2007年12月01日

もう一度、やり直しだ

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久々に、クラシック・ギターを弾いた。ほんとに久々で、それだけ自分のプレーに距離をおけたせいか、いろんなことを感じた。10年くらい前に練習方法、弾き方などの大改造を行い、以前弾けなかった曲が弾けるようになって手ごたえを感じていたが、その後伸び悩んでいた。それもそのはず、これじゃ、弾けるはずないな、と今日いろいろな曲を試しながら思った。もう一回、やり直すか?そう思った。

という訳で、教則本を買ってきた。クラシック・ギターを始めた大学の時に練習した、定番カルカッシの教則本がリニューアルされていた。どうも、ひとつひとつの基本的なテクニック、プレーがきちんと弾きこなせるレベルまで達していない。もう一回、総ざらいしてみよう、というのが狙いだが、楽譜を見ると、あまり楽しそうな代物ではない。それで、大学の時も全部一通りはやったが、掘り下げるまでには至らなかった。それでも、今回はモチベーションが違うから、また違った何かが得られるかもしれない。

「左右の指はいつも強力でなくてはいけません。よわい指からは、スピードも美しい音色も生まれないのです。」

同感だ。まったく、その通り、そうあらねばな、と思ったが、たぶん、大学の頃はこんなフレーズも心に届かず素通りしてしまっていたのだろうな。だから、これはこれで、やれば何かは得られるだろう。どうせ弾くなら、向上したい。来年、再来年、そして、5年後、10年後…、今よりはうまくなっていたい。20年後には、弾きたい、と思う曲はなんでも弾けるようになっていたい。だから、もう一回、ちゃんとした練習を始めることにしよう。

にしても、これって、いったい何回目のチャレンジなんだか…

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2006年08月12日

chitarre日記8

久しぶりにクラシックギターを弾いた。半年ぶりくらいだろうか?エレキギターはちょこちょこ弾いていたが、クラシックからは完全に離れていた。英語にはまっていて、他のことを練習する余裕がない、というのがその理由だが、これだけ離れると、逆に自分のプレーを完全に客観的に見れる利点がある。

うまくなろうとして練習している時は、弾けないところを弾けるようにしたいという意識、というか「色気」があるからなかなか自分を客観視できない。ありのままの自分ってのが、なかなか見えない。

弾けない、と一口に言っても、その弾けなさはいろいろある。左手の親指の位置が悪い、フォームが悪い、各指のポジションがちゃんとしていない、それで苦しくて無理やり押さえている、右手の親指、ベース音に力が入っている、アルペジオがもつれそうになる、だから力でなんとかしようとする…etc。

愛する私のテーマソング、「バッハ:無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番プレリュード」も久々に弾いた。なるほど、これでは弾けるはずがない、ということがはっきりと分かった。英語の勉強のおかげだ。

英語でちゃんとした発音の練習をしようとすると、まず、ゆっくりと、その音を出せるようにするところから始めざるを得ない。いいふりして、早くしゃべろうなんて思っても、舌がついてこないし、口が回らない。スピードより何より、その音を出すこと自体がまず難しいから、必然的にゆっくりやらざるを得ない。そして、いったんできるようになると、それなりにスピードアップも可能になってくる。

キャリアだけはあるせいだろう。ギターの場合は、力ずくで弾いた振りができてしまうから、ついついそういうプレーに走りがちだ。英語のように、まず、ちゃんとその音を出す、という始めの一歩から練習することがなかなかできない。左手の親指はネックの真中に、各指は指板にきちっと立てて、余計な力は抜いて、リラックスして右手は軽やかにスパーンと振りぬく感じで…。

少なくとも、その理想に向かっている途中ならまだしもだが、力ずくでなんとかしているから、このままいくら弾いても上達は見込めない。力を入れないと弾けない、というスタイルだから、絶対に上達しないということが分かる。力を抜いて弾けるところまで持って行かなければ何も始まらない。そして、力を抜いて弾けるようになるためには、力ずくでごまかさずに、ちゃんと押さえて、ちゃんと弾く練習を積み重ねるしかない。

英語のリスニングの練習をしていて分かった。力んで、一言一句聞き取ろうとしても、ダメだ、と。気負わず、ただ流れのままに聞いていると、分かるところはちゃんと入って来る。逆に、力んで聞き取ろう、とすると入って来るものも入って来ない。

アルハンブラもそう。力を入れたら、あの曲は何にもならない。だいなし。力を抜いて、リラックスして、軽やかに響かせる、それが最初で、最後の目標なんだ、と改めて思った。

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2005年09月04日

chitarre日記「大聖堂」

弾けないところを、弾いたふりして通り過ぎずに立ち止まって練習してみる、ちゃんと弾く練習をする。そう心がけていたはずなのに、いいかんげんなもんだ。気づくと、また、弾けないところを、強引に力づくで押し通して、それで弾けた気になっている。

最近、「エースをねらえ!」を読んでいるせいか、自分も何かにちゃんと打ち込みたい、なんて気になる。それで、今日、実際自分はどんなもんなんだろうと、曲を弾く事よりも、自分の力量をチェックするという感じで弾いてみた。いや、ひどいもんだ。悲しくなってくる。この一年、確かに飛躍的にうまくなったはずなのに、今の時点からみると、かつて見えなかった欠点が続々と見えて来る。むしろ、下手になったような気にさえなって来る。

左手。
ちゃんと弾けないとこってのは、弦を押さえている指もさることながら、弦を押さえていないあいている指に力が入っている。つまり、指に独立性がないのだ。だから、左手の指の全部に力が入って緊張している。これではちゃんと弾けるはずがない。なるほど、下手なはずだ。

右手。
力を入れてはならないと強く強く戒めて来たにもかかわらず、楽に弾けないところに来ると、力ずくで押し切ってしまう。特に音量を上げる時。ふーぅ、と息を吐きながら、力を抜いて、大きなストロークでスパーンと振り抜くという感覚、そう心がけて来たはずなのに、やっぱり力に頼って自滅している。ひどいもんだ。

右手の持久力、柔軟性を養うために、延々とアルペジオを弾き続ける曲を練習したいと、前々から思っていた。今回、左手と右手の総合的なバランスを養うためにもなんかやった方が良さそうだな、と改めて思った。ほんとはビラ・ロボスでもやりたいとこだが、実際問題弾けないし、現実的になんとかなりそうな曲ってことで、「大聖堂」。こいつのアルペジオのとこだけ、取りあえず練習してみることにした。

アルペジオっていっても多少変則的だし、マイナーだからすぐあきるような気もする。実際、過去に練習したけど、すぐに飽きてやめてしまった。私は、ほんとにマイナー曲が嫌いなのだ。子どもの頃、クラシックギターと言えば、演歌歌手のうしろで古賀一族がAマイナーあたりのくらーい旋律を弾いていたせいだろうか?

弾けば弾くほど楽しくなる曲、ってのもあれば、一回弾けてしまえばもうどうでもいい、って曲もある。弾ける前にどうでも良くなってしまう曲ってのもあったり。「大聖堂」は、今まで、弾ける前にどうでもよくなってしまった曲だった。正直、今もあまり魅力的な曲とは思わない。だが、全体にけっこう忙しいので、左手と右手との総合的なバランスを養うのによさそうかなという印象を受けた。コードがGにおちて開放弦になった時のアルペジオの響きもいいし。楽しめるとこもないではないし。

でも、練習用という見方をやめて単純にこの曲を見たとき、2楽章の Andante religioso が一番弾いてて気分が良い、ような気がした。響かせる、という感じで作られているから、響きを楽しめるのだ。でも、残念ながら今はアルペジオの練習。うまくなったら、またね、ってとこかな。


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2005年07月17日

chitarre日記7

この頃、スピードアップを心がけている。もう、いい年だし、別に人前で演奏する訳でもないので、見栄をはって速弾きしてみせようということではない。今まで入り込めなかった領域に踏み込んでみたいという好奇心と、単純に今よりレベルアップしたいという思いからだ。

速く弾ければいいという訳ではないが、速く弾くことにはプラスの要素がある。前にアルハンブラ2でも書いたが、速く弾くためにはムダをなくさなくてはならない。ムダがなくなるとスムーズな動作ができるようになるし、弾弦のスピードが速くなるから、雑音が減り、音そのものが出てくるようになる。これは、試したことのある人間なら、議論の余地なく共感してもらえるはずだ。

アルハンブラを練習したおかげで、だいぶ右手にスピードはついて来たが、総合的に見てまだまだだ。左手のスケールも、スピードを上げると怪しくなってくる個所が結構あるし、右手はテンポ、リズムをきちんとキープする力に欠けている。テンポ、リズムをキープできないプレーは、一言でいうとぐちゃぐちゃだ。カラオケで勝手に陶酔してバックにまったくあってない人がよくいるが、あんな感じでいただけない。何より、ここぞ、というところで、テンポもリズムも取れないと、バシッ、とキマったプレーができない。これが致命的だ。

最近は、100に四つ入れるスピードで割と練習している。クラシックギターでこのスピードは中級くらいなのかな。それほどのスピードではないが、これをきちんと維持して弾き続けるのが難しい。小節のあたまにちゃんとアクセントを入れてリズム感を出すとなると、それほどの時間は持たない。すぐにズレてしまう。指ならしのために110、120なんかでも試してみるが、この辺になるとドレミファソラシドを一周するので精一杯っていう感じだ。

試しに、私のテーマソングのバッハ「無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番プレリュード」を100に四つで弾いてみた。普段は80くらいでゆっくり、ちゃんと弾こうって感じなのだが、だいぶ弾けるようになったのでレベルアップということで。これを100に四つだと、ほぼジョン・ウィリアムスの演奏スピードに近い。ドレミのスケール練習ならそれほどのスピードではないが、この曲をこのスピードで弾くのは桁外れに難しい。私的には、超絶的という気さえする。楽しげに首を振りながら軽やかに弾くジョンのすごさを改めて感じてしまう。

去年試してみた時は、とてもまともに弾けるもんじゃなかったが、今日試してみたら結構行けた。区切り区切りやってみると、思ったよりついて行ける部分があった。全然歯が立たなかった去年は気付かなかったのだが、今日、少し弾けてみると、ちゃんと弾けてるところと弾けてないところが、はっきりと分かった。ちゃんと弾けてるところは、スピードを上げてもついて行けるのだが、左手のフォームが甘かったり、右手が音符をなぞるだけだったりしているところはスピードについて行けず、脱落して行く。当たり前と言えば当たり前のことなのだが、速かろうが遅かろうがちゃんと弾けない部分の多い曲だったためなかなか気付かなかった。

ならば、スケール練習でも同じことが言えるんじゃないかな、とこっちもスピードを上げて試してみたら、予想通りだった。自分の弱点がありありと見えてくる。なるほど、こんな意味の練習ってのもありか、とまた新たな発見をした。

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2005年02月05日

chitarre日記6

■左手3

「左手の親指をネックの真ん中に置く」ことの大切さを、今改めて実感している。

誰にも、なんか弾きづらい、なんかスムーズに弾けない、という箇所があるものだ。もちろん、私にも沢山ある。最近改めて気づいたが、そういう箇所はたいてい左手の親指がいいかげんで、ちゃんとしたフォームで弾けてない。そのため、ふらふらしてろくな演奏にならない。弦を押さえることばかりに気を取られると、ついついそういう弾き方になってしまう。

自分でも驚いたが、ちゃんと弾けないところは、ほぼ全部親指がダメだ。逆に言えば、親指をちゃんとすれば弾けるようになるはずで、実際弾けるようになりつつある。左手の場合、すべては親指から始まる、と言っても過言ではないのかもしれない。
とは言え、現実問題として弦を押さえられないと何も始まらないから、どうしても優先度は弦を押さえる指より低くなりがちだ。親指をちゃんとした場所に置くと、弦が押さえられなくなる、というポジションも結構ある。だが、じゃ、親指をいいかげんにしないと押さえられない、という難易度の高いポジションがそんなにあるのか?というとそうでもない。プロが弾くような超絶技巧を必要とする曲でもないかぎり、まずそんなポジションにはお目にかからない。人にもよるが、まず大抵はちゃんと押さえる練習をしないための悪癖だ。
私の経験では、親指をちゃんとしたポジションに置いて押さえられないのは、左手の指に柔軟性がないからだ。下手な頃っていうのは、指が開かないから押さえられないポジションが山ほどあるが、それとおんなじで指に柔軟性がないと力づくで押さえる必要があるためろくなフォームにならない。指が開く、開かない、っていうのも柔軟性の一つだが、ちゃんと第一関節を曲げた良いフォームで狙った位置に指を置く、というのにも柔軟性がいる。私はこのことに去年初めて気づいた。繰り返し練習して押さえられなかったポジションが押さえられるようになるのは、慣れるから、と思っていたが、そうではない。繰り返し練習することで指が柔軟になり、結果ポジションに順応できるようになる、というのが正確なところ。(まぁ、それを慣れるというのかもしれないが…)だから、一つ弾けるようになると、似たようなフォームのポジションは練習していないのに割と楽に弾ける。逆に、あまり押さえたことのないフォームは、どんな曲であろうと弾きづらい。

柔軟性が大事なら、指のストレッチは効果あり?と思った人がいるかもしれない。正解。効果はあります。スポーツ選手はストレッチを大切にするが、それは固い身体ではろくなプレーができないからだ。たぶん、これは理屈抜きで直感的に共感してもらえるのではないかと思う。ギターだって身体を使うのだから、同じことが言える。押さえられないポジションは、繰り返し押さえる練習が必要なのは当然だが、指が柔らかくなって来ると比較的早く順応できるようになって来る。親指を真ん中に置くと押さえられないポジションも、弦を押さえてから親指を真ん中に近づける、なんてことをやっているとだんだん押さえられるようになって来る。柔軟になるから、だろうと私は思っている。

投稿者 gunship : 08:42 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月14日

こんなサイトあったんだ

私の友人がブログをやってます。

http://kawataro.exblog.jp/

プレイヤーズ天国ってとこで、録音した演奏を配信もしてます。
こんなサイトがあったんだ。
お暇なら。

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2004年10月16日

chitarre日記 アルハンブラ2

アルハンブラは弾いてみたいけど難しいから…
なかなか速いフレーズが弾けなくて…
どうしても中級レベルから脱出できない…     などなど。
ためらっている人、壁にぶつかって先に進めない人に、とにかくこの曲を試してみることをお勧めする。この曲をいつか弾けるようになりたい、と思っている人には特に。

ギターは、速く弾けることが大切だ。昔、速く弾くことよりも、音色を大切にしていた。速く弾けたって、汚い音じゃ意味がない、そう考えていたからだ。おかげで、確かに良い音色で弾けるようにはなったが、現実問題として速く弾けないから弾きたくても弾けない曲ばかりという状態になった。これでは逆に意味がない。
速く弾けることは良いことだ。ムダがあっては速く弾けないから、速く弾くためには必然的にムダをなくして行くことになる。ムダがなくなると間違いなく上達する。右手に関して言えば、速く弾けるようになってくると、弾弦のスピードも速くなるから音色も良くなる。雑音が減り、音そのものが良く出てくる。速く弾けない時には出せなかった音色が出せるようになる。効果は絶大だ。
アルハンブラを練習すると右手にスピードがついてくる。アルハンブラを練習する前は、100に四つ入れるのにひと苦労という感じだったが、今は120にも四つ入れられるようになって来た。かつて、速くて弾けないと思っていたようなフレーズを速いと意識することもなくなり、弾けるようになって来た。明らかにワンランク上に上がった。
トレモロを特殊奏法と位置づける人もいるようだが、私はそうは思っていない。単音の延長、アルペジオの延長という風に考えている。そう考えた方がトレモロがうまくなる。トレモロを別格視すると、普通の単音、アルペジオと同じ弾き方ができないから、普通の単音、アルペジオの時に出せる音色が出せなくなってしまう。「こんな難しい奏法で、普通の音なんて出せるはずがない」、こういう考え方をしないこと。練習する前から限界を設けてしまっては、できることもできない。焦らず、根気よく、理想に近づけて行くことが大切だ。

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2004年09月26日

chitarre日記 アルハンブラ1

アルハンブラ。
何度弾いても弾き飽きることがない。
ほんとにいい曲だ。
メジャーに転調する時には、吹き抜ける風を感じる。

この頃、やっと自分のイメージする音に近い音が出せるようになってきた。
最初は、どうせちゃんと弾けるようになるはずなんてない、と
心のどこかで思っていたのに。
イメージする音が出てくると、楽しくて楽しくて、ついつい時を忘れる。
こんな感じ? いや、こうか?
そうやって、この曲とつきあっている、その瞬間が、
なんとも言えず、本当に楽しい。

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2004年09月23日

chitarre日記5

■左手2

チェックポイント1
・親指がネックの真ん中を押さえている

1〜5フレットあたりで、C、Amといった基本的なコードを押さえている時はともかく、ハイポジションになるにしたがってだんだん親指があっち行ったり、こっち行ったりしてしまうというのはよくあることだ。が、残念ながらそういうことをしていては上達は難しい。なぜかというと、速さについて行けなくなるからだ。
私自身がそうだったが、押さえようとすることばかりを考えていると、指でフレットを追うような弾き方になる。そうすると左手のフォームがくずれがちになり、バタバタとした弾き方になって速く弾けない。左手は、手首ごと「すっ」と移動するという感覚が大切だ。そうすることで、ハイポジだろうが、ローポジだろうが、同じフォームを保って弾くのだ。プロの奏者はすべからくそうしているし、私の経験からしてもそうすべきだと思う。そして、そのフォームの基本となるのが親指で、逆に言うと親指のポジションがいいかげんだとフォームもくずれやすい。
私はこの親指のポジションをいいかげんにしてしまったため悪い癖がついてしまい、今現在矯正中だ。なぜ、疎かにしたかというと、「パルティータ」などの上級レベルの曲のヘビーなポジションは、親指をネックの真ん中に置いていては現実問題として押さえられなかったからだ。高度な曲はそれなりの弾き方が必要なのだろうと、単純に即断してしまった。
確かに、上級のレベルになると普通の弾き方では弾けない部分も出てくるだろう。だが、そういう箇所はそう多くはない。
5月頃だったろうか。「Player」というロック系のギター雑誌を立ち読みしていたところ、Queenを特集していた。その中の写真にブライアン・メイのプレイショットがあった。私から見ると、普通ではとても押さえられないと思われるポジションを、きれいに親指を真ん中に置いて普通に押さえていた。ショックだった。「俺は、普通に押さえられるはずがないと勝手に決めて、何もかもをいいかげんにやってきたのではないだろうか?」という疑問がよぎった。以来、親指を真ん中に置いていては弾けなかったポジションも、それに近づけようという意識を持って改良を続けている。その結果、今はそのほとんどが親指を真ん中に置いて押さえられるようになってきた。できなかったのではない、やろうとしなかっただけだ、ということがよくわかった。

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2004年09月17日

chitarre日記4

■左手

ギターの場合、現実問題として左手でポジションが押さえられないと何も始まらない。ほんとは右手が決め手なのだが、左手で押さえられないことには、そんな話も始まらない。そこで、まずは左手から。

「ちゃんと弾こうという意識を持って、あせらず、ゆっくりと繰り返してみる」ことの大切さを前回書いた。しかし、ちゃんと弾く、と一口に言っても、人によってイメージすることが違う。技術的な事柄は、抽象的な話をしても意味がない。抽象的な技術など存在しないからだ。が、具体的であっても、そのイメージしている内容が異なっていると、これまたなんの役にも立たない。という訳で、この左手のコーナーで言う「ちゃんと弾く」ということを具体化してみようと思う。

・親指がネックの真ん中を押さえている
・各指がフレットのきわを押さえている
・各指の第一関節が曲がって垂直に指板に立っている
・力が抜けている

よく弾く簡単なコードでも、これらの要求を満たしていることは少ない。そのため、改めて落ち着いてじっくり押さえてみると、いかにちゃんと弾けてないかがわかる。実際、そのちゃんと弾けてないコードは、C であろうが G であろうが、スピードを上げるとだんだん怪しくなってくる。「あぁ、ちゃんと弾けてないんだな」と、気づくことになる。
別に、上記の要素を満たしていなくても曲は弾けるし、それが下手とは限らない。言い換えれば、別に上記の要素を満たしていなくてもなんら問題はないのだ。では、なぜ敢えてこのようなことをここで問題にしているかというと、上に行くに従ってそれらの基本的なことを行っていないと、ついて行けなくなり行き詰まるからだ。「アルハンブラ」を弾きたいけど弾けない、バッハの「パルティータ」を弾きたいけど弾けない、という話になるのだ。不幸にして、いい曲だなー、弾けるようになりたいなー、と思うような曲は、そう簡単に弾けるようにはできていない。自分が本当に心を込めて弾きたい曲を、本当に心を込めて弾くためには、基本的な技術をマスターする必要がある。高度な技術は、基本的な技術の積み重ねの果てにあるのだ。
私の場合、難しいポジションになると未だに親指はあっち行ったりこっち行ったりだし、第一関節も曲がってるどころか、押さえるだけで精一杯、なんてのは山ほどある。でも、そこで、だから「ダメ」と思わないことが大切だ。初めからなんでもできる人などいないし、初めからできることなど大したことではない。やっぱりうまく弾けない、そういう時こそ、ゆっくり、ちゃんと押さえてみることが大切だ。なんなら、右手で助けてやってもいい。あきらめずに、ちゃんとやっていると、ちゃんとできるようになる。ほんとです。今、まさに私自身がそんな風に練習しています。

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2004年09月08日

chitarre日記3

■練習の姿勢2

若さと時間にまかせて朝から晩まで練習する、
そんな時期も20年ほど前にはあったが、もうそんな歳ではなくなった。
それに、今にして思えば、そうしたからといってたいしてうまくなったとも思えない。
その原因は、ちゃんと弾くということをしなかったせいだ。

弾けなくて立ち止まってばかりいるのはつまらないし、弾けないところを何度も繰り返すのも苦痛だった。だから、ちゃんと弾けないところは強引に、力まかせに押し切って、弾いた気分にだけ浸っていた。だが、当然のことながらそれは間違いだった。弾けないところを弾けるようにするための努力を怠って、ただバタバタと指を動かしてだけいても、同じところで足踏みしているだけで決して上達しない。おかげで20年弾いても同じことの繰り返しでまったく先に進まなかった。

ちゃんと弾こう、という意識を持ってそれを実践する。具体的には、弾けない部分に来たら、立ち止まって3回程度ゆっくりと繰り返してみる。弾ける程度にゆっくり、というのが大切だ。どんなにゆっくりでも構わない。昔はそれが嫌で、強引に規定のスピードで押し切ったが、それをするといつまでたっても弾ける力がつかない。ゆっくり弾けもしない部分を速く弾けるはずもないのだ。あせらずに、ゆっくりでいいから弾ける速さで繰り返してみること、それがちゃんと弾くための第一歩だ。

嫌になったらやめて、いつも通りに弾いても構わない。なんなら、最初は何かの曲の一カ所、ワンフレーズだけでも構わない。やめずにちゃんとやっていると、いずれ「あ、弾ける」と感じる時がやってくる。その体験を得てしまえばこっちのものだ。それからは、これも、あれも、弾けるようになるかもしれない、という期待感がわいて来て、今まで苦痛だった練習も苦痛でなくなってくる。むしろ、楽しみにさえなってくる。
という訳で、
ちゃんと弾こうという意識を持って、あせらず、ゆっくりと繰り返してみること、
これが大切だ。

「欠点をそのままのこしているあなたは、穴だらけのバケツよ!
それでどうがむしゃらに水をくんでももれていくだけ。
努力している気でいて、その実なんにもしちゃいないのよ!」
(by ジャッキー・ビント 「エースをねらえ!」)

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2004年09月05日

Chitarre日記2

■練習の姿勢

弾けないところを繰り返してばかりいるのは、禁欲的で必ずしも楽しくはない。
だが、ちゃんと弾けもしないくせに強引に通しても、弾いた気になるだけで、
決してうまくはならない。20年以上ギターを弾いて来た私の実体験だ。

ほかの人はどうか知らないが、不思議なもんで、「こういう風に弾けるようになりたい」と、望まない限り、20年弾いても同じことの繰り返しで下手なまんまだ。逆に言うと、こんな風に弾きたいと望み、着実にそれを実行すると、確実にうまくなって行く。練習には、この「意識」がとても大切なようだ。
例えば、とてもこれは押さえられそうもない、と思われるような左手のポジション。嫌になるほどよく出会う。
ある時、ふとこう考えた。
「簡単なポジションって、よく出てくるからこの20年くさるほど弾いてるけど、難しいポジションって、そんなそんな出てくる訳じゃないから、あんまり弾かない。難しいのに弾く回数も少ないんだから、弾けるはずがない。
もし、難しいポジションを簡単なポジションと同じくらい何度も弾いてみたら、弾けるようになるんじゃないだろうか?」
この考えは見事に的中した。
「弾けるようにしよう」ではなく、「弾けるようになるかもしれない」という期待感を持って、その時を楽しみに待つという感覚。あせらず、そんな風にやっていると、本当に弾けるようになる。指が届かず、右手でよっこらしょ、なんてやってるポジションも、繰り返していると、ちゃんと弾けるようになった。アルハンブラ、聖母の御子、いずれも今年になってそんな風に始めた曲だが、今は弾ける。おかげで、今はどんな曲も、「弾けない」という曲はない、と思っている。
という訳で、
これは「弾けない」という、自分を限る意識を捨てること、
「いつか弾けるようになるかもしれない」という前向きな考えを持つこと、
が大切だ。

「あれは限界を知りません。
うけられない球だとか、たえられない特訓だとか、
じぶんのプレイをかぎる考えがいっさいないのです。
それでここまでのびたのです。」
(by 宗方 仁「エースをねらえ!」)

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2004年09月04日

Chitarre日記

クラシックギターの日記をつけることにした。

【レパートリー】
バッハ:無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番プレリュード
(リュート組曲第4番プレリュード)
S.Myers:Cavatina
F.Tarrega:アルハンブラの想い出
カタルニア民謡:聖母の御子

【只今練習中】
バッハ:プレリュードーフーガーアレグロ プレリュード
バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番プレリュード
F.Sor:モーツァルトの魔笛の主題による変奏曲

実際は全部練習中なのだが、一応私のレベルの目安として。
良い曲だな〜、これ弾けたらいいな〜、という曲しか弾かないので、
レパートリーは非常に少ない。
おまけに結構ハイレベル(の方だと思う)の曲なので、
なかなか思うような演奏に達しない。
が、今年になってから、いろいろ改造を重ねているうちに、
私的には加速度的に上達した。
おかげで、ギターを弾くのがとても楽しい。
という訳で、自分のための記録、と同時に
なかなかクラシックギターが上達しない、という同胞達のために
記録してみようと思う。

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