったのではない。逆説的だが、赤木が今、ここに、いない、からこそ、湘北はあれだけのプレーをしたのだ。

赤木が不在?いや、違う。ゴール下のキングコング弟、彼のプレーの中に赤木がいる。そして、海南に臆することなくゴール決めて行く流川、彼のプレーの中にも赤木がいる。

桜木花道は実在するか?
ここまで来ると、実につまらん問いかけだ。赤木が抜けた海南戦。あそこで、赤木がいなくなったにもかかわらず、赤城の存在を感じられた人間には、言うまでもないだろう。「いない」にもかかわらず、湘北のプレーヤーにとっては赤木は「いた」のだ。我々読者にとっての桜木花道、彼もまた同じだ。ただのマンガじゃん、という人間の心の中にはなにもないだろう。だが…。いや、これ以上は語るまい。

現実が、リアルだと思ったら、大間違いだ。感じることのできない奴には、現実だろうが、フィクションだろうが、ないのと同じだ。逆に、感じることのできる奴には、現実も、フィクションも、たいして変わりはない、たぶん。

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2005年09月12日

脂肪燃焼計画8

今年の札幌はいい天気だ。夏日が続く。

8月の1ヶ月、せっかくの日和が続いたのにぎっくり腰だのなんだので結局走れずじまい。昨日、ひと月半ぶりに昼間に走った。9月も半ばにさしかかったが、おかげさまで快晴の夏日。久しぶりだは、気持ちいいはで、長めに走ってしまった。

7月に走った時と気温的には同じ感じだったが、豊平川の河畔はしきりにキリギリスが鳴き、トノサマバッタが飛ぶ。虫達には今が盛り、といった感じで、ああ、やっぱり夏は去ったんだな、と実感した。

体重は、今日の時点で63.8くらい。夏に2回走れていれば63の目標をクリアしていただろうに、という気がするがしかたない。来週天気が良ければ、一気に目標達成をねらうか。

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2005年09月11日

SLAM DUNK 7〜虚構と現実。桜木花道は実在するか?〜

インターハイ神奈川予選、決勝リーグ、対海南大付属戦。

全国制覇、小学生の時からそれを夢見ていた赤城が言う。「海南は雲の上の存在と思うか?手を伸ばしてもとび上がってもオレたちには届かない存在だと思ってるか?」

常勝。16年連続でインターハイに出場している名門。それが、これから湘北の対戦しようとしている相手。だが、赤城は、IH出場をかけてこの海南と戦う時のことを、なんと1年の時から毎晩思い描いていたという。「絶対勝つ!!」メンバーに気合いが入る。

桜木の頑張りを中心に海南に食らいつく湘北。だが、その桜木を素人と見破った海南監督高頭の奇策によって徐々に湘北は追い込まれて行く。その上、チームの要の赤城が負傷退場。控室に退いた赤城は言う。「骨が折れてもいい…。歩けなくなってもいい…。やっとつかんだチャンスなんだ…!!」そして、その言葉を扉越しに聞いていたのが桜木花道だった。

だめだ、全部は書けない。もう眠い。続く…。


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2005年09月08日

ネットの達人3 藤田志穂

ブログフォーラムから3人目。「ギャルの革命」の藤田 志穂氏。私は知らなかったが、今大人気で、ブログランキングでも1位とか。なんでも、ギャルでもやればできるんだ!の一念でギャルのイメージ革新を志し、今年の一月から起業してブログを立ち上げたとか。将来は、学校を作ってさらなるギャルの進化を目指しているらしい。

ギャルの革命

ともあれ、私的には以下の西村氏の突っ込みの方が面白かった。

曰く:30過ぎてギャルっていうのもきつくないですか?

曰く:学校作って世の中変えようとするより、自分が変わる方が遥かに楽だと思うんですけど、なんでそこまでしてがんばろうって気になるんですか?

藤田氏はそんなことはない、自分のスタイルを通すことは必ずしも苦労ではない、みたいなことをおっしゃっていましたが、中で、あ、それは良い、と思って感心したことが一つあった。「私もそうだったけどー、今の若い人ってー、世の中にどんな仕事があるかってことからまず知らなかったりするじゃないですかー。だからー、そういう人達にこんな仕事があるんだよー、みたいなとこから学校で教えられたらいいなー、って思うんですよねー」。

がんばってください。

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2005年09月02日

ネットの達人2 西村博之

nishimura.jpg札幌のブログフォーラムの第二弾。「2ちゃんねる」の管理人、西村氏。私の携帯ではこれが限界だが、真ん中でオレンジっぽいのを羽織ってるのが西村氏。その一人おいた右隣の白いのが藤田志穂氏。

1976年生まれってことなので、まだ若干29歳でしょうか。その若さで名を馳せただけあって、非常に柔軟な感性の持ち主と感じた。2ちゃんねるを始めたのは、なんでもアメリカ留学中に、休みで誰もいなくなって暇だったからだとか。成功した理由は、他が勝手にこけてくれて、たまたま2ちゃんねるが残ったせい、とか。良い!実に良い!ビジネス、成功、リッチ、ステータス、とかって古くさい立身出世意識に凝り固まって、ゴールドカードをおねーちゃんにみせびらかすことばかり考えてる田舎者にないセンスを感じる。

質問
2ちゃんねるの掲示板と、ブログの違いについて、西村さんはどうお思いになりますか?

回答
うーん。単に見る人がどう判断するかの違いじゃないですかね。2ちゃんねるにも、実はトラックバックとかの機能もあって、これはブログだって言い張ればそうも言えるんだと思うんですよ。だから、利用する人達がどう見るかによるんじゃないんですか?藤田さんだって(パネラーの一人、「ギャルの革命」の主催者)、ブログ書いてるからブロガーですけど、社長って肩書きで言えば社長だし、CD出してるからそういうとこ行けばミュージシャンで通ったりもする訳じゃないですか。だから、何がどうだっていう決めつけはあんまり意味ないような気がする。

みたいなことを言っていた。このフレキシブルな感覚が非常に良い。とても好感を持った。

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2005年08月31日

ネットの達人1 伊藤穣一

ブログのフォーラムに行って来た。札幌の話。出席者の中には「2ちゃんねる」の管理人や「ギャルの革命」の藤田志穂もいた。が、私的にはこの伊藤穣一の話がピカイチに面白かった。この人はそうとうな人だ。ハンパじゃない。って訳で、まずはこの人から。

・タフツ大学、シカゴ大学でコンピューター・サイエンスと物理学を学ぶ。
・’80年代前半からインターネットに携わり、タイム誌で「サイバー・エリート」、ビジネス・ウィークで「日本のネット・ビルダー」、技術分野において世界で最も影響力のある50人の一人として紹介される。
・今まで、エコシス、デジタルガレージ、インフォシークなど10数社を設立。
・ICANN理事、インターネット協議会評議員、ぴあ株式会社の社外取締役。
・シックス・アパート株式会社会長、株式会社ネオテニー社長、株式会社テクノラティジャパン取締役

なんだ?この経歴は。目も眩むようだ。アメリカ大統領選のWebの仕事なんかもしたそうだし、ソフトバンクの孫会長は彼の話を聞いて即yahooの株を買ったとか。そして、いつのまにかこのブログで使ってるMTのシックス・アパートの会長にもなってたんだ。恐れ入ります。m(_ _)m

しかし、こんな経歴より何より、この人の情報収集力に裏打ちされた感性、洞察力に驚かされた。いろいろあったのだが、私がなるほどと感銘深かったのは、インターネットの進歩、P2P、ブログの登場等によるパラダイム・シフトについての指摘だ。

・Sharing
宗教、モラル等の規制などもあってアメリカ製のアニメがつまらない、その反動として日本アニメに人気が集中するということがアメリカであるそうだ。「NARUTO」が「ワンピース」よりアメリカではうけているということを前に聞いて、なんであんなつまんねーアニメが「ワンピース」よりもてはやされるのかと思ったら、とにかく登場人物達が熱くやり合う「NARUTO」の感じが欲求不満のアメリカ・キッズにはとてもいいんだそうだ。なるほどね、という感じがした。で、ここからが本題だが、その「NARUTO」をファンが各国語に訳すんだそうだ。アラビヤ語、ロシア語、ポルトガル語等々。そして、それをP2Pソフトでその言葉を使うファン達が共有するんだそうだ。ポップアップで注まで出て来る気合いの入ったものも珍しくないらしい。しかし、例えば「ロシア語」のDVDが出るとなると、ピタッとそれまでP2Pで流通していた「ロシア語」の翻訳版は消え失せるんだそうだ。ないから、自分達で作って共有する、でも、その作品を愛しているから、ちゃんとしたオリジナルのその国の外国語版が販売されたら、即座に今まで作った海賊版を引っ込めてオリジナルを買う、というのがコミュニティーのありかたらしい。この話を聞いて、私はいたく感動した。

映画、音楽、どの業界も、自分達の保有するコンテンツを無断で使用されることを禁ずる。P2Pソフトなどは、彼らの財産をタダで勝手に使う、自分達の利益を侵害する敵として糾弾される。だが、そうした権利、利益の囲い込みは、どうやら時代にあっていないようだ。今の若者は、音楽の話をしていてその音楽がどんなもんかわからない。だから、これだよ、って渡す。そんな感覚らしい。映画を作って、その一部にどっかのメーカーの製品なり、ロゴなりが映っている。すると、その会社は多額の利用料を請求する。映画一本取れば、あっちからもこっちからも請求されて予算がなくなる、ってのがよくある話だったりするそうだが、これも囲い込み。映したのではなく、映っていた。そのおかげで、タダで宣伝してもらえた、という感覚。かつはあったそういうもちつもたれつの共有感覚が、大企業の自社利益の囲い込みでなくなってせせこましくなっている。

IBMがAT機の仕様を公開してパソコンは発展した。仕様、情報の共有。IBMが著作権?に固執して囲い込み、コピーの排除をしていたら、発展はなかったのだ。共有、SharingはWebの世界でも同じ事が言えるだろう。オープンソースがそれを証明している。Sharingで、著作権という既得権をクリアする方策が求められている、ということになるのだろう。

・Bottom-up
今までは、企業がものをつくり、消費者に売るというトップ・ダウンモデルだったが、今やユーザー自身が提供者となる、ボトム・アップモデルが可能となっている。Sharingとも重なるが、作る人、消費する人、という区別がなくなりつつある、誰もが作る人になり、消費する人になり得るという変革が起こっている。

・Commons
「Creative Commons」という新たなライセンス形態を提唱する団体がある。一口に言ってしまうと、インターネットで配布される画像、文などのコンテンツを第三者が自由に使える道を拓こうというものだ。作った人「作者」が作ったものを著作権で囲って独占するのではなく、みんなで共有し、再利用を可能にする事で新たな創造の可能性を切り拓こうというものだ。ネットの同人誌などでは、既存のコミックの結末を自分好みに変えてしまったり、それをまた誰かが作り変えたり、といったことが実際に行われているそうだが、そんなふうに誰かの作ったものをまた誰かが…、という連鎖によって、新たな何かが生まれるかもしれない。

http://internet.watch.impress.co.jp/www/article/2002/1217/ccommons.htm

かつて、インターネットの黎明期、コンピュータ・テクノロジー、インターネットの基礎を築いた先人達。彼らは、このテクノロジーを、権力者に渡してはならない、庶民のものにしなければならないと考えた。情報を持つもの、持たないもの、その溝にこそ、権力というものが成り立っていると考えたからだ。コンピュータを権力者の独占物にしてしまえば、庶民に未来はない。逆に、庶民にこの機械をもたらせば、世界は変わる。今、そうした先人達の努力の上に、本当に新たなかつてあり得なかった時代が台頭して来ているのかもしれない。

さっそく今日のことを書いてるみたい。
伊藤さんのブログ

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2005年08月30日

脂肪燃焼計画7

いい具合に暑い日の続いたこの夏。まさに脂肪燃焼日和の日々だというのに、ぎっくり腰だのなんだので、結局8月になってから一回も走ることができなかった。こんなのありか?おかげで「あー、夏だなー」ということを一回も感じることなく、気づいたら夏が過ぎてしまっていた。こんなの初めてだ。すごく悲しい…。

これではあんまりなので、今日、夕方に走って来た。なんぼなんでも8月に一度も走らないなんて、生きてる気がしない。7月はまだ7時台は明るい夕方だったが、今はもう真っ暗なれっきとした夜になっていた。早いもんだな。豊平川河畔の草むらは、日が落ちるとすっかり虫達の天下。安心してここぞとばかりに鳴いている。こんな風情も久しぶりに感じたな。もう秋だ。

ひと月走れなかった割には、体重はちゃんと落ちて64キロになっていた。走って帰って来たら63キロちょっと。ここ数年の最低記録だ。秋の日和のいい日に気合い入れて走れば、63キロの目標も達成できるかもしれないな。

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2005年08月24日

出馬?

最近、うるさく耳につく「出馬」という用語。私はこの言葉が大嫌いだ。

選挙、スポーツに戦国時代の言葉が使われるのは今に始まったことではないし、何かと言えば戦国時代に喩えたがるのは日本人の性癖のようなものなのかもしれない。とりわけ、選挙なんてーのは、天下取りといった感じで、格好のターゲットになるのだろうが、それでも尚、私はこの言葉が嫌いだ。

「民主」という近代的概念を根本とする選挙の立候補を、よくも封建時代の馬にまたがった戦国武将の出で立ち、あるいは合戦などとオーバーラップできるもんだ。時代錯誤もはなはだしい。野田聖子が出馬?このイメージのミスマッチ。私にはとうていこんな用語は使えない。

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2005年08月18日

子ども達の悲鳴が聞こえる

1歳の女の子が、父親に殴り殺された。9歳の女の子がしつけのために庭に埋められた。パチスロで親が遊ぶ間、生後6ヶ月の女の子が車の中で死んだ。脳性麻痺の9歳の女の子が画鋲を飲まされていた。

たった、今日一日の新聞記事。

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2005年08月05日

はじめての「ぎっくり腰」

「ぎっくり腰」。陳腐なギャグとしてTV、アニメではおなじみだが、一生自分には関係ないものと思っていた。まさか、「ぎっくり腰」デビューを飾ってしまうとは…。衝撃だった。

原因はmarantzの呪い。修理から症状再現せずで戻ってきたサラウンドアンプPS4500を、日曜の朝一でヨドバシに持ち込んだ。「店頭で試させて」とお願いして、さっそくテスト。「ほら、ね」と言おうとした瞬間、アンプは何事もなく動作してしまったのだった。「コケ?」。「悪いけど、スピーカーの線、全部つないで試して良いですか?」とわがまま言って、再度チェレンジ。ところが、結果は同じ。問題なし。あれほど、家ではどうやっても簡単にスタンバイに落ちたのに…。

これ以上は、ジタバタするだけアホを露呈するようなもんなので、お礼とお詫びを言ってさっさと退散。そして、我が家に戻って、所定の位置にヨッコラショ、と最後に置いた瞬間に、「ビキッ」と痛みが走った。棚の奥にきちんと収めようと持ったまま腰を伸ばしたのが運の尽き。一番良くない姿勢というのは分かっていたが、最後の最後に一瞬置くだけの作業なので気にもしなかった。というより、ぎっくり腰なんて、予想もしていなかった。

ピキッ。「あ、やべー」。アンプをおろして、すかさずしゃがみこむ。この間、一秒足らず。そして、おそるおそる立ち上がろうとすると、「ビシッ」と、やっぱり腰に激痛が走る。また、ひざを抱えてしゃがみこむ。「TVで見たぎっくり腰は、ボキリッ、とかって音がして動けなくなるのがパターンだが、一応動けはするから、骨がズレたとかの椎間板ヘルニア状態までは行ってないだろう。なんとかなるんじゃないか?」と自問自答しながら、再度立ち上がる。立てるには立てたが、腰が伸びないわ、痛いわでまともに歩けない。床に横になって、海老状態。

「おい、おい、冗談じゃねーぜ、このクソアンプ。故障はするわ、修理に出せばそのまま戻ってくるわ、しまいにぎっくり腰?ふざけんじゃねーよ。なんで、こんな目に合わされんとならん訳?」と、むなしく心の中で叫んでみる。「こんなアンプ、買わなきゃ良かった…、しくしく」。

それにしても、今年は災難続きだ。1月には肋骨折るし。その肋骨が治りきらないままに、勢いでこのアンプを買っちまったのがそもそもの間違いか。次はなんだ?年末に死ぬんじゃねーのか?

どうやってもまともに歩けない。はって歩いてる状態だというのに、水曜には出張が控えている。さすがに、弱った。歩くこともできないのに、どうやって出張すんだよ?しかも、重いパソコンと荷物まで持って?後は、気合か。朝になって、出勤モードに入ると、たいていのことはなんとかなる。それにかけてひたすら海老状態で休んでいた。横になっている分には痛くないから、肋骨折った時よりはかなりましだ。ただ、肋骨の時は痛かったが、歩くことはできた。今回は、どうしても歩くことが必要なのにそれができない。うまくいかんな。

そんなこんなで迎えた、月曜の朝。のそり、のそりと、動くことはできる、というレベル。さすがに地下鉄だなんだはどう頑張っても無理なので、観念して嫁さんに会社に送ってもらった。会社に行っちまえば、後はデスクワークだし、俺は周りと隔離された階にいるからなんとかなる。問題は、月曜の朝だけに催される朝礼だ。「あそこまで、たどりつけるだろうか?いっそ、急な仕事が入ったから勘弁してとエクスキューズするか?行ったところでまっすぐ立ってらんないし。」とかいろいろ考えたが、奴らに対して言う「勘弁して」という言葉は持ち合わせていない。「行ったる」。気合が入ったせいか、なんとかうまく、行って帰ってくることができた。ラッキー、ラッキー。

腰には、同じ姿勢、特に椅子に座りっぱなしが最も良くないというのが定番だけに、会社に来て悪化して行ったらもうどうにもならんと心配していたが、幸い、どんどん良くなって行った。私にとっては、座ってる=療養、だったようだ。退社の頃には、かなり歩けるようになった。その後も加速度的に良くなった。歩くと最初は痛いが、歩き続けるとどんどん良くなって行くというような感じで、日に日に改善して出張も無事終った。今は、もう軽く走ることもできる。

それにしても、歳の割には人一倍歩くし、今年は特にジョギングも例年以上にしていただけに、「ぎっくり腰」なんて想像もしなかった。腹筋と背筋のバランスが崩れないように、両者のバランスを取るようにもしていたし。結局、歳、なんだな。それが結論だ。でも、marantzPS4500、あんな重たいもんを二日も持ってヨドバシを往復させられたせいだ。何もかも、marantzPS4500、あいつが悪い。

参考)
・腰には、膝を抱えてしゃがむ姿勢が最も楽です。試してみて下さい。年配の方なら、「ああ、気持ちいい」と感じるかもしれません。もし、腰にピキッと来た時に動けたら、この姿勢を取ることをお勧めします。
・横になるときは、海老状態で、腰を丸めて横になるのがベストです。これが最も腰に負担の少ない姿勢です。あお向けで足を伸ばすのは良くありません。これは、通常の睡眠の時でもそうです。女性は絶対にやってはいけません。背骨の湾曲的に、女性が足を伸ばしてあお向けに寝ると、腰を痛める確率大です。あお向けになるなら、膝を立てましょう。(私の場合、ぎっくり腰から3日目に腰を伸ばしたら、ストレッチ的な効果だったのか、非常に気持ち良くて、回復も早まった気がします。ただ、これは男性にはあり得ても、たぶん、女性にはあり得ないような気がします。エアロビやっててすごい体が柔らかいとかって人ならどうか分かりませんが。)
・ビキッと来て、痛いときは、冷やしましょう。骨がズレた椎間板ヘルニア状態でないかぎり、腰の捻挫です。捻挫の初期は、炎症を押さえるために冷やすこと。風呂に入ってあっためてはいけません。2日ほど冷やしたら、その後は冷やさないこと。血行が悪くなって直りません。これで、私的にはだいぶ回復が早まった気がします。

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2005年07月24日

クニミツの政~インフルエンザ脳症~

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25巻が出たようだが、なぜかここでは24巻の話。政治というテーマがテーマだけに、作者もストーリー作りにかなり苦心しているようだ。初期はすさまじい勢いと気迫を感じさせる内容だったが、今はマンネリ化にはまらないよう、あの手この手という印象を受ける。そんな工夫の一つに、マガジン編集部の体当たり取材がある。20巻の農薬問題における農水省、並びに農薬の引き起こすアレルギー疾患に詳しい寺澤医師への取材。そして、この23~24巻での「インフルエンザ脳症」をめぐる近藤医師への取材だ。

「インフルエンザ脳症」と呼ばれる疾患。それが、実はインフルエンザ・ウィルスによってではなく、投与された解熱剤等によって引き起こされた薬害であり、「インフルエンザ脳症」という名称がその薬害を隠蔽するために利用されているという事実。そして、その背景にある、インフルエンザ予防接種が任意化されて売れなくなったワクチンを再び売り込むために、インフルエンザに対する恐怖を駆り立てようとする製薬会社の思惑と、その会社から甘い汁を吸うために寄生している天下り官僚達の存在が指摘されている。

インフルエンザ予防接種が、一定の割合でその副作用による脳障害、ショック死等の被害者を出していることは知っていた。だが、インフルエンザはただの風邪とは違う、生命に関わりかねない恐ろしい感冒だ、と子供の頃からどこからともなく教え込まれていたため、それも止むを得ないことなのかな、と安易に考えていた。たぶん、昔はスペイン風邪などの記憶、そして近年は「インフルエンザ脳症」という言葉によってだろう。多少の犠牲はしょうがない、それほどインフルエンザは恐ろしいのだ、という神話に踊らされてきたという訳だ。インフルエンザ予防接種は、害はあっても効果はない。この本、というか取材した近藤医師が明確に我々の蒙を啓いてくれる。

実は、私は、この「インフルエンザ脳症」の事例を知っている。小学校5年生の時だった。私のクラスと隣のクラスはひどく仲が悪く、事あるごとにはりあってはケンカばかりしていた。あまりに仲が悪いため、野球の試合もこのクラスとだけはお互いに絶対にやろうとしなかったものだ。だが、何度か雌雄を決するというような気迫で決戦したことがあった。どっちが勝ったか今はもう覚えていないが、今、素直に認めると、敵ながらいいプレーヤーが多いクラスだった。運動能力の高い奴が、ごろごろしていた。たぶん、そんなせいもあって、奴らにだけは絶対に負けたくない、と思っていたんだろう。

向こうも、こいつらだけは、と思っていたせいだろう。やたらムカツク奴らばっかりで、顔を見るだけで腹が立っていた。が、そんな中で、一人だけ、敵ながら「こいつはすげーな」と思う奴がいた。何かというとすぐに挑発してくるバカヤローどもの中で、一人だけ、「やめとけ」とそのバカヤローどもをなだめる奴だった。ちびだったが、運動能力の高い隣のクラスの中でも、あきらかに群を抜いていた。野球の試合をやった後、「やっぱ、あいつはすげーな」と、敵ながら我々のクラスの誰しもが彼のすごさに脱帽した。他の奴らは、相変わらず「あ?やるならやるか?いつでも来いや」という感じだったが、彼にだけは、我々のクラスの皆が一目置くようになった。もちろん、隣のクラスの奴らに抜群の人望があったのは言うまでもない。

5年生の終わりの冬のことだった。そんな彼が、インフルエンザで入院したと聞いた。なんでも、脳をやられて、かなりやばいらしい、ということだった。今からもう30年も前の話で、当時は「インフルエンザ脳症」という言葉などはなかったと記憶している。敵ながら敬意を表していた奴だけに、少なからずショックだった。なんせ、どうも、もうまともな身体には戻れないのではないか、といううわさが流れていたから。

人望の篤い奴だっただけに、心配する人間も多かった。いつもはムカツイて口も利かない奴らだったのに、「おい、あいつ、どうなんだ?」と聞いてみると、「いや、実は…」と我々にも話してくれた。どうやら、脳をやられて何も覚えてないらしい、薬のせいだか、治療のせいだかで、髪も全部抜けてしまったらしい、伝染の危険があるかもしれないから、まだしばらく隔離病棟にいるらしい、などなど。あのムカツク連中が、ほんとにショボンと萎れていた。

それから、どれほど経ったのだろう。6年の夏頃だったと思うが、その彼が退院したというニュースが伝わった。どうやら、学校に来るらしいということで、我々は沸き立った。「よかったなー!」と、ムカツク隣のクラスの奴らと心から喜んだのを覚えている。だが、彼は、学校に戻ってきたのではなかった。別れのために来たのだった。

学校に来た彼は、スキンヘッドだった。きれいに一本の髪もない。今と違って、スキンヘッドなどという髪型は当時はない。そんなもん、ヤクザか坊さんくらいしかいなかったので、まず、その変貌ぶりに度肝を抜かれた。しかも、皮膚が真っ白だ。本当に隔離されていたんだな、ということが一目で分かった。グラウンドで隣のクラスの奴らとキャッチボールをしている、そんな変貌した彼をショックを受けながら、でも、キャッチボールができるんだから、大丈夫なんだろう、なんて思いながら見ていた。ところが、だ。彼は、そのクラスの友達を、誰も覚えていなかったのだ。

かろうじて、2、3の大の仲良しは、ちょっとだけ思い出したようだった。「ほら、あの時、あんなこと…」なんてことを一生懸命そいつらが言って、「ああ、そう言えば…」なんて感じて、ちょっと思い出したかな、という雰囲気。今、思うと、そいつらの情熱へ敬意を払って、思い出したような演技をしていたのかもしれない。傍からそんな彼を見ていた私だったが、最後に頼んで、彼とちょっとだけキャッチボールをさせてもらった。

「俺のこと、分かる?分かんねーよな。仲悪かったし。」
そして、ボールを投げる。
「うん。ごめん。いろんなことわかんないんだ。」
そして、ボールが返る。
だが、そのボールは、私のところに届かなかった。
かつての彼とキャッチボールするつもりで、私が離れすぎていたのだ。
あれほど、抜群の運動能力を持った彼だっただけに、
足下に転がったボールが哀しかった。

しばらくして、おかぁさんが現れて、じゃ、みなさん、って感じで
行ってしまった。その後の彼のことは、知らない。
今、どうしているだろう。

私が、インフルエンザを別格視していた真の理由は、この体験だ。
だが、それも薬害、という訳だ。
インフルエンザ神話に踊らされた自分のことよりも、
あの彼がインフルエンザではなく、薬害に倒れたのだと知ることが
何よりもつらかった。

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2005年07月23日

脂肪燃焼計画6

今日の札幌はいい天気。脂肪燃焼日よりだ。その後、天気が悪かったせいもあって平日は走らなかったが、それでも65キロを切って64キロ後半を維持していた。休日に暑い日が一日来れば、63キロ突入も可能そうだな、なんて楽観していた。そのせいという訳ではないが、先週の土曜に焼肉を食べた。たまに焼肉を食べるくらいは日常生活の一環で、別に反動という訳ではない。前日の体重は64.5だったし、特に心配もしていなかった。ところが、だ。翌日の体重はなんと66キロに戻っていた。

大食いなんかしてないし、どっちかというと今までに比べれば節度を持って食べた方だっただけにショックだった。まぁ、増えるだろうとは思っていたが、1.5キロは増えすぎだ。だいいち、1.5キロも食ってねーぞ!質量保存の法則に違反してねーか?ったく。

気を取り直して、翌日また8キロくらい走って、65キロくらいまで戻したが、なんか、おかしくないかな。食生活は今までと全般的に変わっていない。対して、走る距離、日数は格段に増えている。なら、もとに戻るなんてこと、考えられないはずなんだけど。もし、走る距離、回数が以前通りなら、今ごろ70キロを突破しているはずだ。いくらなんでも、そんなはずはない。この生活で、せいぜい1年に1キロ増というペースだったんだから。

つまり、いくら脂肪を燃やしても、元に戻そうという力が働くために、そう簡単には減った体重で安定しない、ということか。たぶん、そんな感じなんだろうな。なくなった脂肪は、私の目から見ればゴミだが、身体からみると大事なエネルギーストックに映るのかもしれない。その脂肪のついた体が通常の身体だったのだから。

今日もまた、なぜか66キロの体重だった。おとついは64キロ台だったのに。走って減らしては見たものの、明日になるとまた増えてるんだろう。休日はビールで行け行けだから。いくら燃やしても、これじゃきりがない。

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2005年07月13日

今度は日本か

またもや国際テロの犠牲か。アメリカ、イギリスと来れば、順当に考えて次は日本だろう。イタリア、スペインはもう被害を受けているし、残るはアジア、オセアニア、となれば、どう考えてもやっぱり次は日本だろう。今にして思えば、911はアメリカの警察、消防などの緊急通報番号だ。すると日本は、11月9日、もしくは1月10日、1月19日に注意すべきか。もちろん、ないに越した事はないのだが。

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2005年07月08日

脂肪燃焼計画5

不思議だ。今週は天気が悪くて走ってないが、先週のこと。日曜にジョギングした直後64キロの最低をマークし、その後も65キロをキープしていた。ところがだ、火曜から木曜にかけて、また晩飯前に走ったところ異変が起こった。別に反動的に大食いした訳でもなく、今まで通りの食生活をしながら走っていたにも関わらず、体重が増えた。それも、走る前の66キロをたった木曜日だけで超えて66.5キロ。一日で1.5キロも増えた。

最初に走り始めた2日間も、そういえば体重が増えた。やはり66.5くらいに増えて驚いた記憶がある。減って、増えて、そこでやめないとまた減って行く、というメカニズムなのかな。でも、一日で1キロ以上増えるとさすがにビビる。今は落ち着いて65キロを切ることもできそうかな、という感じだが、どうなることやら。いったんついちまった贅肉を落とすのは、やっぱ予想通り難しいや。

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2005年07月07日

血管強化、血液さらさら化計画 その5

朝飯に納豆。朝夕食後にトマトジュースに割って黒酢、喉が渇いたら麦茶を飲む。なんて血液さらさら化計画を初めて二ヶ月近く、黒酢も一本があいた。その効果だが、正直言ってわからない。ちょうどひと月程前に、おそろしくビールが飲めた日があった。これほどのペースでは大学時代にさえ飲めなかったというほどのすさまじい勢いで飲めた。その後も、「なんか調子いいな」という感覚で、普段は飲まない平日も飲み続け、結局2週間くらい飲み続けていたような気がする。たぶん、これは血液さらさら化計画のおかげだ。が、残念なことに、そうやってあまりに飲み続けたおかげで、逆に疲れてそれっきり、という気がする。もう一回、あの「調子いいな」という感覚を味わいたい。が、そうなればなるで、また、ぐだぐだになってしまうのかもしれない。どっちにころんでも、元気にゃなれんのかな。

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2005年07月01日

たかがテープ、なんだけど

私は、買い物をした後に、品物を袋に入れて、セロテープで止められるのが大っ嫌いだ。後であけるのが実にうざったい。紙袋ならまだ破いてしまえば済むが、小物の場合、今はプラスティック?(塩ビ?)の袋のことの方が多い。その場合、引っ張っても、破こうとしても、あのビヨーンと伸びてなかなか取れない、開かない風情が実にうざったい。かつ、美観が悪い。ゴミも増える。かといって、「あ、テープで止めないで下さい」って、いちいち言って回るのも、それはそれでうざったいし。ほとほと辟易していた。「もう、かんべんしてくれや。どうしても、テープで止めなきゃダメなの?」って叫びたい感じ。いっそ、買い物袋持って出かけようかとマジで思い始めてたくらいだ。

と、そんな折、先週狸小路キクヤで楽譜を買った。例によって、プラスティック?の袋に入れられて、「ヤレヤレ」と思っていた矢先だ。その若い女性の店員は、ふとテープの端を折り返し、それから袋を止めた。そこをつまめば、簡単にテープをはがせるようにだ。

諸君、私の感動があなたにも伝わるだろうか?長年、あのはがれないテープに悩まされていた私が、生まれて初めて出合った思いやり。ジーザス・クライストの奇蹟とはこのようなものか。「世の中には、このような思いやりのある女性もいるのか」と、あたかも慈雨に包まれるような感動を覚えた。

不思議なことに、それ以来同じ経験を1週間のうちに2度もした。丸善、そしてビックカメラ。丸善の時は、「へー、ここにもこんなデリケートな人がいるんだ」と感動したが、さすがにビックカメラもとなると話が違ってくる。先週もビックカメラで買い物したが、その時はそんな配慮はなかったし、もちろん今までだって1回たりともなかった。なんか、札幌の商店系でそういうセミナーでもあったのかな、なんて、ついかんぐってしまう。だとしても、それはそれで結構なのだが。

いずれにせよ、是非とも、この習慣を広めて下さい。お願いします。

PS.今日7/2にビックカメラで買い物したら、いつも通りにテープを貼られた。あの店員だけの個人的な心くばりだったようだ。

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2005年06月29日

脂肪燃焼計画4

昨日、今日と走って、今週も順調に減っている。成果が見えるとやる気も違う。今までで一番重い体重だから、毎日走ると膝を痛めないか心配だったが、ここ3年ほど似たような体重で走っていたおかげで、問題ないようだ。晩飯前に走ってくると、不思議といつもほど食いたいと思わない。チャンスなので食事も若干減らしている。いいことずくめのようだが、一つ心配なのが、痛風だ。4年前に週に3、4日走ったらなってしまった。まさか痛風なんてかかると思ってなかったから、どんな病気かわからずねん挫でもしたのかと思った。右足がいいだけ腫れていた。あれをやると、しばらく何もかもがあずましくなくなってしまう。心配だな。

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2005年06月27日

脂肪燃焼計画3

先週の札幌は暑かった。さっそく脂肪燃焼のチャンス!とばかり、土曜を除いて毎日走った。間にワールド・ユース、コンフェデカップがはさまったから、きついの眠いのって。しかも、最初の二日は、かえって体重が増加したのにはあわてた。食前に走ると、食後に体内に蓄積しようとする働きが強くなって、逆に良くない、なんて話もあったから、もしやそれか?と心配した。二日であわや1キロ増という勢いで増加したのにはほんとに驚いた。

が、水曜に走った時は、明らかに脂肪が燃え始めているのが体感できた。翌日から、ウェストが緩くなって来たのも体感できた。昨日は、休みでかつ暑い日だったので、ここがチャンスとばかりいつもより一回り距離を伸ばして8キロくらい走ってみた。予想通り、効果は抜群。走り終えた時は、走る前より1.5キロ減の64キロジャストだった。66キロから、早くも2キロ減だ。

とはいえ、その大半は汗で水分が抜けただけのこと。正味は今日になってみないとわからないと思いつつも楽しみにして体重計にのってみると、65キロ。1週間で1キロ減った。毎日走って走力がついたので、昨日のように休日の暑い日に一気に燃やせるようになったのが大きい。こうなれば、こっちのもんだ。目標クリアは夢ではない。

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2005年06月21日

脂肪燃焼計画2

先日、健康診断を受けたところ、体脂肪率が22.3%もあった。ガーン。基準の取り方にもよるが、どうやら軽度の肥満と判断していい数字のようだ。ところが、私は見た目も体重も明らかな痩せ型だ。実際、10年前は今より4キロくらい体重が少なく、体脂肪率も15%かそこらのはずだった。当時と比べて、太くなったのはウェストだけで他の部分はまったく変化がない。ということはつまり、この10年で身に付けた肉はすべて脂肪で、かつそれは腹にのみ集中的にへばりついたということになる。そんな今の私は、まさに正真正銘のれっきとした隠れ肥満というやつなのだ。

では、いったいどの程度の肥満なのか。ネットを漁ってみたところ、以下のページが目に付いた。

知的に痩せよう

うん、いいタイトルだ。私にぴったりだ。さっそく内容を見てみる。

「SETP1.自分を知る」。

すばらしい。まさに望むところだ。まずはBMIによる測定。身長176センチの私の標準体重は68キロ。対して、現在の体重は66キロ。BMI値は21.3で標準値、肥満度も正常だ。だが、これはこの10年で脂肪を4キロ蓄積した結果のまやかし。体重だけみれば正常だが、22.3%という体脂肪率が動かぬ証拠だ。

このページを見るまで迂闊なことに気づかなかったが、体脂肪率が分かっているということは、それに体重をかければついてる脂肪の量がわかるのだ。なぜ、こんなあたり前の事実を見落としていたのか。おそる、おそる計算してみる。すると、オー、神よ。14.7キロもあるではないか。ちなみに、10年前の62キロで体脂肪を10.7キロとして逆算してみると、体脂肪率は16.1%。そう、確かにこれくらいだったのだ。ということは、やはりこの10年で身に付けた4キロはすべて脂肪の塊だったのだー!

1キロのジンギスカン用のラム肉。これはすぐに想像がつく。直径15センチ、高さ20センチくらいの肉量だ。あれの、4倍が腹の周りについたのだ。信じられん…。しかも、脂肪は赤身より軽いから、実際の量はもっとだ。いやー、おいおい、かんべんしてくれよ、って感じだ。そんだけの肉を食うのは簡単だが、減らすとなると話が違うぜ、ったく。いっそ、自分で食ってしまえるものならば、あぁ。

これもすべてビールが悪いのだ。分かっている。分かってはいるけどやめられない。となれば…。

「燃やすしかないよ」。(ナウシカのおおババさまの声)

では、何キロ燃やせば良いのか。再び、さっきのページで計算。結果は3キロと出た。目標にしていた数字とほぼ同じだ。よーし。腹周囲的体脂肪燃焼上等。楽しみができた。必ずやったるぞー!

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2005年06月17日

私はブログが嫌いだ!

私はブログが嫌いだ。ブログがネットをクソまみれにしている。何が、手軽に公開できる日記だ!てめーの手軽な日記なんぞ、誰も読みたかねーぞ、バカヤロー!

自分でブログを書いていながらこう言うのもなんだが、私は他人のブログを読まない。ブログ、というだけでほぼ見る価値はない。時間の無駄だ。文も内容も、スッカスカ。まともにつきあう方が馬鹿げている。(さぁ、さっさと違うサイトに移ろうね。)

そんなブログにつき合わされたせいだろうか、たまに読むプロの文章にとても惹かれる。最近気に入ったのは、中村うさぎ。昼飯を食いに行った店においてある、週間文春の「さすらいの女王」が目についた。これは面白い。今日HPを調べてみたところ、なんでも、印税で5年間に1億円のブランド品を買い、その後はホストにはまって1500万も貢いだとか。うそかほんとか知らないが、これはたぶんホントだ。知性と教養をばっちり身につけたバリバリの俗物。物書きは、やはりこうでなくちゃ面白くない。

http://www.usatama.com/usagi/profile.php

見てみたら、「立ち読み天国」なんてのもあった。なんか、買って読んでみるかな。

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2005年06月16日

「異文化としての子ども」3

今の我々が自明のように感じている「子ども」の捉え方が、実は近代的な社会のあり方、考え方と密接に結びついた歴史的概念であることを述べたのはアリエス、「<子ども>の誕生」だった。目のさめるような驚きと、同時に自分がいかに「曇りなきまなこ」からほど遠い、偏った眼差しを持った人間であるかを感じさせられたものだ。自分を包む入物、時代の物の見方を相対化するのは並大抵ではない。母性本能がやはり「本能」ではなく、歴史的な概念であることを説いたのは誰だったか。我々は、子どもから大人になる過程で、知らず知らずのうちに時代の偏った眼差しを身につけさせられる。それが、広い意味で社会的な人間となって行くための「教育」というものなのだ。

大人の汚さを批判するための、絶対の聖域としてよくもてはやされる「子どもの純粋さ」。たぶん、それも大人の作り出した幻想に過ぎない。真に「子ども」の存在を大人社会に批判的に取り込もうというのなら、子どもイコール純粋、大人イコール不純といった神話に寄りかかっていてはだめだ。それでは、人は生まれた瞬間の純粋さから、歳経るごとに墜落して行くように運命付けられた呪われた存在でしかありえないではないか?

人が生き続けることの意味、成熟を否定する考えは、自殺に行き着くしかない。自己否定だからだ。ただ、生きていればいい、とはさすがに思えないが、死は必ずしも純粋ではない。それは、自分の向かっている大人の世界にしりごみする、未熟なティーンエイジャーの甘美な幻想だ。

とはいえ、ティーンエイジャーの現実もかつてないほど過酷なのだろうか。自殺願望の若者は増える一方だ。もちろん、その反対に、この穢れた世界を楽しげに、優雅に泳ぎ回るティーンエイジャーもまたくさるほどいる。結局は、どちらもこの時代、我々大人たちが生み出したもの、ってことなのだろうか。仮にそうだとしても、卵と鶏の前後を問うようなものだ。我々大人だって、かつては子どもだった、その我々を育てた大人も、かつては子どもだった、その子どもを育てた大人もかつては…。もう、やめよう。

希望。それは、遠い向こうに星のように輝いているものではない。足元にあるものなのだ。

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2005年06月15日

「異文化としての子ども」2

子どもは、大人とはまったく異なる性質を持った何者かだ。昆虫の世界では、幼虫と成虫がまったく異なる姿形をしている例が少なくないからわかりやすいが、人間の場合は姿形自体はそれほど違わないために、ついつい大人は自分達を見る眼差しを子どもにも向けてしまうのかもしれない。

子どもは、とにかく普通と違っているものが好きだ。わざわざ水たまりを選んで歩く、のぼれそうな縁石があればのぼってみる、くぐれるものがあればくぐってみる、etc。どろんこ、ちんちん、うんこ、べとべとといったものも彼らの大のお気に入りだ。大人が汚い、と言って叱るものこそ、彼らにとっては非凡な魅力に満ちた存在なのだろう。それを感情的に「怒って」みたところで始まらない。もともとそういう存在なのだから。

この先生が「一応怒ってみる」という言葉、感覚を気に入ったのは、そうした子ども本来の性質を暖かく見守りながら、社会的なルールを身につけさせようとする大人の配慮、眼差しを感じたからだろう。感情的に「怒る」のではなく、いわば「叱る」とでもいった感覚か。確かに、子どもを悪者ででもあるかのように、「怒る」大人が昨今多すぎるのかもしれない。

本田和子「異文化としての子ども」Amazonで詳細を見る

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2005年06月14日

「異文化としての子ども」1

今日の読売新聞のコラム「ぷらざ」から。
"「一応…」心のゆとり感じる言葉"と題して、保育園の先生の書いた文。
連絡帳に、ある保護者が次のように書いてきたそうだ。

「一応、いたずらさせて遊ばせ、一応怒ってみました」

これを読んだ先生、「面白い」と感じ、ある日「子どもは高いところが好きですよね」と言ったお母さんにこう話したそうだ。

「ハイ、そうですよね。高いところにのぼってみたいという挑戦心もいいし、 高いところからのジャンプも足腰が鍛えられていいですね。だから私は 座卓にのぼりたい子どもたちには、一応、のぼらせて遊ばせ、一応怒ってみます」

これを聞いてクスクスと笑っているお母さんを見ながら、"「一応」という言葉は心のゆとりから生まれるものだ"と実感したそうだ。

続く。

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2005年05月26日

プロジェクトXの虚飾〜地に堕ちたか〜

スポーツ新聞で見たNHKプロジェクトXの虚飾報道。ある高校の美談をあおるかのように、同校の当時の荒廃ぶりを虚飾したというもの。問題の番組は「ファイト!町工場に捧げる日本一の歌」。どうなんだろうな、と半信半疑で見ていたが、どうやら事実だったようだ。

今はもう見る事もないが、かつてこの番組が始まった頃は欠かさずに見ていた。励みにもなったし、感動もした。涙を流したことも数多い。日本が落ち込む一方という時期だったこともあり、いち日本人としてこの番組のおかけで日本人の誇りを取り戻させてもらったと言っても過言ではない。その看板番組を、視聴者の涙をしぼるために虚飾するとは。

http://www.mainichi-msn.co.jp/it/network/news/20050525org00m300091000c.html

ついに、NHKは地に落ちたか。使い込みの問題など、実は大したことではない。たまたま日本全体が経済的に苦しくなって来ていた時期だったから、格好のうっぷんばらしになっただけだ。もちろん、それが良い事だと言いたい訳ではない。ただ、程度の差こそあれ、「あんたも同じ穴のムジナだろう?」と言われれば、少なくとも良識のある社会人なら、それがこの国の、あるいは大人の世界のよくある話の一つに過ぎないと納得するのにやぶさかではないだろう。だが、今回の問題は違う。もっと、ずっと罪深い行為だということを、NHKは認識しているのだろうか?

報道がなされた後の今日はもう状況が一変しているが、昨日、私がgoogleで「プロジェクトX 淀川工業高校」で検索したときは、その番組に感動したというページばかりがヒットした。感動は金では計れない。そのページを書いた人々は、恐らく自身の感動に正直に動いただけのことだろう。そして、それはプロジェクトXを見て感動し、励まされて来た多くの視聴者達の姿を反映しているはずだ。

この汚れた社会にあって、人々の感動は無償の愛に似た気高さを持っている、と思うのは私だけだろうか?もしそうならば、NHKは自身が踏みにじったものの価値を、その罪深さを、永遠に気づく事はないだろう。願わくば、「良識」を持ち合わせた人々が、まだNHKにあらんことを。

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2005年05月24日

何が風太くんだ

何が風太くんだ。レッサーパンダが立ったからなんだってんだ、バカバカしい。「おたくの動物園のレッサーパンダは立ちますか?」と問い合わせて来る大人がマジでいるそうだ。やだやだ。俺は、こういうアホが大嫌いだ。そのうち、立つ猫ちゃんだの、立つワンちゃんだのと二番煎じを探し求めるのだ。いっそのこと、このバカ者どもへのみせしめに、全国のレッサーパンダよ、立ち上がれ!今こそお前達は立ち上がる時が来たのだ!皆で手に手を取って立ち上がり、怒りの声を上げろ!お前達自身の平穏のために。

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2005年05月14日

からっぽな日本人

類としては理念的な蓄積があっても、今を生きるのは常に赤児から育った未熟で不完全な存在でしかないから、人は理念的な蓄積を一人一人の生き方に反映することができない。理念だけが一人歩きし、現実としての人は相変わらず地を這っている。人が愚行を繰り返すのは、不完全な人間にとっては避けられないことなのだ。だから、せめてもの知恵として人は教訓として歴史を刻み、それを忘れまいとする。

AC2005。After Christ、キリスト生誕後2005年。これが今年だが、ヨーロッパではこうしてある年を記憶にとどめようとする習慣があるようだ。つまり、これこれの年から何年という数え方をすることで、その年を記憶に留める。人がなんでもすぐに忘却してしまうことを踏まえた、賢い知恵だ。私の知る限り、その例は不幸な出来事、事故などの起こった年がおおいようだが、それは悪しき歴史を繰り返すまいとする知恵の反映でもあるのだろう。

現代日本のティーン・エイジャーを見て、「バカばっかりだな」と思う大人は多いだろう。私は今44歳だが、私の中学、高校の頃に比べて、今の中高生はものを知らなさすぎるように思う。だが、それは彼らのせいではない。彼らに何も教えなかった大人達、社会、国家のせいなのだ。ゆとり教育などとアホなことを言って、せっせとバカな国民を育てて来た、それがたいした頭もないのにいい大学に行かされた無能な官僚達の実績だ。明治以来、教育で成り上がって来た日本から、教育を取ったら何も残らない。今の日本のからっぽさは、至極当然の成り行きとしか言いようがない。

世界中見回しても、これほど子供達が勉強しない国はめずらしい。アジア諸国では、貧困から脱却する将来の夢と希望が勉強にかかっているから、いやでも子供達は勉強する。そしてそれは、少なくとも私の子供の頃の日本の姿でもあった。今の若者達は、ぶらぶらしていても、永遠にこの世界が続くとタカをくくっている「キリギリス」に見える。「アリとキリギリス」のこの喩えすら、「おお、知ってる。お笑いコンビだろ?」と言い兼ねないありさまだが、そのからっぽさが何を意味するか、大人達はちゃんと認識しているのだろうか?

かなり眉唾もんになったとは言え、まだ日本は繁栄している部類に入る国だ。だが、それは、先進国に劣る、貧困に喘いでいた明治以来の先人達の努力の賜物だ。家族に飯を食わせるために売られた女子供は、つい、昭和のこの間までめずらしくもなく実在していた。そうした現実から脱却するために日本人は頑張って来たのだ。今の若者は、そうしたことを知らない。教えてもらっていないからだ。

世間はあっても、社会というものが存在しなかったから、日本という国家自体が成熟していない。国として、社会として、どのような人を育てて行くのか、そのために何を伝えて行くべきなのか、という思想がない。中国、韓国の横やりに屈しないくだらぬ教科書は作れても、真に次代を担う国民を育てるための教科書は作れない。それが、土台となるべき知性もなく、知識だけ詰め込まされてエリートになった無能な官僚達の実態だ。からっぽな日本人、その弊害は既に歴然と出始めている。国家100年の計、野蛮でがさつな時代だったが、明治の日本にはそういう大局的な思考のできる大物がちゃんといた。そして、善かれ悪しかれ、そういう大局的な観点に立った教育があったからこそ、国家としての発展もあったのだ。

何も知らない、からっぽな日本人。さて、これからの日本人はいったい何をしでかすのだろう。歴史を繰り返すことなどたやすいことだろう。あるいは、100年後に日本は事実上存在しないかもしれないという気がする。

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2005年05月12日

血管強化、血液さらさら化計画 その4 麦茶

血液をさらさらにする効果は、焼酎と麦茶が群を抜いている。健康のためとホラを吹いて焼酎を飲むつもりはないし、別に飲みたい酒類でもないので、麦茶を選択。麦茶なら日常的に飲めるという点でも好都合。夕食後の緑茶はともかく、それ以外は喉が渇いたら家では麦茶。なんの努力も苦労もいらないところも良い。

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2005年05月02日

新世紀エヴァンゲリオン

土日の連休、家族がいなくなったので久々にエヴァを全編ぶっ通しで見続けた。VHSの録画をDVDに落とそうと前から思っていたのもあるが、初めて出会ったのがこの時期の再放送だったせいで、春が来ると身体がうずく。全部見ると12時間以上かかるようで、年取った今だとちょっとつらかったが、それでもやはり楽しかった。

最終話、人との触れ合いを常に避け続けてきたシンジが、アスカの首をしめる場面。初めてアスカを、他人を求めたシンジが、「イヤ!」と拒絶された後のシーン。何度見ても感動する。ピアノの伴奏とともに流れる曲、「誰もわかってくれないんだ」、シンジのつぶやき…。「主よ人の喜びよ」へと至るこのシーンは私のお気に入りだ。

アスカの首をしめる、この行為が実はシンジにとって強烈なコミュニケーションの爆発であることを、当時のティーン・エイジャーは理解してくれたであろうか?あるいは、既に大人になった今改めて見た時、理解してくれるであろうか?首をしめる、という行為は忌むべきだし、その行為を正当化しているわけでもない。そうではなく、実生活というレベルとは異なる、表現というレベルでの「意味」の問題。そこには、他者と、自分との狭間で揺れ動き、格闘する、シンジの苦悩がある。

エヴァ現象と呼ばれるほどの影響を若者に及ぼした作品だが、今改めて見ても、シンジにそれほど多くの若者がシンパシーを感じるとも思えないのだが。そうでもなかったのかな。私にはとてもよくわかるキャラクターだったが。レイやアスカはこの歳になっても、「すげーな」と思う魅力がある。案外、ブームになったのはその辺?いや、そんなことを言っては庵野に失礼だ。やはり、彼の強烈な情熱、メッセージが見る者を打つのだろう。表現とは、そういうもんなのだから。

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2005年04月27日

血管強化、血液さらさら化計画 その2

どろどろ血。そのイメージからして良くないが、動脈硬化や血栓を引き起こし、脳梗塞、脳卒中、心筋梗塞、狭心症などの血管系の病気の原因となる。死んでしまえばそれまでだが、脳系の場合、死ぬとは限らないからやっかいだ。という訳で血管強化、血液さらさら化計画その2。黒酢。

黒酢はコレステロール値を整え、赤血球を柔らかくして毛細血管を通りやすくする。ブームのせいか、やたらと種類があるが、どれも高い。2000円から高いのは5000円なんてのもある。そんななか、クスリのツルハで418円で売っていたのがORIHIRO純玄米黒酢。あんまり安いから怪しいと思ったが、箱を見ると、玄米から無添加で精製されてるようで、OKって感じ。さっそく買って飲み始めて4日ほどになる。1日20mlとかって書いてあるが、それを一度に飲むのははっきり言ってきつい。10mlだとコップ一杯の水で割ってちょうどいいくらい。だいたいこういうのは、無理して、嫌になってやめてしまう、っていうのがパターンだから、無理しないで朝晩に分けて、ちょっとずつ飲んでいる。別に20mlでなきゃダメってこともなかろうし。続けば平気で飲めるようにもなるかな。

ORIHIRO 健康食品カタログ

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2005年04月26日

血管強化、血液さらさら化計画 その1

今年はまだしていないが、血液検査をするたびに高コレステロー血症ぎみだったり、高脂血症ぎみだったりという状態が、もうかれこれ10年位続いている。平均よりちょっと高い、という微妙なラインにいたため放置してきたが、それも10年も続けば立派に病を形成する生活習慣だ。その証拠に、おととし献血した時に血管が「やさしい」と言われた。お上品な言い方だが、要は弱っているのだ。腕の静脈には昔から自信があったし、採血なんか楽なもんだっただけにショックだった。なんとかしよう、なんとかしよう、と思いつつ今に至ってしまったが、ホントにここらでなんとかしよう。

高コレステロール血症も高脂血症も、どろどろ血の状態だ。その改善策としてまずは手軽な飲食物から。運動は40代の人間としては十分しているので、飲食物でなんとかなりそうなもんだ。まずは朝食に納豆。納豆は、現在唯一血栓を溶かす成分を持つ食べ物だ。ほんとは夕方の方がいいのだろうが、朝飯に食う方が楽だし、以前から食べていたのでこれを徹底することから始めよう。

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2005年04月07日

John Paul II

レッド・ツェッペリンのメンバーでも、ビートルズのCDでもない。教皇ヨハネ・パウロ2世の名前。英字新聞ではこの名で報道されていた訳だが、教皇というよりはロック・ミュージシャンのような印象を受けるのは私だけだろうか。

英語によくある名前は、当然のことながらキリストの使徒や聖書の福音書に由来するものが結構ある。Peter(ペテロ)、James(ヤコブ)、Mark(マルコ)、Luke(ルカ)、Simon(シモン)などなど。あのビッググループ GENESIS は創世記。新世紀エヴァンゲリオンの使徒に旧約聖書の預言者の名前が使われたのも有名だ。

何はともあれ、ご冥福を祈ります。

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2005年04月02日

何をかくそう小松未歩ファンです

何をかくそう、私は小松未歩ファンです。アルバムは全部持ってます。(たぶん)今度のJGM、ZARD,倉木麻衣のインタビュー記事があって買ったところ、「小松未歩のヘンな物さし」という記事が目に止まりました。「タマちゃん再び」。治安が悪化し、危険が身近に迫っていることを書いた記事。その中の一節。今の日本の現状に心を痛め、ボランティア活動などにも積極的に取り組んでいる友人の話。

「個人レベルだとやっぱり限界があって」と実感のこもった嘆きは私の心をグッサリでした。アフリカに住む女の子の里親になったり、献血や義援金など、考えられる限りで懸命に社会貢献していても手応えはないらしく「根元から変えようと思ったら国単位で動かないと。だから究極のボランティアは政治家になることだと思うの」(以下略)

政治家が究極のボランティア。視点は異なるが、以前から私もそう考えていた。同じ事を考える人がいることに、とても驚くとともに、うれしかった。こういう経験は、めったにできない。

結びの小松未歩の言葉。

あのアザラシのタマちゃんが再来した時に、また夕方のトップニュースとして扱われるような何の事件もない平穏な日本がそこにあることを願って、今から行動開始です!

何の事件もない平穏な日本など、ただの幻想、と言うなかれ。これは、彼女の願いを表した表現。また、ちょっと好きになった。

JGM official site

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2005年04月01日

なるほど 〜大統領就任演説

CNN English Express 4月号にブッシュ大統領の大統領就任演説が載っている。「あんな戦争しかしてない奴を、なんでアメリカは支持するのか?」と、前々から不思議だったが、なんとなくその理由がわかった気がした。

The survival of liberty in our land increasingly depends on the success of liberty in other lands.The best hope for peace in our world is the expansion of freedom in all the world.

他国が自由を獲得しない限り、自国の自由はあり得ない。よって、自由を世界中に押し広めることが何より大切。それ自体は正論と言っても良い論法に自国のエゴをアレンジしつつ、さらに次のように昇華させようとする。

All who live in tyranny and hopelessness can know the United States will not ignore your oppression or excuse your oppressions.When you stand for your liberty,we will stand with you.

正直言って、私はこのくだりを読んで感動した。圧政と絶望に生きるすべての人に知ってほしい。アメリカはあなた達に対する迫害を見逃さないし、迫害者を許すこともない。あなた達が自由のために立ち上がる時、我々も共に立ち上がるだろう。

字面だけみれば、なんと感動的なフレーズだろう。まるで、福音のようだ。だが、この言葉の中に、自国のエゴを対外的に押し進めることを正当化する詭弁を見て取るのはたやすい。にも関わらず、ブッシュが支持されるのは、9/11の強烈な危機意識と、その裏返しとしてアメリカ人が、例えばイラクへ侵攻することを正当化し、かつ迫害される人々の味方、世界平和の推進者であるという国民の選民意識をくすぐる内容を持っているからだろう。
それにしても、さすがに言論をもって主義主張を戦わせて来た風土だけある。初めて大統領の就任演説を原文で読んだが、カッコイイ。大統領になるだけのことはある。福沢諭吉が言論を我が国に持ち込んでから久しいが、やはりまだまだ、と言わざるを得ないようだ。

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2005年03月29日

こうしてプロ野球を楽しんでられるのも…

楽天が炎上しただのなんだのと、こうして今頃プロ野球を楽しんでいられるのも、LiveDoorの堀江社長のおかげだ。彼が手をあげて俺がやると言ったからこそ、12球団を維持することができたのだ。楽天に横取りされながら、ふて腐れもせずに次なる目標に動き出している彼を見て、すげー奴だな、と感心した。今回の騒動に関しては賛否両論はあるだろうが、それにしてもなんだ?あのソフトバンクのクソおやじは。ソフトバンクが道義を語るなんざ、2億5000万年早くて片腹痛い。韓非子だ?笑わせんな。ほんとおめーらクソおやじと来た日にゃ、やれ戦国武将だ、漢文だと、何かってーと昔の有名人を気取りやがって。バーカ。気持ち悪くて吐き気がするから顔出すな。すっこんでろ、このクソったれ。

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2004年11月08日

劇団四季 〜ジーザス・クライスト・スーパースター〜

劇団四季の「ジーザス・クライスト・スーパースター」札幌公演を見て来た。ミュージカルに対しては、タモリ同様の否定的な見方をしていたが、「コーラス・ライン」、「ライオン・キング」などを断片的にTVで見かけてから、「良いものは良いかもしれない」と思うようになった。以来、一度なんか見てみたいと思ってたところ、メジャーなプログラムなので出かけてみた。

メンバーに、中国、韓国の人が意外に多いのに驚かされた。なるほどアジアはボーダレス化を進めているという訳だ。現実問題として、日本人だけではレベルを維持できないということもあるのかもしれない。物語はほとんど「新約聖書」そのまんまなので、内容を知らない人にはきついだろう、という印象を受けた。無神論の人間が通常の物語として読んだ場合、「新約聖書」は決して面白いものではない。そういうことを踏まえて大衆向けに脚色しているせいか、マグダラのマリアの愛も、イスカリオテのユダの苦悩も、どっちかというと通俗に流れている嫌いがあるように感じた。全編歌で通すのも、タモリじゃないが、やっぱり無理がある。揚げ足を取れば切りがないが、しかし、何はともあれ見て良かった。「おお」と思わせてくれる良い場面、キメの場面が随所にあった。マリアの独唱、美女を侍らせてイエスを愚弄するピラト、イエスの最期、などなど。機会があったら、またなんか見てみたい。

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2004年10月17日

SLAM DUNK2〜虚構と現実。桜木花道は実在するか?〜

この物語はフィクションです。わざわざそう断るのは虚構と現実の区別がつかない人間に対する配慮だが、裏返せば、物語世界そのものがあたかも現実であるかのように感じられる、ということがあり得ることの証左とも言えるかもしれない。物語に対する無知というレベルを除いても。その場合、虚構と現実を分つのは、物語世界の外部から発せられる「この物語はフィクションです」という言葉であり、もし、そういった言葉が無ければ虚構と現実の区別はひどく不明瞭にならざるを得ない。あるいは、物語世界そのものの内部では、本来虚構と現実の区別など不可能なのかもしれない。

スラムダンクを読んで桜木花道が実在すると思い込む人間はいないだろう。だが、物語世界にのめり込めば込むほど、心の内部で存在感が大きくなる。湘北高校のメンバーとして、その試合の一部始終を共に経験した仲間の一人のような感覚になる。冷静に心の中を覗いてみれば、それは遠い過去の自分の実際の経験とさほど違わないものなのかもしれない。  

…続く。

SLAM DUNK3

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2004年08月27日

阪神の星?

日本人の発見した新惑星が「Hanshintigers」と命名されたとか。

http://www.asahi.com/science/update/0604/002.html

「Tokyogiants」、「Carp」に続く第三弾だというから驚きだ。
18等級の明るさで肉眼では見えないそうだから、
残念ながら親子で指差して見上げることはできそうもない。
そういえば、以前「巨人の星」はどの星だ! と、
大まじめ(?)に探した北海道人がいたっけ。
「遊び」の神髄…、とまで言うと大げさだが、
みんな楽しませてくれる。

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2004年08月26日

ほしいものは…

野球、金メダルに手がとどきませんでしたね。
女子バレーチームもメダルにとどきませんでしたが、
見ているだけの我々より以上に、選手達は悔しいことでしょう。
でも、前回シドニーの柔ちゃんをはじめ、
柔道の安武、モロッコの1500m王者エルゲルージ、
みんな苦悩の果てに栄光をつかみとっています。

ほしいものは、いつもまっすぐ手に入らないほうが絶対dramatic
(by Tommy february6)

ですよね。
がんばれニッポン!

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